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宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか

2024.02.18 公開 ツイート

#10

知らぬ間に聖書は改ざんされてきた 佐藤優/本村凌二

宗教的確執を抱えるロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争が勃発、国内では安倍元総理銃撃事件が起こるなど、人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 国際情勢に精通した神学者と古代ローマ史研究の大家が、宗教にまつわる謎を徹底討論——。

発売直後から話題の『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』(幻冬舎新書)は、日本人が知らない宗教の本質に迫る知的興奮の一冊です。その試し読みをお届けします。

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前回を読む

世界宗教と教典

本村 先ほど、世界宗教に発展する条件のひとつとして「与党化」を挙げられましたが、創価学会もかなり世界的に広まっているんですよね。

佐藤 そうですね。創価学会インタナショナル(SGI)は世界192の国と地域に拡大しました。イタリアでは、首相が列席して国家とイタリアSGIの宗教協約が締結されたりもしています。

でも本来、仏教は世界宗教になりにくいんですよ。というのも、世界宗教になるにはテキストとしての「正典(キャノン)」の存在が大きなポイントだからなんですね。しかも読了可能な分量のテキストでなければ、広まりません。その意味で、仏典は多すぎます。

しかし日蓮系の宗派は法華経一本に絞り込めますよね。だから世界宗教的な発展の可能性があるんです。キリスト教やイスラム教は、ふつうの人でも暗唱可能な分量のテキストを持っていることが、大きな特徴と言えると思います。

本村 キリスト教も新約聖書を読むだけでも大変ですけれど、たしかに仏典と比べたら少ないですよね。ここで簡単に聖書について説明しておきましょう。

聖書には、旧約聖書と新約聖書があります。旧約聖書は、古くはユダヤ教ができたところから始まり、天地創造から、モーセの十戒があり、ユダヤ人のあいだでの約束事というものが記されています。それがユダヤ教の原典になるわけです。これに対して、新約聖書は、イエスの言動を記した四つの福音書がありますが、その他にも、パウロの使徒言行録などもあって、あくまでも、キリスト教徒だけが大事にしている内容になるわけです。

佐藤 近代以前なら、「世界」と「帝国」がほとんど一致していたので、「帝国の宗教」になれば「世界宗教」としての存在感がありました

しかし現在は「帝国」という大きな枠組みがなくなり、世界が多くの近代国民国家に分かれています。そのため、世界宗教になる上でテキストへの依存度が大きくなっていると思います。

本村 そうなると、言語の問題が出てきますよね。とくにイスラム教のコーランの場合は、原則として翻訳が禁じられています。コーランに記されたアラーの言葉は、アラビア語で語られているわけだから、翻訳されてしまったら意味がないと考えられているわけです。日本人であってもアラビア語で読まなければいけないし、アラビア語で理解しなければいけない。しかし、現実にはまず不可能である。

それに対して、キリスト教やユダヤ教のテキストは、複数の言語で書かれています。旧約聖書であれば、ヘブライ語、アラム語、そしてギリシャ語訳になっていたりします。新約聖書の場合は、共通ギリシャ語のコイネーで書かれていますね。

佐藤 翻訳はもちろん、テキストクリティーク(原典を確定する文献学的作業)もできません。どんな教典も、書き写しているうちに間違いが生じるので、地域によって内容にズレが出てしまいますよね。

しかしコーランはそれを比較して検証することができないので、アラビア語の確定版をつくることさえできないんです。だからみんな、それぞれの流布版を使っているんですよ。

本村 なるほど。どの文献がより古いかを見比べて、オリジナルの内容を推定することができないわけですね。

佐藤 一方、キリスト教の新約聖書には「ネストレ・アーラント」と呼ばれるギリシャ語版の底本があります。一八九八年にドイツの聖書学者エベルハルト・ネストレの校訂で出版され、さらに一九五二年にやはりドイツの聖書学者クルト・アーラントが再校訂したものが出版されました。日本語に翻訳された聖書のほとんどは、それを底本にしています

ただしネストレ・アーラントの脚注には、写本によって異なる読み方が示されているので、そこから自分の好きな解釈を恣意的に選んで訳す人もいますけれどね。自称「不可知論者」の田川建三さんもそうですが(笑)。

本村 聖書の写本には、とんでもないものがいろいろありますよね。修道僧が適当に書いて間違っているものとか、勝手に自分の意見を書き込んでいるものとか

佐藤 昔の『岩波講座 世界歴史』第一版(編集部注:最新は第三版)で中世の写本について書かれていましたが、それによると、おそらく改竄しているという意識はないんですね。信仰的に読んでいるから、本人は「これが正しい」と信じている。自分がそう思い込んでいると、たとえば「義人はひとりもいない」という記述を「義人は日本にはひとりもいない」と書き写してしまったりするわけです。

