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避赤地

2025.09.12 公開 ポスト

七月のわだちたちマヒトゥ・ザ・ピーポー

「ゴールはどこだい?」

どこなんだろう?目的地と出発地がまた体勢をいれかえた。おかえりと開いた手がもうさよならと横に振ってる。そうか、もう出発か。荷物を車につめ、聞き覚えのあるエンジンの音を枕にしてわたしたちは走り出す。

 

5/30千葉LOOK、この日ははじまりだった。対バンのANORAKがリハ前にセトリを決める声が聞こえてくる。「ゲザンのダンスの客もくると思うから、踊らせよう」近年のGEZANのダブなどのセトリを意識しての発言だろう。その読みは外れで、我々はギターロックを初っ端からやるつもりだった。楽屋に貼られたパスと傷んだ床が歴史を咆哮している。ライブが終わるとチケットを買って来ていたまちゃまちゃが揚々と「ここは私の庭みてえなもんなんで」そう言い、打ち上げに一同を引きつれる。

翌日は栃木でTOYOと演奏した。首が痛く、コルセットをつけてリハをしたら喉が締められ、えずいたので速攻で投げ捨てる。

TOYOの異国情緒のせいか、知らない街にのびる知らない電灯に酔っ払ってる足元。同じ乾杯でも同じわたしじゃない。

札幌ペニーレーン、group_inouとの満ぱんのフロアに混乱した夜をいくつも過ごしたOCCAとの共演。いつもバンドやクラブの境界なく夜を抱きしめてくれる札幌の懐を信じ、クールにいこうと思った。フロアの音楽偏差値なるものも信頼していた。信頼を曖昧に解釈しかえた自分たちは何も用意せず出たとこ勝負で波にのろうとした。波には鋭利な罠が仕掛けられていた。ベースの弦が二度切れ、ゆがむチューニング、度重なる機材トラブルでセトリは変わっていく。それをライブの生感ととらえる感想もわかるが、その日はたくさん酒を飲んでススキノで白けた朝日を睨んだ。

西から太陽が上がる中、方針が見えてきた。浮き彫りになるツアーの背骨、わたしがファズと呼んでいたものの正体について。

「貪欲に露骨にほしいものを求めていこう」

広島はセトリの頭に「absolutely imagination」を持ってくる。フロアと対峙するための決意表明だった。対バンのkotoriと小雨が降る中、屋上で深呼吸する。ヨコチンが着ていた古いGEZANのTシャツが少しよれてて時間の経過を知らせてくる。彼らはステージでバンドをしていた。ちゃんと音で交渉している。

山口、suisenoboazと回った。壁に書かれたいつかのサインが語りかける。「ご無沙汰してんじゃねえか。売れたら来なくなるとかそういうあれですか?」

ここでライブをするバンドマン全てに言いたい。天井についてるジャングルジムについてるみたいな棒、あれをうまく使え。あの棒を制するものが印度洋を制する。そこいらの箱にある掴まっちゃいけない棒とは違う。そこに住むことも可能なほどの安定感でお前の宙吊りの体を支えてくれるだろう。

店長の印度さんが武道館のポスターを額装してくれた。Acid mothers templeとLIP CREAMのポスターの間に貼ってくれた。わたしは墓には祈らない。この暗がりに礼をする。そうして帰ってくる理由が生まれる。

香川高松に向かう。八雲が先日から調子を崩している。伏せ目がちで何かをいつも考えこんでいて、リハでついに言い合いになる。札幌でのライブ以降、ベースの弾き方について、必要以上に過敏になっている感じだ。リハが終わった後公園に集合し四人だけでミーティングをする。公園から帰ってくる八雲の顔を見て、スタッフのマイマイが「どんな魔法つかったの?」と聞いてくる。メソッドなどなく、バンドにはバンドの中だけで成立する鼓舞がある。

八雲はベースを突き立ててフロアを煽る。スランプを抜け出しライブの中で精神を取り返した瞬間を間近で見た。無論、SNSにはいちいち残らないが、確かに存在したドキュメントだった。びちゃびちゃの楽屋でボアズは笑ってる。

