街のありふれた食堂「食堂キング」を舞台に、中年女性・サチコのささやかな成長を描いた、群ようこさんの最新長編小説『サチコ』。その冒頭部分を、地方新聞連載時に添えられた、阪口笑子さんの温かい挿画とともに、お届けします。

初回から二十年の間、一歩も足を踏み入れていなかった食堂キングを再び訪れるきっかけは、店頭に太字の油性ペンで書かれた貼り紙を見たことだった。そこには、
「フロア係募集 調理補助なし 連絡は午後三時から五時にお願いします」
と書いてあった。料理を作るのが苦手なサチコは、家から近いことと、「調理補助なし」が気に入ってしまったのである。調理補助ありだったら、キングを訪れることはなかったのは間違いない。
その貼り紙を見て部屋に帰ったサチコは、まるで自分のためにあの貼り紙が出されたのではないかと考えた。ここ数か月は隣の駅前にあるスーパーマーケットのアルバイト勤務のために、毎日、キングの前を通っていた。あまりに昔から同じ佇まいなので、建物は周囲の風景と同化していた。通勤していたときは、そんな貼り紙はなかった。
そしてそのアルバイトをやめて一週間後に、貼り紙を見たのである。勤労意欲は高まってはいなかったが、やはり規則正しい生活のために働きたい。でも年齢が年齢だし、新しいアルバイトは見つかるだろうかと心配になっていた矢先だった。
一時間ほど考えた後、キングに電話をした。
「はあい、キングでーす」
明るい女性の声が聞こえた。
「あのう、外のフロア係募集の貼り紙を見たのですが。どなたか決まりましたか」
「いいえ、まだですよ」
「あのう、私、近所に住んでいる者で、フロア係は未経験なのですが、よろしかったら働きたいのですが」
「ああ、そうですか、ありがとうございます」
「それであのう、私、五十五歳なんですけれど、いいでしょうか」
「五十五歳、あら、私よりずっと若いじゃないの。かまいませんよ」
先方の声が一段と明るくなった。
「そうですか、ありがとうございます」
それから互いの都合のいい日をすりあわせて、サチコが二十年ぶりにキングを訪れることになったのだった。味も特においしいとは思えないのに、彼女が通りすがりに店内をのぞいた限り、古閑鳥が鳴いているのを見たことがない不思議。自分と味の好みが違うこともあるだろうけれど、電話に出た店主の妻であるおかみさんの人柄もあるのかもしれないと考えた。
サチコ

両親が残してくれた1DKのマンションで一人暮らし。内向きで、控えめで、読書さえしてれば幸せ。「褒められもせず、苦にもされず」が生きるモットー。そんなサチコが55歳で長年勤めた職場を早期退職し、自宅から徒歩3分の「食堂キング」でアルバイトを始めた。初めての接客が不安なサチコだったが、気のいい店主夫婦やユニークなお客さんたちに囲まれ、遅ればせながら人生の色々を学んでいく。けれど、店主の腰痛が長引いて、キング閉店の危機が……!? ときにじんわり、ときにほろ苦く、どこか滑稽で――。ささやかな人生の豊かさを味わえる長編小説。











