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宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか

2024.02.12 公開 ツイート

#7

「豊かになれば人間は堕落する」ことを、世界史が証明している 佐藤優/本村凌二

宗教的確執を抱えるロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争が勃発、国内では安倍元総理銃撃事件が起こるなど、人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 国際情勢に精通した神学者と古代ローマ史研究の大家が、宗教にまつわる謎を徹底討論——。

発売直後から話題の『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』(幻冬舎新書)は、日本人が知らない宗教の本質に迫る知的興奮の一冊です。その試し読みをお届けします。

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宗教は「アバター」になれる

佐藤 話を宗教に戻すと、信仰を持っている人間は、そういう世の中のヒエラルキーとは別の枠組みで生きていけるんです。いわば「アバター」を持てるんですよ。

たとえばキリスト教徒なら、日曜に教会に行けば日常とは違うアバターになれる。日頃は会社でうだつが上がらないオッサンでも、教会では長老や役員として運営の中心で活躍できたりするわけです。

逆に、ふだんは大学教授として尊敬されていても、教会に行くと末席のひとりにすぎなくて、役に立つために庭掃除をやっているとかね。そういうアバター的な面白さが宗教にはあるんです。

立正佼成会(りっしょうこうせいかい)や創価学会などにも、娑婆のヒエラルキーとは違う序列のようなものがあるから、宗教団体として回っているんだと思いますよ。

本村 創価学会がかなり強引な折伏をやっていた時代に高校生だったので、僕も何度か誘われたことがありますが、同じような年格好の相手に対してもけっこう強気の態度でいろいろ言ってくるんですよね。きっとあれも、彼らには彼らのヒエラルキーみたいなものがあって、その中の「アバター」として振る舞っていたんでしょうね。日常ではじつは気弱な人間だった可能性だってある。

佐藤 その時代の創価学会には折伏した信者と入信した人間をつなぐ「縦線」というのがあったんですよ。いったん入信すると、その人にずっとついていったんですね。

しかしこれだと強引な折伏が横行してしまうし、「親分─子分」の人間関係が強くなりすぎて分派みたいなものも生まれやすいので、地域をベースにした「横線」に変更したんです。まあ、どんな宗教でも布教の激しい時代はありますよね。キリスト教だって最初は激しかったわけです。

本村 キリスト教も、もともとは新興宗教だったわけですものね。佐藤さんご自身も、キリスト教徒としての「アバター感覚」がおありなんですか?

佐藤 私の場合はアバターというより、基本的に神がかりの人ですから。この世で預かった命をいつ神に返すのかは人間にはわからないけれど、これだけいろいろな病気をしても生きているのは、まだこの世でやらなきゃいけないことがあるからなんだろうと思うんです。

では、それは何なのか。たとえば、世の中の主流に反してでも、このロシア・ウクライナ戦争は早く停止させるべきだと言わないといけない。あるいは旧統一教会の問題でも、人の内面や信仰体験を揶揄もしくは侮蔑するような形での世論形成は良くない、と言わなければいけない。先ほど申し上げたように、公権力が内心に踏み込むのは危ないということも言わないといけない。そういったことを自分に与えられた使命だと思うという意味で、神がかり的なんです。

豊かな時代に人間が堕落するのはなぜか

本村 宗教が個人の内心に踏み込むのは、本当に問題だと思いますよ。それこそ、信教の自由、思想信条の自由、内心の自由といったものは、近代社会における鉄則ですからね。それが蔑ろにされがちなのも、近代という枠組みが限界を迎えているひとつの証左なのかもしれません。

佐藤 信教の自由や思想信条の自由とは、内心について告白することを強要されないというのが原則ですからね。内心で何を考えているかについては、言わなくていい。その意味を理解していない人が多すぎます。

本村 でも、それを歴史的に遡っていくと、キリスト教に行き着くんですよ。キリスト教以前の宗教は、人間の内心には踏み込みませんでした。たとえばユダヤ教でも姦淫の罪はありますが、それは行動を規制しているわけですよね。人の奥さんに手を出してはいけない、と。

ところがキリスト教の新約聖書になると、「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」というわけです。手を出しちゃいけないだけでなく、そういう気持ちで見るだけでいけない。人の奥さんに手を出してはいけないというのはもちろん、嫌らしい気持ちで見ただけでも裁かれてしまう。つまり「内心」を問題にしているわけですよ。

佐藤 たしかに、内心の欲望と姦淫という行動がそこでは等号でつながれています。

本村 内心で思うだけで罪だと見なす倫理観は、ここから出てきたと思います。ただし、それはキリスト教だけのせいではないでしょう。これは『ローマ人の愛と性』(講談社現代新書)という自著でも書いたことですが、色欲を含めた人間の欲望を汚らしいものだと感じる意識が、キリスト教以前に、ローマ社会の中で生まれたんじゃないかと思うんですね。

