
インドネシアでのフェスが終わり、東京で荷物を整理して、すぐにDay31の沖縄に飛ぶ。空港に着いたばかりの我々を出迎えた熱気に驚きはなく、インドネシアの湿度や気温のあいまった空気にはさほど違いがないように思う。タクシーに乗ってホテルに着くとすぐにDJ光が来てくれて街に繰り出す。店先に溢れて飲み食いをする雑多な商店街の2階で彼のDJを聴きながら、沖縄のエネルギーの片鱗を感じ翌日のライブのセトリを考えている。
ライブが始まると今日という時間が波打ち出す。何も決めず、考えず、できるだけ流されていたいと思う。ライブ中のエイサーに反射する沖縄のフロアは心臓の裏に何か蠢いたハレーションを持っていた。客席の作る潮騒の向こうでなんとなく会わなくなった沖縄の友達の顔が浮かんだ。たくさんの可能性と選択の間で居合わせているだけで何一つ当たり前ではない。
福井の公演には車でVQを連れ出して向かった。歩くだけで音が降るような男だが、いつもより鈴を振っている。GEZANメンバーとは会うのは初めてだし、車に乗ることに緊張しているのかもしれない。福井に前ノリすると、橋の下で出会った福井出身のハネマルが出迎えてくれて焼肉屋にいく。次々とおかしな人が集まり、チーム下山よりも地元民が多くなった頃、とっくに捻れた夜へと変貌していた。誰とどんな時間を過ごすかで夜は決まる。福井のチョップはガレージを変形させたような特殊な作りで、周辺には何もなく、それが故に店長のこだわりがハッと浮かび上がるようないい出立ちをいていた。
京都からやってきた幽体コミュニケーションは浮遊しながら実験の夜と発見の朝を繰り返す。窓は適度に開けられていて、静電気をまとった空気が適切に循環する。アイフォンを三台並べて演奏するVQは音と一体化するのに手こずったようだった。ライブ後、楽屋から出ていく小さな背中を見てツアーが始まったと思った。
富山に移動しSOUL POWERに入ると店長の癖強なムードが充満している。土足スレスレの感度でデリケートな領域に踏み込んでくる。でも嫌いではない。わたしは無色透明より、誰がどんな風にやっているかその顔が見える箱が好きだった。不思議な緊張感を持ち寄りNikoんが合流した。ライブが始まると、鋭い眼光が空気の粒子を刺す。どうやらMCを聞くに、以前わたしと喧嘩になったことがあるらしい。全く覚えていないのだけど、その相手を呼んだことも出演を承諾したことも豊かなツアーの証明のように思う。我々は宝石売り場のガラスケースの中の宝石ではなく、生身の人間で、光と同じ分だけの影が生まれるように、存在することを交錯させることには傷も含まれている。フロアの後方でNikoんのライブを見ているわたしをVQが抱きしめた。言葉は交わさないが、いい時間を過ごしていることを皮膚で確認しあったのだ。エレクトロという体温から遠のきやすいジャンルに反し、VQに情緒があるのは、音と心のことを平衡で捉えながら滑空できるセンスからきている。だからツアーに三本誘った。一緒に迷いたかったから。数学者の岡潔が数学と情緒は表裏一体と呼んだその意図を体現したかった。
打ち上げを友人のイベンターであるみずきが始めたワインバーでやりながら気持ちよく帰りベッドの上でケータイを開くと、Nikoんのオオスカが「マヒトはまだ俺に心を開いてない。明日開かせる」と投稿している。面倒な奴だなと思いつつ、関係に割り込んでくる弾丸のような直線の意志を見た。
金沢の公演は音が格別によく、PA のうっちーに聞くと懐かしいアナログ卓でこの場所でもう二十年?使っているものらしい。VQのライブは共に過ごしたこの五日間のストレスや歪みも全て内包された叫びのようで、過ぎ去る時間へのレクイエムがノイズの奥に確かに聞こえた。Nikoんを見ていると時間が有限なのだと緊張する。欲しいものを奪い取り、順番を抜かし、椅子に座り続けることだけが目的の老いた音楽家の椅子を蹴落として前に進んでいく。脛に傷のある者同士の視線はや他人事とは思えず無視できない。そのオオスカのビジョンに拮抗するペヤングの存在も不思議な緊張関係を生んでいる。連日の疲れもあったけど、音楽がわたしの体を自由に踊らせたし、NikoんとVQが歌を歌わせてくれたと感じた。
