街のありふれた食堂「食堂キング」を舞台に、中年女性・サチコのささやかな成長を描いた、群ようこさんの最新長編小説『サチコ』。その冒頭部分を、地方新聞連載時に添えられた、阪口笑子さんの温かい挿画とともに、お届けします。

「あー、どうもどうも」
奥から半袖の調理白衣を着た店主が出てきた。
「こんにちは」
サチコは小さく頭を下げた。
「あー、はい、どうもどうも」
彼もぺこりと頭を下げて、カウンターの椅子を持ってきて、おかみさんの隣に座った。
「あの神社の隣のマンションに住んでいるんですって」
「へええ、それはすごいね」
「いえ……」
サチコが事情を話そうとすると、
「親御さんが住んでいたところを引き継いだんですって」
とおかみさんが代わりに説明した。面倒くさいので、サチコはそのままにしておいた。
「スズキサチコと申します。履歴書をお持ちしました」
近所のコンビニで買って記入を済ませた履歴書を渡すと、
「あら、まあ、ご丁寧に。うちは履歴書をお預かりするようなところでもないから、ねえ」
とおかみさんは店主に渡した。彼はざっと斜めに目を走らせたが、特に気にしているふうではないようだった。そして再びおかみさんに手渡した。同じようにざっと流し見ただけで、彼女もサチコの履歴には特に関心がないようだった。
「で、いつから来られる?」
おかみさんが唐突に聞いてきた。
「はっ?」
サチコがびっくりして聞き返すと、
「今、来ている子がね、急にやめるっていいだしてね。せめてあと一週間はいてくれって頼んだから、そのあたりから来てくれると助かるんだけど」という。
「一週間後ですね。大丈夫ですけれど」
「こういった店で働いた経験は……そうだ、なかったのよね。大丈夫。ただ私たちが作ったものを、お客さんにお出しするだけだから。でも、やっぱりそこには礼儀があるじゃない。そこだけちゃんとしてくれればいいの」
「はい」
「テーブルの上に音をたてて器を置かれたりしたら、やっぱりいやじゃない? 自分が店でされたらいやなことをしなければいいだけなのよ。ねっ」
おかみさんが店主のほうを見た。
サチコ

両親が残してくれた1DKのマンションで一人暮らし。内向きで、控えめで、読書さえしてれば幸せ。「褒められもせず、苦にもされず」が生きるモットー。そんなサチコが55歳で長年勤めた職場を早期退職し、自宅から徒歩3分の「食堂キング」でアルバイトを始めた。初めての接客が不安なサチコだったが、気のいい店主夫婦やユニークなお客さんたちに囲まれ、遅ればせながら人生の色々を学んでいく。けれど、店主の腰痛が長引いて、キング閉店の危機が……!? ときにじんわり、ときにほろ苦く、どこか滑稽で――。ささやかな人生の豊かさを味わえる長編小説。











