
One of Themの自分語りに意味はあるか?
勤務先が副業を解禁してもうすぐ1年。認可をもらうときに「本業優先」を繰り返し確約させられた手前、「副業でコラム書いています!」と触れ回っていいのだろうかと葛藤することも多い。
とはいえ副業していることをあえて隠したことはないし、そもそも顔も本名(ビジネスネームだけど)も出して執筆している。毎週1~3件のウェブ記事が公開され、SNSの告知投稿にはたくさんの既読がつく。
にもかかわらず、リアルな知り合いたちから感想が届くことはめったにない。自意識過剰を恥ずかしく思いつつ、「みんな、他人が何か書いているなんてことに興味はないんだな…」と残念なようなホッとしたような複雑な気持ちになっていた。
兼業ライターにとって、「リアル知人に読んでもらいたいか」問題はなかなか複雑。特に、私のように会社員として勤務しながら副業で表現活動をしている場合、「勤務先に迷惑をかけてはいけない」「会社員として働いているときとは違う顔(キャラクターや価値観)を見せるのは気まずい」と考えるのが自然なのではないだろうか。
しかし正直、リアル知人が記事を読んでくれるのは素直に嬉しい。自己満足のためではなく、明確に「誰かに読んでほしくて」書いているのだもの。ペンネームを使わず、勤務先情報以外はほぼ自己開示しているのも、誰でもない「私が」何を読み何を考えているのかを書きたいという強い思いがあってのことだ。地方都市出身の中流家庭育ち、ザ・JTC勤務の量産型サラリーマンという「One of Them」に過ぎないのはよくよく承知している。書いたものが黒歴史になる可能性が高いことも、誰よりも分かっている。でも、それでも書きたいのだ。
『ヒルビリー・エレジー』(J・D・ヴァンス著、関根光宏・山田文訳/光文社みらいライブラリー)を読んで、「One of Themによる自分語り」の持つ意味について改めて考えさせられた。
著者のJ・D・ヴァンスはご存じの通り、今やOne of Themなんかではない。39歳にしてあのトランプからパートナーに指名された、泣く子も黙るアメリカ副大統領だ。
本書は、J・D・ヴァンスが31歳の頃に書いた、自身の半生を振り返る回顧録。イエール大学のロースクールを卒業したエリート弁護士だった彼は、ラストベルトと呼ばれるアメリカ北西部の貧困地域で生まれ育った。アルコール中毒の祖父と、祖父を焼き殺そうとした祖母、結婚と離婚を繰り返す薬物中毒の母、数えきれない異母・異父兄弟姉妹たち。子どもにとって悪影響ばかりの環境で育つことになったJ・D・ヴァンスは、ヒルビリー(田舎者)にとってアメリカンドリームなんて夢物語だと痛感する。
私はついに怒りを爆発させた。「クリーンな小便が欲しいんなら、つまらないことはやめて、自分の膀胱からとれ」そう言ってやった。祖母にも、「ばあちゃんが甘やかすからいけないんだ。30年前にちゃんと止めておけば、自分の息子にクリーンな小便を」―せがむようなやつにはならなかったんじゃないのか」と言った。――『ヒルビリー・エレジー』より
J・D・ヴァンス自身は、誇り高きヒルビリーである祖母のおかげで非行の穴に落ちることなく学ぶことができ、海兵隊入隊を経てオハイオ州立大学に入学。奨学金などのサポートを受けて最終的には弁護士資格を得ることになる。その後、政治の道へ進んだ彼の立身出世ストーリーは多くの人が知るところだ。
2016年に刊行された『ヒルビリー・エレジー』は、アメリカの白人労働者階級のリアルを描く一冊としてベストセラーとなった。世界中の人々が抱いていた「トランプはなぜこれほどまでに支持を集めるのか?」という疑問に答える一冊だったとも言えよう。そして、泥沼のような環境から幸運と努力で「いち抜け」したエリートの自分語りでもある。
三十路そこそこでここまで世界中で読まれてしまう自叙伝を書いてしまったことを、彼自身はどう感じているのだろうか。「こんなもの書かなければよかった。黒歴史だ」と思う気持ちは1ミリもなかったと言えるのだろうか。
私は上院議員でもなければ、州知事でも、政府機関の元長官でもない。10億ドル規模の会社の創業者でもなければ、世の中を変える非営利団体を立ち上げたわけでもない。やりがいのある仕事に就き、幸せな結婚をして、気持ちよく暮らせる自宅があり、元気のいい犬を2匹飼っている。それだけの人間だ。――『ヒルビリー・エレジー』より
執筆当時、彼は星の数ほどいる無名のエリートの一人でしかなかった。
彼がどれほどの野心を持って本書を書いたのかは分からない。政界進出は、その時点ですでにあった構想なのだろうか? ただ恐らく、本人も出版エージェントもここまでの大ヒット・ロングヒットは予想していなかっただろう。それほどまでに本書は広く読まれ、国境や階級を超えて、多くの人々の心に共鳴した。
生まれや育ちが、外からは見えない縄として自分の首や手足をキリキリと締め上げるあの感じ。自分のちっぽけさに悲しくなる夜。政治や法律が自分の方を向いていないことに気づいた時の絶望。夢を叶えるためには捨てないといけないのに、どうしても捨てられないしがらみへの愛着。多くの人が抱えているエレジーが、本書によって呼び覚まされたのだ。
ゆとり世代のJTC兼業会社員・DINKS(仮)アラフォー女である私。
毎日しんどいことばかりだ。都内のマンションは高すぎて買えない。物価高も円安も止まらない。地方に住む高齢の家族とは滅多に会えない。職場では、昭和オジサンの放言に傷つけられながら、庇ってあげていたつもりのZ世代が背後から刺してくる。会社員としては働き盛りの管理職手前、今こそ更にブーストをかけて働くべきではという思いと、ライターとしてもう一段成長したい・チャレンジしたいという思いが、日々の時間を奪い合っている。そしてそこに、「このまま仕事と読書にうずもれる人生で本当にいいの?」という天の声まで響き渡って脳内は大騒ぎ、常にカオス状態だ。
……そんな中で、泣きながらサバイブしている自分を認めてあげたい。なんとか進歩しようともがいている歩みを誰かに見てほしい。
後にアメリカ副大統領になるような人に比べればささやかではあるが、自分もそんな個人的なエレジーをどうしてもどうしても歌いたくて、今日もパソコンの前に座るのだと思う。
コンサバ会社員、本を片手に越境する

筋金入りのコンサバ会社員が、本を片手に予測不可能な時代をサバイブ。
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