ユーモアのセンスは学べるか?
裏表の無さは、私のチャームポイント。ミステリアスとは無縁の一反木綿のようなぺらぺら人間、それが私。卑屈になっているわけではなくて、むしろ自慢だと思ってこれを書いている。
こんな風に自分のことをネットで綴っているのもなかなか厚顔だなと思うが、背伸びし過ぎず自然体で生きるのがストレスを減らすライフハックだと信じて疑わない。一度見栄を張るとあとが大変だもの。欠点も隠さずさらけ出すことで、他の人も(内心呆れつつだとは思うが)フォローしてくれるし。
……しかし、そんな私にも隠しておきたい欠点はある。それが、「ユーモアのセンスがあまり無いこと」。
先日、新旧上司と飲みに行く機会があった。
新天地で苦労しているらしい旧上司と、初めて管理職になり洗礼を受けているらしい新上司。私の案件クローズのお祝い会だったにも関わらず、その話はほとんどせず、お二人の近況を聞く会になってしまった。
それ自体はまったく問題なくて、むしろ興味津々だった私。そもそも、人一倍どころか人五倍くらい奥ゆかしく、普段は自分のことそっちのけで他人のために働く二人なのだ。いや~、管理職って大変なんだなと恐れおののきつつ閉店時間ぎりぎりまで話し込み、最後は店員さんに追い出される形で店を出た。
帰り道、ほてった頭を冷やそうと最寄り駅の一つ手前で下車。めっきり涼しくなった秋の風を感じながら歩いて帰った。歩きながら考えていたのは、「どうすれば現実と自分をほどよく切り離せるか」ということ。
それなりに一生懸命働いていると、どうしても仕事と自分の境目が曖昧になる。
仕事の不調が自分の不調にダイレクトに繋がっていて、家に帰った後も頭の中は仕事のことでいっぱい。悶々としながら風呂に入り、鬱々としながら眠りにつき、晴々とは遠い心境で目を覚ます。せっかく気晴らしに飲みに行っても、ついつい仕事脳で会話してしまう。
そんなときに必要なのが、ユーモアのセンスなんじゃないか。
フッと笑わせ、気持ちを現実からそらす「ズラしの技術」。周囲を見ていても、上手に気分転換できる人・バランス感覚の良い人はユーモアのある人ばかりだ。そういう人が近くにいるときは、私も肩の力がほどよく抜けて、風通しの良い頭と心でいられている気がする。
ひた隠しにして37年生きてきたが、私にはユーモアのセンスが不足している。場に水を差すのは割と得意だが、それはもっぱら「毒」を使うもので、褒められたものではない。毒舌や悪口・いじりというのはもっとも安易で且つ使用が難しいもので、超高度のリテラシーとセンスと立場とキャラクターを持ち合わせてる人以外は使うべきではないものだ。分かっていながら安きに流れる私……。ダメ、絶対。
ああ、私にもっとユーモアのセンスがあれば。新旧上司の気持ちを軽くし、もっとゆるく明るい会にできたのかもしれない。いや待てよ、あの二人こそいい年して堅苦しすぎるんじゃないだろうか。もっとユーモアのセンスを磨いてほしいもんだ。(これが毒)
ユーモアが学べるものなのかは分からないが、とにかく助けを求めて本棚を眺める。
『日本世間噺大系』(伊丹十三/新潮文庫)
「そうですかねえ」
「そうとも。家の中で客にスリッパを出すなんぞも大いに肋骨だ」――『日本世間噺大系』より
映画監督・作家の伊丹十三は、本業はもとより料理やファッションにも一家言あるセンスの塊のような人。そんな彼が集めた、古今東西の世間話詰め合わせ。初めて西洋式馬車を準備することになった宮内庁が考案した「肋骨型の礼服」、プレーンオムレツの焼き方で原稿30枚にしようとたくらむ文筆家……。学びとかメリットとかコスパとかでは測れない、ちょっとしたユーモアのありがたさを実感できる一冊。
『挨拶はたいへんだ』(丸谷才一/朝日文庫)
立派な賞をいただいて喜んでゐます。大江健三郎さんから褒められるのも、いい気持でした。そこで嬉しさのあまり、現代日本文学と短編小説について論じつづけること三十分か一時間、挨拶の仕方なんで本を書いた奴だけあるなあ、と感心させたいのは山々ですが、でも、今日はもう、スピーチにはすつかり堪能なさつたことでせう。これでよします。
本当にありがとうございました。――『挨拶はたいへんだ』より
村上春樹さんの谷崎賞贈呈式での選考委員祝辞、色川武大さん葬儀での弔辞、中村紘子さんのピアノリサイタル後のパーティでの祝辞、ドナルド・キーンさんの喜寿の会での祝辞……。作家の丸谷才一さんが多種多様な集まりで披露したスピーチを集めた一冊。ユーモアとウィットあふれるシャープなスピーチ原稿の中でも、ご自身が主役の授賞式での受賞者挨拶が一番短いのがさすが。井上ひさしさんとの特別対談も必読。
『たいした問題じゃないが―イギリス・コラム傑作選―』(行方昭夫編訳/岩波文庫)
これには仰天した。こんな辺鄙な所にシャーロック・ホームズがいたのだ。――『たいした問題じゃないが―イギリス・コラム傑作選―』より
イギリス人のユーモアといえば、アメリカ人のようなあけっぴろげな笑いではなく、少しわかりにくいひねった言い回し。そんなイメージそのものがつまったエッセイ・アンソロジー。キャンディーへの愛の変遷、朝寝坊する人の長い言い訳、自分も知らなかった習慣を見抜いたホテルのボーイ……。さらっと読んでしまうとどこが面白いか分からないが、何度か読み返してみるとなんだかじわじわと味わい深い。そんなユーモアに出会える一冊。
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