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本屋の時間

2025.08.15 公開 ポスト

第179回

池店での日々(後編)辻山良雄

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池袋のリブロは幾度かの移動や増床を繰り返したのち、約1000坪の大型書店として、西武池袋本店の別館・書籍館に店を構えていた。しかしわたしが店に加わった数年後、同じ西武池袋本店の本館上層階に、小さな店ではあったが、三省堂書店が出店することになった。

 

リブロは西武百貨店の書籍売場が母体となった書店チェーンで、池袋の西武には1975年から入店している。声をかけるのならまずはリブロ(、、、、、、、、、、、、、、)だろうし、そもそも同じ百貨店に二つの書店が必要なのか――そのようなことをわたしも部下から尋ねられたし、当の三省堂の社員もそう思っていたと思う。いずれにせよ、最初はうわさ話のようにしか聞こえなかった伝聞が、次第に「やはりアレはほんとうなのか?」といった疑いとなり、いつしか動かしがたい決定事項となるまでに、あと数年を必要とした。

 

2013年の春、母の体にガンが見つかり、その年は東京と実家のある神戸のあいだを何往復もした。「移動中」の時間では、人はふだん考えないようなことを思いつくものである。どういう作用がはたらきそうなったのかはわからないが、いつしかわたしは会社を辞めて、自分の店を開きたいと思うようになっていた。

翌2014年の正月に母が亡くなり、葬儀を済ませて東京に戻ってきたのち、わたしはその報告ついでに、「会社を辞めようと思ってます」と上司に伝えた。しかし後述する店の契約問題もあり、その時は「もう少し考えてみる」ことになったのだが、それ以降わたしは店にいても、どこかお抱え外国人のように所在がなく、店の去就同様に宙ぶらりんな状態で日々を過ごしていた。

「店の去就」とは、次のようなことだ。

当時、西武百貨店を運営する(株)そごう・西武の親会社は、(株)セブン&アイ・ホールディングスで、その会長は鈴木敏文氏。彼は二大出版取次(本の問屋)のひとつであるトーハンの出身で、そこで流通や小売の仕事に触れたのち、国内屈指のコンビニチェーンを育て上げた立志伝中の人物である。そんな氏の経営する企業に入っている書店は、すべからくトーハン帳合でなければならない――鈴木さんがそう声を荒げたかどうかはわからないが、その顔色を窺わざるをえない百貨店の人間としては、トーハンのライバル会社である日販帳合のリブロは、「改善が必要な事案」だったのではないか。加えてリブロはすでに日販の子会社となっていたから、リブロが取次を変更することも無理な話であった。

そうした商売の本筋とは関係ないことが、売上もわずかながら伸びていた池袋リブロのテナント契約更新を難しくしていたのだ。それでもわたしのような根がお気楽な人間は、いまだ一縷の望みを捨て切れずにいたが、幾度かの交渉を経ての回答は「ノー」。その理由は決して明かされることなく、2015年の契約満了をもって、リブロは40年のあいだ店を構えていた西武池袋本店から退店することになった(なお鈴木敏文氏は2016年にセブン&アイの会長を退任。そごう・西武も2023年、アメリカの投資ファンドであるフォートレス・インベストメント・グループに売却されており、そうした因果を考えると、空しい気持ちにならざるを得ない)。

それ以降、2015年7月20日の閉店までに起こった出来事は、これまでも何回か本や雑誌に書いてきたから、ここでその詳細は割愛する。しかし自分たちのアタマの遥か上で何が起きたのかは知らなくても、店の閉店は、アルバイトから店長まで、みなこの店と仕事が好きなんだということをはっきりとさせ、それがこの間起こったいちばんよかったことである。

わたしも店の片づけが終わったら会社を辞めることが決まっていたから、どこか清々しい気持ちでいた。このたびの契約騒ぎで、会社というものの宿痾をいやというほど見せられたから、これ以降は何をするにしても、個であることを大切にしようと心に決めた。

リブロの跡地には、そのまま三省堂書店が入ることになり、店内の商品をすべて引き上げたある日、倉庫のカギを渡して引き継ぎを行った。

引き継ぎに来た三省堂の社員の中には、内田剛さんなど見知った顔もいて、いまは踊り子をしている新井見枝香さんには、そのときはじめて挨拶したと思う。彼女はどのような顔をしてそこにいたらよいのか迷っている様子だったので、わたしのほうから「イベントは、やろうと思えば何でもできる店だよ」と声をかけた(彼女が「新井賞」という試みや、イベントをたくさん行っていることは知っていた)。「まあ、百貨店は面倒だけど」と言うと、彼女は「うん」とうつむきながら笑った。

 

いまでも時おり、かつて池店にいたスタッフがTitleまで来ることがある。彼らは、わたしがスーツではなくジーンズにTシャツで、そして何食わぬ顔をして接客していることに対し一瞬とまどいの表情を見せるが、どうやらこの状況を面白いと思っている様子である。みなわたしのことを「マネージャー」とは呼ばず、「辻山さん」と呼ぶ。そしてわたしも、そう呼ばれることのほうがずっと好きである。

 

今回のおすすめ本

『あなたに犬がそばにいた夏』岡野大嗣=短歌 佐内正史=写真 ナナロク社

人は誰かの住んでいる街や持っているものを、うらやましく思ったりするものだけど、この本ではどこにでもある光景が、手に届くか届かないくらいのあいだで煌めいていて、いまここにあるものを、そのまま見れば十分なんだということが伝わってくる。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年8月9日(土)~ 2025年8月26日(火)Title2階ギャラリー

あなたに犬がそばにいた夏展
岡野大嗣の短歌と佐内正史の写真

岡野大嗣と佐内正史の写真歌集『あなたに犬がそばにいた夏』(ナナロク社刊)の刊行記念展。佐内正史の手焼き写真5点の展示販売、岡野大嗣の短歌と書き下ろし作品などなど、本書に描かれる夏の日が会場にひろがります。短歌×写真のTシャツ「TANKA TANG」ほか刊行記念グッズの販売もございます。ぜひ足をお運びください。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】

〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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