この後六月の後半はドイツでのライブをはさむが、これはちょっと簡単には集炎ツアーの日記にまぜられないもので、いつか書くかもしれないけど、とりあえずわたしの血に記憶させておいた。必ず何かしらの形で記憶から花が咲くだろう。

7/12は東京のEASTで青葉市子と対バンだった。NUUAMMとして旅を続けているがGEZANとの旅もそれと混ぜられないものとして存在していた。オファーして10秒後くらいに帰ってきたボイスメモの「青葉市子、出まーす」

あの速度に交換してきた信頼と今の市子のしがらみを貫通する自信に溢れた機動力を感じた。「light cruzing」という昔の曲をカバーする中で、降ってきた歌詞はかつてのわたしからの手紙だった。こんな風にして人は誰かと関係しながらふとした時、思いもよらぬ方法で自分自身に出会い直すことになる。バラバラになった鏡の破片は枕の裏に、朝方の道玄坂の地面に、時空の隙間に散らばっていて、そこに未来や過去のわたしがうつされている。

7/15は埼玉ヘブンズロックでmoreruと5000とライブをした。不思議な空気につつまれるライブ前の楽屋。イヤホンをした夢咲が臆することなく楽屋でライブのボリュームで歌の練習をしている。手を取り合い、褒め合い肩を組むことだけが対バンではないよな。

「GEZANを殺せるの俺らだけなんで」そんなMCを聞きながら、叩きつける音を眺めてる。5000のアグニは翌日の大学受験の勉強を本番直前まで楽屋でしている。一体これはどんな日なんだ。

7/17は前橋でkilikilivillaの安孫子さんの企画の日だった。糸がほどけていき、手のひらで眺めながら、それが緊張の糸だと気づいた。CAR10はいつも、いつも通り音楽と暮らしている。健全な生き物は安心する。

ゆっくり走れはリハでやった演奏の何倍も本番で気張り、その分だけ音は暴れて奥ばってたけど、そのどんづまった姿までもが美しかった。メンバーは3人だが、ルームメイトたちを引きつれ10人で会場入りした。そのカメラクルーの一人、10代のいつきがライブ後汗だくで楽屋に帰ってきて、ハンディカムをいじりながら別のカメラクルーに言った。「最前おったけど電源切れて撮れてなかったわ。けどそれくらいいいライブやったってことやんな?」そんな台詞を悔しそうに言うのを見て、今日は完璧な日だと確信した。「何しに来たんだ?」なんて野暮なこと言う奴はこの空間にはいない。全員バカだ。

この日は青のチューニングに全てをよせる。ルーパーを繋がずにギターのみを弾き続けた。

7/19は名古屋クアトロでNOVEMBERSとだった。けっこう久しぶりでその間、何もなかったわけでもないけどわざわざ表だって書くことじゃないから割愛する。そもそもオファーする自分もすごいけど受けたNOVEMBERSもすごい。小林くんと楽屋で会うが共通の知人の話などをしてその件には触れず、ライブははじまる。ライブ後半、小林くんはMCで語る。「マヒト君の子どものような目を見ると見透かされてるようで緊張する」みたいな内容だったと思う。ちゃんと対峙してくれてありがとう。音楽家はステージの上で返答する。フロアいっぱいのみんなに話す中で自分にだけわかるように二つの対象へと語りかける。矛盾ともいえる相反した二つを平気でやってのけられる。音楽のステージには一体どんな魔法があるのだろう?

