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衰えません、死ぬまでは。

2025.07.28 公開 ポスト

最終回「死ぬ!死ぬ!」「死にません!」 後半

おばあさんが、私のほうへ落ちてきた!宮田珠己

老いとともに衰えていく自分の身体と向き合う、宮田珠己さんの本エッセイも、ついに最終回。

人生において「一番幸せな最期とはどんなものか」に想いを馳せました――。

*   *   *

先日、ある街を散歩していて、ちょっとしたハプニングがあった。そこは坂が多いことで有名な街で、私は編集者と狭い路地裏の階段を上っていた。

階段の上部では、おばあさんが箒を手にし、階段を掃いていた。

 

と次の瞬間、おばあさんがバランスを崩し、私のほうへ落ちてきたのである。たぶん、われわれが通過するので道を空けてくれようとして、その際、足腰が弱っていたために腰が砕けてその場に崩れ、崩れた場所が階段だったために、下まで転げ落ちたのだ。

(写真:宮田珠己)

われわれは慌てておばあさんに駆け寄り、頭を打つような音はしなかったので、ゆっくり抱き起こした。

顔に大きな擦り傷ができて血が流れていた。

ただ、それほど転げ落ちたわけでもなく、転んで顔を擦りむいたという程度で、成人や子どもであれば気にしないレベルではあった。

とはいえ高齢者であるから、その程度でも骨折したりしているかもしれず、われわれはおばあさんに声をかけ、どこか痛いところはないか、手は動くかと、あれこれ尋ねた。するとおばあさんは、開口一番こう叫んだのである。

「死ぬ! 死ぬ!」

いやいやいや、そこまでじゃないです。

「死にません!」

私は強い口調で否定した。

「死ぬ! 死ぬ!」

おばあさんは半ばパニックになっていて、そんな不吉な文句をくりかえす。

「このぐらいで死にません!」

「死ぬ! 死ぬ!」

「死にません!」

何度かのそんな応酬のあと、血は流れているし、立ち上がる気力もないようだったので、救急車を呼んだ。

最終的におばあさんは少し落ち着き、擦り傷以外たいしたことはなさそうで、その後は救急隊員の人たちに任せてきたのだが、

「死ぬ! 死ぬ!」

というおばあさんの叫びに近い反応が、忘れられない。

私は表向きは心配しつつ、内心では、

んなことあるかい! と思わずツッコんでいた。

たぶん、おばあさんは日頃から常に死を意識していたのだろう。自分はもうすぐ死ぬんじゃないか、死んだらどうしよう、死にたくない、みたいなことをずっと考えていたのだ。

そうでなければ、最初からいきなりそんな反応はしない気がするのである。

(写真:宮田珠己)

私も、どちらかというと心配症であり、とりわけ将来のお金の心配に余念がないが、このうえ体力や健康の心配をしはじめると、毎日が重苦しいものになっていく。

還暦を迎える少し前ぐらいから、そう、ちょうどコロナ禍の頃から、私は無意識のうちに、老化対策モードに入っていた。

このままでは、どんどん体力が落ちて、健康が損なわれ、仕事はできなくなって、あっという間に寝たきりになる。人生はもうヤマ場を過ぎて、この先面白いことは起こらず、運気も下り坂にちがいない。そう決めつけて、勝手に凹んでいた。この連載自体がそんな動機から始まっている。

ひょっとしたら、それがいけなかったのかもしれない。

体力が落ちたとしても、そのなかで工夫して、やりたいことを続けていく。そんな前向きな姿勢を保ち続けたほうがいいのでは?

この先は短い、老後のお金がない、これ以上新しいことは起こらない……という思い込み。自分はそんな思い込みの中にいた。だって還暦過ぎて体力も落ちてくれば、そうとしか思えないじゃないか。

でも果たして本当にそうだろうか。

何か新しいことを、と身を起こすのは面倒だが、勝手にハマる何かはあるのではないか。

今までと同じように、身の回りに予想もしなかった何かが起きて巻き込まれ、気がつけばその何かにどっぷりハマって楽しんでいるというような、不測の幸運が起こる可能性は、年齢に関係なく、終始一定ではないのか。

情けない話、最近は還暦を過ぎて新しい人生の冒険を始めた人、還暦を過ぎてから成功した人などの事例に、つい反応する癖がついてしまっている。

有名どころでいえば、55歳から全国を行脚し、初めて精密な日本地図を描いた伊能忠敬、老年にいたってから28年間にわたり、失明しても口述筆記で『南総里見八犬伝』を完成させた滝沢馬琴、70歳近くになって『アンパンマン』をヒットさせたやなせたかし、還暦前に時代小説作家に転身し、売れっ子作家となった佐伯泰英、先日は、50歳を過ぎてから巨大な録音機を担いで全国を歩き回り、各地の民謡を採集して『日本民謡大観』という一大データベースを築いた町田佳聲という人物を知った。

彼らに共通するのは、老化の不安や死の恐怖は、当然あったとしても、一方でそれを忘れるぐらいハマるものがあったということだ。

(写真:宮田珠己)

たとえば。余命何年です、と宣告されたとき、即座に、それまでにあれを成し遂げなければ、と思える何かがあるかどうかが、幸運のカギなのかも。

痛い、怖い、苦しい。

でもあれをやらなきゃ、という思いが麻酔のように苦痛を緩和し、それに没頭しているうちに、気づいたら死んでたと。そういうふうに生きられたら楽しい気がする。まあ、実際にそう簡単にいくかどうかはわからないが、死など何も怖くないと本心から思える人以外は、それが一番幸せな最期ではないだろうか。

私は少しずつ、そんな考えに傾きつつある。

筋トレは今も細々と続けている。ときにごっそりサボったりもするが、それでも、やがてまたちょびちょび再開する。そのくりかえし。

自分が還暦という前代未聞の事態に、少しずつ慣れてきた。

この先の未来を、峠を越えた先の下り坂のようにイメージしていたけれど、実際たしかにそうなのだろうけれど、本人の心づもりまでそうである必要はない。まだまだこれからぐらいの気持ちで、さらなる上昇をイメージして生きていれば、たとえそれが錯覚でも、それでいいのではないか。

そしてそれは一部分では錯覚ではないのだ。限定的かもしれないが、ハマっている世界の中で、上昇することはまだできるはず。都合の悪い部分は見ないようにして、調子のいいところだけ見ているうちに気がついたら死んでたという、そういう人生を目指そう。

どうやら筋トレで運気を活性化することを目指した私のたどりついた境地は、そのあたりであるようだ。

(みなさま、最終回までどうもありがとうございました)

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衰えません、死ぬまでは。

旅好きで世界中、日本中をてくてく歩いてきた還暦前の中年(もと陸上部!)が、老いを感じ、なんだか悶々。まじめに老化と向き合おうと一念発起。……したものの、自分でやろうと決めた筋トレも、始めてみれば愚痴ばかり。
怠け者作家が、老化にささやかな反抗を続ける日々を綴るエッセイ。

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宮田珠己

旅と石ころと変な生きものを愛し、いかに仕事をサボって楽しく過ごすかを追究している作家兼エッセイスト。その作風は、読めば仕事のやる気がゼロになると、働きたくない人たちの間で高く評価されている。著書は『ときどき意味もなくずんずん歩く』『ニッポン47都道府県 正直観光案内』『いい感じの石ころを拾いに』『四次元温泉日記』『だいたい四国八十八ヶ所』『のぞく図鑑 穴 気になるコレクション』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』など、ユルくて変な本ばかり多数。東洋奇譚をもとにした初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』で、新境地を開いた。

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