
(撮影:齋藤陽道)
先日店に、母と二十歳くらいの娘といった、二人連れの客がやって来た。何でも娘さんのほうが、春からこの近くに住むことになったようで、今日はその手続きのついでに立ち寄ったという。お母さんは本の好きなかたらしく「近くにこんな本屋さんがあってよかったです」と、まじめな顔で話をされた。
母は娘に好きな本を選ばせようとしたが、娘のほうではあまり気が乗らない様子で、本に触るのもおずおずとといった感じ。それはそうだろう。店で目につくものといえば、少し地味でクラシックな感じのする本ばかり。この世代の子たちがふだん触れているような、賑やかな本が極端に少ないのだから。
ちょっと読みたいものがなかったかなと思い、しばらくしてから店内を見ると、彼女はいつの間にか本を一冊手にしていた。ふわふわ泳いでいた本棚を見る目は、落ち着いた、しっかりしたものへと変わっており、彼女は本を四冊持ってレジまできた。
- 一冊めは、やさしく書かれた政治の本『はじめて学ぶみんなの政治』
- 台湾の文学者による歴史ノンフィクション『台湾海峡一九四九』
- 有名なものだけ揃えている、東野圭吾さん『容疑者Xの献身』
- そしてあとひとつは平積みしていた、ガルシア=マルケス『百年の孤独』
あたりまえといえばあたりまえの話だが、そのときわたしは目のまえの大人しそうな若い人のなかに、これだけの幅広い好奇心が存在していたことに少しだけ感動していた。スタートラインに立ったばかりの、育つのを待つ、小さな湖のことを思い出したのだ。
会計しながら『百年の孤独』を指さし、「ずいぶん難しそうな本を選びましたね」と尋ねたところ、彼女は恥ずかしそうに「面白そうだったから……」とだけつぶやいた。
こうしたことは、わたしの店ではたまにある光景だが、わたしはその度ごとに、自分の仕事を低く見積もっていたのではないかと反省する。
彼女はある国の歴史に興味を持ち、本を手にしたのかもしれないし、それがたまたま友だちのことを思い出させる本だったのかもしれない。また理由はわからないけど、ただ心惹かれたということもあるだろう。いずれにせよ、芽吹いた好奇心を育てる本がこの店のどこかには存在していたということで、それは粘り強く本棚を探してみれば、ふしぎと見つかるものなのだ。
この本を並べていてよかった。
わたしはそう思った。
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で*
本は、一人のひとのなかに存在する、静かな湖の水源だ。その湖をつくるには一冊読むだけでは足りず、本とともに生きていればある日ふと気がつくといったものだろう。しかし物事にはすべて「はじまり」があって、本屋という仕事はそのはじまりに立ち会える、めずらしい仕事でもある。たとえそれがあとから気がつくくらいの、ささやかなものであったとしても。
買った本を、彼女がすべて読み通すかどうかはわからない。しかし「面白そう」と思ってレジまで持ってきた気持ちはほんとうで、彼女にはその気持ちをこれからも大切に持っていてほしい。「面白そう」は、もっとたくさんの「面白そう」に通じていて、火を絶やさなければ、その道は一生続いていくものだから。
*「みずうみ」茨木のり子
今回のおすすめ本
『石垣りんの手帳 1957年から1998年の日記』石垣りん katsura books
詩人の石垣りんは、自らの身辺に起こった出来事を、定年まで勤めあげた日本興業銀行製などの小さな手帳に、簡潔に記していた。ひと文字ずつはっきりと、読みやすい文字で書かれたつつましい日記。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー
「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展
切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。
◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース 19時00分スタート
書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント
2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】NEW!!
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。