 
						すべての悩みは対人関係に繋がっていると、誰かが言っていた。
仕事の悩みも、家庭の悩みも、人生の悩みも、突き詰めれば全ての悩みの原因は人である、と。

私の座右の銘は、「敵は友より近く」だった。
学生時代は怒涛のいじめにあっていたので、青い春とは程遠い澱んだ学生生活にとても役立つ言葉だった。11歳から芸能活動を始めていたので、悪い意味で目立っていたのだろう。カバンを4階から落とされたり、給食にミンティアが大量にブチ込まれていたり、典型的ないじめは大体経験したと思う。
学校ではいじめられ、芸能の現場ではみんながライバル。思春期を過ごすには歪な世界だった。学校以外にもう一つの居場所があって助かったこともあったけど、裏切りとか蹴落としももちろんあって、だんだんその座右の銘は身体に馴染み、息をするように無意識に「敵には好かれなければならない」という生き方が当たり前になった。
カラオケでは絶対に電話の近くに座ってみんなのドリンクを頼む。歌いたくもねえ歌も一緒に歌ってハモりにまわるし、湘南乃風が入ったらおしぼりを頭の上でぶんまわす。そして終了時刻10分前の電話も3コール以内に出て、延長するか否かの意見を集めるなどする。普通にへとへとだよ。
そんなときによく、同席した知らねえ女に「りんちゃんってサバサバしてるし、嫌なこと嫌って言えていいよね」と言われたりする。ボックス席の奥でポテトをつまみながら、可愛いだけでいいか否か歌ってるお前の方がNO出来てね???? と勝手に腹が立ち、羨み、傷つく。そしてこういう奴に限って、大体意味わかんないタイミングで金も払わず帰る。それもずるい。私は朝まで付き合って金もしっかり払ったっつーのに。

こういう小さな絶望から、大きな裏切りまで、すべてを自責と扱えた時に、自分は愛の物乞いだったんだと気がついた。あの時の私は、私の心の傷を、誰かにどうにかしてほしくて、へとへとになってでも優しくしたかった。誰でも彼でも、私が癒してあげたかった。
私を、誰かに助けてほしかった。そしてこの乾きに誰も気がついてくれないことにまた「どうして恵んでくれないの」と嘆いていた。なんて図々しいのだろう。それって愛じゃないのにね。
そう自分で気がついたのは、今までたくさんの人を傷付けた上で知ったこと。
一人だったら、傷つくこともなかったかもしれないけど、愛を知ることはできなかったと思う。
結論、人で人は癒せる。
人間、相思相愛だと私は思う。
自分が「利用してやるぞ!」思ってるときは、大体相手も思ってる。
「大切にしたい」と思う時、相手も大切にしようとしてくれる。
(たまに全力テイカーもいるので注意)(←誰が言うてんねん)(#俺じゃん)(頼む、#昔の俺 にさせてくれ)

人に傷付けられた心を、人に癒してもらおうと期待して生きるのはつらい。
どうしてわかってくれないのか、どうして優しくしてくれないのか、と、やってくれたことよりも、やってくれなかったことに目がいってしまう。
私はもう誰かに悪意を持ちたくないから、悪意がある奴は身近に置いておけない。敵に塩を送ろうが、友に砂糖を送ろうが、お前を大事にしてくれるのはお前が本当に大事に思う奴だけだと知ったから。
敵は敵! 友は友!
どう考えたって、敵は友よりずぅ~~~~~っと遠くに消えて、見えないところで誰かの敵を続けていたほうがいい。
久しぶりの更新になってしまったのに、過去の話ばかりしてしまって申し訳ない。これからは未来の話がしたいなと思ってる!
みんなの敵も、視界からブチ消せるよう祈っております。
NEW座右の銘!!「よそはよそ、うちはうち」
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歌詞には書けない愛の話

シンガーソングライターとして活動するほのかりん。歌という表現を超えて、一人の女性として、心のうちをさらけだす。表現者として新たな挑戦となるエッセイ、新連載!





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