佐藤 なるほど。

本村 なぜそうなったのか明確にはわかりませんが、人々の生活が豊かになったことと関係があるのかもしれません。というのも、豊かな時代になると、貧しかった時代よりも人間は堕落するんですよ。

たとえばペルシャが豊かだった時代には、ギリシャ人が「あいつらは堕落している」とペルシャ人を軽蔑しました。しかしそのギリシャも豊かになると、よそから「堕落した」と言われてしまう。これは、世界史で一切解決されたことのない問題です。豊かな時代になってからも精神的な気高さみたいなものを維持することに成功した社会は、世界史の中にひとつもない

佐藤 そうか、堕落を食い止めようとすると、内心に踏み込まざるを得ないというわけですね。だとすると、いまの日本人は堕落しているから、必要以上に倫理観や正義感の強い人間たちが他人の内心に土足で踏み込むということになります。

本村 まあ、いまの日本は経済がダメなので決して豊かではないと思いますが、昔より豊かであることはたしかですし、堕落しているのも間違いないでしょう。高度経済成長期には、よくこんな話を聞きました。

「戦争で自国を守るために懸命に戦って命を落とした日本の軍人たちが戦後の日本人の生き方を見たら、きっと嘆くだろう」と。「俺たちは、こんな堕落した世の中をつくるために戦ったんじゃない」というわけです。

それは価値判断の問題ですが、同じようなことはどんな時代にもあったんじゃないでしょうか。これは人類にとってひとつの大きな課題だし、それはおそらく宗教にも深く関わっていることだと思います。

現代日本でも生きている「丑うしの刻こく参り」の伝統

佐藤 日本人はよく無宗教だと誤解されがちですが、場所によっては、信仰心のかたまりみたいなところがありますよ。すごいのは、京都の貴船(きふね)神社。紅葉がきれいなことでも有名ですけれど、あそこは怖いところですよ。絵馬を見ると、「私の夫と不倫している××××が狂い死にますように」などと実名、住所入りで書いてあったりするんです。逆に「彼が奥さんと別れてくれますように」というのもある。

本村 へえ、そういう神社なんですか?

佐藤 丑の刻参りの発祥地だと言われていますね。だから奥に行くと、御神木に藁わら人形が五寸釘で打ちつけられていたりするんです。器物損壊罪になりかねないんで、本当はやっちゃいけないんですが、それでも後を絶たないんですから、よほど効くと信じられているんでしょうね。

本村 藁人形って、どこで手に入れるんですかね(笑)。

佐藤 ふつうにアマゾンで売っていますよ。昔はけっこう高くて、4000円ぐらいしたんですが、最近は安くなっていて、1000円以内で買えます。「呪いのロウソク&金槌付き」とか、使い方を教えるDVDとセットとか、バリエーションも豊富です(笑)。

本村 よくそんなことまで知っていますね(笑)。しかしまあ、近代社会といっても、人間の心はそんなに古代と変わっていないのかもしれません。ローマのお墓なんか見ると、「この墓に手をつけた者に災いあれ」などと刻まれていたりします。「小便を引っかけるやつはとんでもない。どうせなら酒を引っかけてくれ」とかね(笑)。

佐藤 要求が具体的で面白いですね(笑)。

本村 中世のキリスト教社会になってからはそういう呪術的なものは少なくなったでしょうけれど、たとえばアヴィニョンに教皇庁をつくったヨハネス二二世というローマ教皇(在位1316~1334年)は、対立していたミラノ大司教のジョヴァンニ・ヴィスコンティに呪いをかけられそうになりました。ヨハネス二二世の彫像をこしらえて、それを火で焼くよう呪術師に頼んだんですね。結局、呪術師はそれを断ってアヴィニョンに密告したんですけれど。いずれにしろ、そんな聖職者レベルでも本気で呪いの類に手を出していたわけです。世間ではもっと広く行われていたでしょうね。

関連書籍

佐藤優/本村凌二『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』

宗教対立が背景にあるイスラエル・ハマス戦争など、国内外の宗教問題の影響で人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 宗教に関する謎について二人の権威が徹底討論。

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宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか

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佐藤優

作家・元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務等を経て、国際情報局分析第一課主任分析官として活躍。2002年背任等の容疑で逮捕、起訴され、09年上告棄却で執行猶予確定。13年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『私のマルクス』『先生と私』などがある。

本村凌二

1947年、熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、2014年4月から2018年3月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『馬の世界史』(講談社現代新書)でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。

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