
(撮影:齋藤陽道)
わたしがかつて勤めていた書店は、本店だけが飛び抜けて有名で、その他の支店は「えっ、この店も〇〇なの」と驚かれるほど、本店の先進的なイメージが踏襲されていなかった。それはよく言えば自主性にまかせる、実際にはブランディング無視だったかもしれないが、わたしが最初に配属されたのも、近所のかたがサンダル履きで暇潰しにくるような、東京郊外の支店だった。
しかし地方出身者のわたしにとっては、そうした店のほうが性に合っていたのだろう。『コロコロコミック』をひと月に百冊以上紐掛けし、春には学習参考書や辞書が飛ぶように売れていくのを見ているうち(いい時代だった)、本が日常的に必要とされるとはどういうことか、肌で理解することができた。
そしてその店で、店長として働いていたのがYさんである。Yさんは小柄な女性で、郊外のスーパーマーケットでも、毎日白いシャツにタイトなスカート。明るく、そしてサバサバと仕事をしていた(Yさんは叩きつけるように電話を切る癖があり、そのことがわたしたちのからかいのネタにもなった)。わたしはY店長のことが好きで、彼女と一緒にならない曜日など、なんとなく物足りなさを感じていたのだが、それはわたしだけではなく、そのとき店にいた全員が同じだったと思う。偉いひとが視察に来たときなど、Y店長が怒られるようなことはないか――そんなことがあれば許さないぞとばかり――、みなハラハラと状況を見守っているのであった。
だが、そうしたおだやかな時間も三年が過ぎ、わたしはついに、地方にできた新店に異動となった。Yさんは、息子を送り出す母親のように心配し(たぶん)、それ以降も折にふれて手紙をくれた。ある年の年賀状には「辻山くんと働いたことは、わたしにとっても誇りです」と小さく書かれていて、わたしは遠く福岡のワンルームマンションで、その葉書をうれしく何度も読んだと思う。Yさんは忙しかっただろうに、福岡で行ったわたしたち夫婦の結婚式にも、東京からわざわざ足を運んでくださった。
さて、最初の異動から九年が経ち、わたしは東京に戻ると、池袋にあった本店で勤務することになった。
そして会社のほうでも、その間様々なことが変わった。
まず長年功績のあったベテランの社員が役職から外され、ヒラの社員として各店舗に配属された。わたしのいた会社に限らない話だが、当時そうしたソフトなリストラが行われていたのだ。わたしは彼らと入れ替わるように本店のマネージャーに昇格したが、各フロアを周ると、これまで先輩として接してきた人たちが黙々と作業をしており、彼らはわたしの顔を見ると、ふと視線をそらすのであった。
そしてあるときYさんも、事務所のスタッフとして本店に配属になった。わたしたちが事務所で顔を見合わせた瞬間、どちらともなく、「いやー……」という苦笑いがこぼれた(それ以外にどんな顔をすればよかったというのか)。Yさんはわたしのことを以前のように「辻山くん」とは呼ばず、少し距離をおくように「辻山さん」もしくは「マネージャー」と呼ぶようになった。机に向かう彼女のうしろ姿は、前にもまして小さく見えたが、たまに事務所で二人きりになったときなど、お互い試すように少しずつ、以前のような気さくな口調で話をするようになった。
そうした悲喜こもごもはあったのだが、その後結局、わたしたちが働いていた店自体がなくなることになった。その時わたしも会社を辞めて自分の店をはじめることになり、役職というものとは関係がない身分になった。そのことがまだ同じ会社に勤めている人から、どのように映るのかはわからない。しかし彼らは思い出したように、それぞれわたしの店まで来てくれた。多くの場合、感想を話すことはなく、共通の知り合いの話をして帰るだけ。そのあとはそれきり音沙汰がない。
わたしはここで、文句を言いたいわけではない。お互い進んだ道が違うのだから、その距離は「そういうものだ」と、耐えて受け取るべきなのだろう。
YさんもTitleが開店してしばらく経ったあと、一度店まで来てくれたことがあった。しかし狭い店の中では、何となく居心地が悪そうで、そんなに長居はせず帰られたと思う。それはさすがに、少しこたえた。
でも、わたしは知っているのだ。
この先わたしがうまくいかなくなったとしても、Yさんだけはわたしのことを、どこかで気にかけてくれていることを。もう何年も会っていなくても、わたしはそのことだけは、不思議と確信している。
Y店長。ぼくはいまでも変わらず、元気にやっていますよ。
今回のおすすめ本
『デレク・ジャーマンの庭』デレク・ジャーマン ハワード・スーリー=写真 山内朋樹=訳 創元社
庭とは、それをつくる人が手を丹念に入れた王国である。荒涼とした大地に忽然と現れた独自の生態系。その信念とセンスに打たれる一冊。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。