速度を高めすぎて、打ち上げ前、外で震えが止まらなくなる。脳と体を繋ぐ神経がエラーを起こしているのがわかる。痙攣しながらいい日だったのだと思った。最後はコンビニで缶ビールを飲みながら、面倒くささに拍車をかけたNikoんと、もはや鈴を振らないくらいリラックスしたVQと夜を使い果たした。
翌日は新潟のGOLDENPIGSに移動し、仕上がった居酒屋で蕎麦を食べた。新潟の対バンはZAZEN BOYSだった。メンバーとローディーを合わせた五人の小編成で車にてやってきた。このスケールのバンドでPAや照明も乗り込みでなく現地スタッフというのは珍しく、オルタナティブな腕力を感じる。ZAZENとは何度目かの対バンだけど、これまでは楽屋が複数あるところばかりで、同じ空間の中でそれぞれがどう音楽と対峙しているのかを感じられるのは趣き深かった。ライブ前、向井さんが祭囃子を煽り、我々はそれに溶け出したのはそんな新潟の箱だから生まれえたものだった。ライブ後の我々に「やっぱロックはやめれんね。大変だけどやめれん。」と芯を食った言葉を汗だくの顔に放った。大変だけどっていう部分を付け加えたところが真実で、ただの快楽やただの熱狂はとっくに越えている。止まる理由を与えられてもやめられない者だけが続いていくのだろう。そのくらい鉄風は鋭くなり様々な方角から吹き荒ぶ。いつだって試されている。
盛岡のfiveに向けロングドライブをして居酒屋に入る。この辺りが中高の遊び場だったスタッフの森島の声のトーンが一段を輝きに満ちていて、それだけで胸が洗われる。誰かの掛け値なしの純粋はどうしてこんなに尊いのだろう。それくらいコマーシャルに溺れた深海を我々は歩いているんだ。盛岡にはAZUMIさんがきた。わたしたちにとってAZUMIという歌い手は枯れた砂漠のような日々にもまだ水は湧き、花が育つことを教えてくれる稀有な存在だった。彼の歌うハレルヤに動揺しながら時間を刻みつけた。八戸に移動する道中、秋田の丸山温泉に寄り、日本で一番強いとされる酸性の湯につかった。痛いほどの強度を感じる湯から上がるとPAのうっちーが視力が良くなったと言っている。景色の彩度は高い。温泉は奇跡そのものだね。
八戸に着くと会場の酒蔵に刺す綺麗な夕日が我々を出迎えた。設営が終わり、ロッカクコーヒーでコーヒーを飲みながら、集まりだす関係者を見て、八戸で確かに何かが始まっている気配を感じた。一人の鮮烈なビジョンは止まり、錆びていた関節を再燃させ、息を吹き返す。たった一つの強い意志で街は動きだすのだ。当日はそんな立ち上がりを思う活気が日本酒の残り香と相まって渦巻いた。気配はどこか全感覚祭のようで、わたしの祭りを生きようと歌いながら静かに思った。イーグルはひたすらに調子が悪く、温泉水を飲んでから腹痛が止まらず、顔は真っ青だった。森島はロッカクの受付にいた高校時代のマドンナと写真をとっている。こちらまでドキドキが伝染した。
秋田にはOKAMOTO’Sが来てくれた。一度もメンバーも変わらず色んな感情を潜り抜けてきたバンドだとわかる。レイジの立体的な審美眼とショウのまっすぐすぎる突破力。歪な関係性につけた名前がバンドなのだと思わされる。イーグルもライブでは持ち直し、夜はナマハゲを探しに街に出て、ラーメンを食べて帰った。東北のライブが全て終わり、そして東日本が全て埋まった。うっちーが雄叫びを上げた。「季節の変わり目がきつかった!!」と吐露した。知らぬ間に背中に背おっていた透明な荷物を下ろして、わたしも叫んだ。わたしたちは生きている分、ひたすらに疲れていた。
(photography Shiori Ikeno)
*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)