山梨カズーホールではんoonと一緒だった。こんな歪な形状で成立していること、その姿を頼もしく同士だと思う。Million Wishでも活動を共にしたJCがステージでつむぐ言葉はどれも胸に刺さりすぎて、フロアにいるわたしの心は柔らかく潤んだ。今日ここは安全な場所だ。そう思ったのにステージの上で心が跳ねない。叩いても揺さぶっても何も感じない。感じるっていうのはとても不思議なバランスでできている。大切な日だから大切相応に動くわけでもないし、生き物である以上、突然の雨に打たれることがある。心ってのは難しい部位だ。

焦らない。焦らないでいい。ライブ終盤、JCがゲストで参加してくれるあたりで家出をしていた心が何も挨拶なく帰ってきた。おかえり。奴はこちらに目もくれず静かに頷いた。

7/23松本アレックスでサニーデイサービスと一緒だった。長野って海あったっけ?ってくらいびちゃびちゃの曽我部さんの背中が楽屋に帰ってきて、わたしたちも続けて海の日をやった。わたしはあの湿っけた時間凄まじい情報量を交換してると思う。音楽のジャンルに優劣はないが発汗の量においてロックというジャンルは圧倒的に長けているのだと思う。世界中でロックフェスが人を集めるのも根源的な力があるからなんだ。

7/29水戸ソニックでドドイッツとDJのAKIMくんと風鈴の音色に包まれた商店街で妖怪のような夏を共にすごす。地元を知ってる人と歩く街はなんて楽しいのだろう。軽やかになった足取りが夏のあれこれに期待してる。

7/31横浜FADにてドレスコーズと対バンする。ツアーの中でも一番チケットがとれない日だった。両者に求めている何かがあるのだろう。楽屋で志摩くんが大量のスプレーで髪の毛をセットしながら、武道館についての想いをこぼす。立体的になっていく気配の中、今はじめてこの人とちゃんと会話をしているなと思った。それだけでもうよかった。

年齢やキャリア、出会い方や切り取り方、敵になるか味方になるかなんて本当に紙一重で、時のいたずらと翻弄されるわたしたちがいるだけなんだと日々思う。フィルターのない真っ新な客観性なんてなく、ただ魂のひらめきに沿ってわたしたちはピアノ線の上を片足で歩き、そしていつも必ず、選択している。

moreruの夢咲が遊びにきていて、終電を逃しそのまま中華街に行った。このあたりで首はピークに痛み、その晩は痛みで眠れなかった。走馬灯が渦巻き、痛みの中で過去が割れて、あらゆる黒い時間が集結して寝込みを襲う。

「お前には無理だ。身の程知って、さっさとアングラに帰れ。」

「うるせーな」

「心地よい場所に戻れよ。痛みでもって教えてやってんだよ。」

「だからうるせーっつーの」

「理由を用意して逃げるのはお前の一番得意なことだろう?使えよ。」

「だまれ。その喉噛み切るぞ」

「じきにお前は動けなくなり、歌えなくなる。時間に負けるんだ。その未来のビジョンを先行で見せてやってるんだ。それでも警告音を掻き分けて未来にいきたいなんて思うか?」

「たのむからしずかにしてくれ」

(photography  Taro Mizutani) 

*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)

関連書籍

マヒトゥ・ザ・ピーポー『銀河で一番静かな革命』

外国に行ったことのない英会話講師のゆうき。長く新しい曲を作れていないミュージシャンの光太。父親のわからない子を産んだ自 分を責め続ける、ましろ。大事なことを決めるのはいつも自分以外。人生の終わりも、突然の「通達」で決められてしまった。でも最後 くらい「自分」を生きたい ――。単調な日々の景色が鮮烈に変わる、美しく切ない終末小説。

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避赤地

存在と不在のあいだを漂うGEZANマヒト、その思考の軌跡。

バックナンバー

マヒトゥ・ザ・ピーポー

ミュージシャン。2009年に大阪にて結成されたバンド・GEZANの作詞作曲を行いボーカルとして音楽活動開始。
2014年からは、完全手作りの投げ銭制野外フェス「全感覚祭」も主催。自由に境界をまたぎながらも個であることを貫くスタイルと、幅広い楽曲、独自の世界を打ち出す歌詞への評価は高く、日本のカルチャーシーンを牽引する。
著書『銀河で一番静かな革命』『ひかりぼっち』、絵本『みんなたいぽ』(絵:荒井良二)。映画監督作品『i ai』がある。

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