
池袋のリブロは幾度かの移動や増床を繰り返したのち、約1000坪の大型書店として、西武池袋本店の別館・書籍館に店を構えていた。しかしわたしが店に加わった数年後、同じ西武池袋本店の本館上層階に、小さな店ではあったが、三省堂書店が出店することになった。
リブロは西武百貨店の書籍売場が母体となった書店チェーンで、池袋の西武には1975年から入店している。声をかけるのならまずはリブロだろうし、そもそも同じ百貨店に二つの書店が必要なのか――そのようなことをわたしも部下から尋ねられたし、当の三省堂の社員もそう思っていたと思う。いずれにせよ、最初はうわさ話のようにしか聞こえなかった伝聞が、次第に「やはりアレはほんとうなのか?」といった疑いとなり、いつしか動かしがたい決定事項となるまでに、あと数年を必要とした。
2013年の春、母の体にガンが見つかり、その年は東京と実家のある神戸のあいだを何往復もした。「移動中」の時間では、人はふだん考えないようなことを思いつくものである。どういう作用がはたらきそうなったのかはわからないが、いつしかわたしは会社を辞めて、自分の店を開きたいと思うようになっていた。
翌2014年の正月に母が亡くなり、葬儀を済ませて東京に戻ってきたのち、わたしはその報告ついでに、「会社を辞めようと思ってます」と上司に伝えた。しかし後述する店の契約問題もあり、その時は「もう少し考えてみる」ことになったのだが、それ以降わたしは店にいても、どこかお抱え外国人のように所在がなく、店の去就同様に宙ぶらりんな状態で日々を過ごしていた。
「店の去就」とは、次のようなことだ。
当時、西武百貨店を運営する(株)そごう・西武の親会社は、(株)セブン&アイ・ホールディングスで、その会長は鈴木敏文氏。彼は二大出版取次(本の問屋)のひとつであるトーハンの出身で、そこで流通や小売の仕事に触れたのち、国内屈指のコンビニチェーンを育て上げた立志伝中の人物である。そんな氏の経営する企業に入っている書店は、すべからくトーハン帳合でなければならない――鈴木さんがそう声を荒げたかどうかはわからないが、その顔色を窺わざるをえない百貨店の人間としては、トーハンのライバル会社である日販帳合のリブロは、「改善が必要な事案」だったのではないか。加えてリブロはすでに日販の子会社となっていたから、リブロが取次を変更することも無理な話であった。
そうした商売の本筋とは関係ないことが、売上もわずかながら伸びていた池袋リブロのテナント契約更新を難しくしていたのだ。それでもわたしのような根がお気楽な人間は、いまだ一縷の望みを捨て切れずにいたが、幾度かの交渉を経ての回答は「ノー」。その理由は決して明かされることなく、2015年の契約満了をもって、リブロは40年のあいだ店を構えていた西武池袋本店から退店することになった(なお鈴木敏文氏は2016年にセブン&アイの会長を退任。そごう・西武も2023年、アメリカの投資ファンドであるフォートレス・インベストメント・グループに売却されており、そうした因果を考えると、空しい気持ちにならざるを得ない)。

それ以降、2015年7月20日の閉店までに起こった出来事は、これまでも何回か本や雑誌に書いてきたから、ここでその詳細は割愛する。しかし自分たちのアタマの遥か上で何が起きたのかは知らなくても、店の閉店は、アルバイトから店長まで、みなこの店と仕事が好きなんだということをはっきりとさせ、それがこの間起こったいちばんよかったことである。
わたしも店の片づけが終わったら会社を辞めることが決まっていたから、どこか清々しい気持ちでいた。このたびの契約騒ぎで、会社というものの宿痾をいやというほど見せられたから、これ以降は何をするにしても、個であることを大切にしようと心に決めた。
リブロの跡地には、そのまま三省堂書店が入ることになり、店内の商品をすべて引き上げたある日、倉庫のカギを渡して引き継ぎを行った。
引き継ぎに来た三省堂の社員の中には、内田剛さんなど見知った顔もいて、いまは踊り子をしている新井見枝香さんには、そのときはじめて挨拶したと思う。彼女はどのような顔をしてそこにいたらよいのか迷っている様子だったので、わたしのほうから「イベントは、やろうと思えば何でもできる店だよ」と声をかけた(彼女が「新井賞」という試みや、イベントをたくさん行っていることは知っていた)。「まあ、百貨店は面倒だけど」と言うと、彼女は「うん」とうつむきながら笑った。
いまでも時おり、かつて池店にいたスタッフがTitleまで来ることがある。彼らは、わたしがスーツではなくジーンズにTシャツで、そして何食わぬ顔をして接客していることに対し一瞬とまどいの表情を見せるが、どうやらこの状況を面白いと思っている様子である。みなわたしのことを「マネージャー」とは呼ばず、「辻山さん」と呼ぶ。そしてわたしも、そう呼ばれることのほうがずっと好きである。
今回のおすすめ本

『あなたに犬がそばにいた夏』岡野大嗣=短歌 佐内正史=写真 ナナロク社
人は誰かの住んでいる街や持っているものを、うらやましく思ったりするものだけど、この本ではどこにでもある光景が、手に届くか届かないくらいのあいだで煌めいていて、いまここにあるものを、そのまま見れば十分なんだということが伝わってくる。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2026年2月6日(金)~ 2026年2月24日(火) 本屋Title2階ギャラリー
『パタパタどうぶつえん』(岡田善敬 作/タケウマ 絵/ブロンズ新社刊)の出版を記念して、原画展を開催いたします。原画の展示をはじめ、お二人の書籍やグッズの販売、タケウマさんの複製原画の販売も行います。ぜひ足をお運びください。
◯2026年2月27日(金)~ 2026年3月16日(月) 本屋Title2階ギャラリー
霧やもやをテーマにした新作の版画展。霧に包まれた幻想的な風景や、ぼんやりと現れたり消えたりする幻のようなものをイメージして描きました。今回の展示では、版を分けて奥行きを出し、輪郭をぼかして刷ったりするなど、あらたな制作方法にもチャレンジしています。
版画の展示・販売のほかに、これまで作ってきた手製本やポストカードなども並びます。ぜひご覧いただけましたらうれしいです。
◯2026年3月12日(木) 19時30分スタート/21時頃終了予定 Title1階特設スペース
これまでの本屋、これからの本屋
『本のある場所を訪ねて』刊行記念 南陀楼綾繁トークイベント
編集者・ライターとして35年以上にわたり出版の現場に携わってきた南陀楼綾繁さんの新刊『本のある場所を訪ねて』(教育評論社)が発売になりました。2019~2025年にかけて各地の書店や出版社を訪ね歩き、そこで働く人たちの声や営みを記録した1冊です。
本書の刊行を記念して、「これまでの本屋、これからの本屋」と題した対談を行います。
かつてはチェーン店の書店員、そしてこの10年は本屋Titleを営んできた店主の辻山を相手に、本屋とはどのような場所であり得るのか、そしてこれからどう変わっていくのかを語り合います。
【『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売中です】
本屋Titleは2026年1月10日で10周年を迎えました。この度10年の記録をまとめたアニバーサリーブック『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になりました。
各年ごとのエッセイに、展示やイベント、店で起こった出来事を詳細にまとめた年表、10年分の「毎日のほん」から1000冊を収録した保存版。
Titleゆかりの方々による寄稿や作品、店主夫妻へのインタビューも。Titleのみでの販売となります。ぜひこの機会に店までお越しください。
■書誌情報
『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』
Title=編 / 発行・発売 株式会社タイトル企画
256頁 /A5変形判ソフトカバー/ 2026年1月10日発売 / 800部限定 1,980円(税込)
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
養生としての〈わたし〉語り|〈わたし〉になるための読書(8)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は、話すこと、そしてそれを通じて自分自身を考えさせられる3冊の本を紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。