ジョージ・オーウェルの『動物農場』に出てくる動物の七戒の中に「すべての動物はベッドで寝てはいけない」というのがありますよね。ところが、あるとき豚がベッドで寝ていた。おかしいなと思って壁に書かれた戒律を見直したら、「すべての動物は、シーツのあるベッドで寝てはいけない」と豚にとって都合のいいように書き換えられていたわけです。聖書も、意識的な改竄ではないとしても、無意識のうちに「with sheets」を加筆してしまうようなことが起こるんですよ。

タキトゥスの写本

本村 僕が見た写本の中でいちばん面白かったのは、二世紀の「タキトゥスの写本」ですね。元のテキストに書いてある「クレストゥス(Chrestus)」の「e」を「i」に書き直して「クリストゥス(Christus)」にしているんです。実物を見ると、「e」を消した形跡がはっきりしている。これ、どちらが正しいのかは、第五代皇帝のネロ(在位54~68年)のキリスト教迫害をめぐる重大な問題なんですよ。

ネロは、ローマ大火の原因をキリスト教徒の放火によるものと見なしたから、大迫害を実行したと思われています。でも、本当にキリスト教徒が放火したのかどうかわからない。元のテキストの「クレストゥス」は、ネロの前の第四代ローマ皇帝クラウディウス(在位41~54年)の時代にやたらと暴動事件を起こしたユダヤ人の名前です。おそらく元のテキストは、その人物が放火したと書いたんでしょう。

ところがタキトゥスは、それを「クリストゥス」、つまり「キリスト教徒」と書き換えた。元のテキストが間違えていると思ったんでしょうね。

でも、ネロの大迫害があった当時、タキトゥスはまだ10歳ぐらいの年齢でした。写本の原本を書いたのは五〇歳ぐらいのときです。事件について、それほど正確な知識を持っていたとは思えません。

しかし欧米の学者は、これをあまり問題にしないんですよね。あれはキリスト教徒がやったものと決めつけているので、タキトゥスの写本が正しいと考えているんでしょう。僕は、「クレストゥス」が正しいんじゃないかと思っています。当時のローマ帝国は、キリスト教徒の存在をそんなに認知していなかったので。

佐藤 原本の「e」が写本で「i」に書き換えられたこと自体は、みんな認めているわけですね。もともと間違えているものを、タキトゥスが正したと。

本村 そうです。でも、その部分に関しては写本が一部しか残っていないので、ほかと比較して検証することができないんですよ。

佐藤 原本自体が誰かの手による写本だから、そちらが写し間違っている可能性はあるわけですよね。だから、水掛け論になってしまって、結論が出ない。

本村 そうなんです。「クリストゥス」が正しいと考える人が多いけれど、僕も含めて、納得していない人も少なくない。いずれにしても、写本のちょっとした違いが大きな問題を生むこともあるわけですよね。もっと小さな問題は、山ほどあるでしょう。書き方が下手な人もいるし。だから修道院の人たちが、「きれいにきちんと書きなさい」としょっちゅう注意しているんです。

佐藤 東洋は木版印刷の始まりも早かったし、江戸時代の日本では多色刷りの版画技術も普及していたから、同じ内容のテキストを大量の人が読むことができました。しかしヨーロッパは、それがすごく遅いんですよね。グーテンベルクの印刷機がなぜ重要な発明だったかというと、それが可能になったから。それまでは基本的に写本だから、どうしてもミスが起きるんです。

それに、中世の大学の図書館はそう簡単に本を貸してくれませんからね。一冊だけ貸して、それをちゃんとマスターしたと先生が認めないと、次の本を貸してくれない。だから、みんな写すわけです。

本村 大学の授業で『薔薇の名前』という映画の写本のシーンを学生に見せたことがあります。原本に「アリストテレスには喜劇論があった」と書いてあるんだけれど、キリスト教徒にとってそれはあり得ないことだから、それを消そうとする

あの場面を見ると、写本でいろんな問題が出てくるのは当たり前だと思いますよね。誤字や脱字も含めて。

佐藤 しかし現代の日本でもその問題は起きますからね。財務省なんか、当時の佐川宣寿理財局長が森友学園問題で国会答弁したのに合わせて、原本を直したわけですから。「正しい思想に基づいて直せ」というのは、現代でも珍しい話じゃありません

しかも安倍さんの回顧録によると「俺を陥れるためにやってたんだろう」みたいな認識もあって、二重三重にねじれている。後世の人たちが「近畿財務局における書き換え問題とは何だったのか」を検証しようとしても、いろんな説が出てきて、なかなか決着しないと思いますよ。

本村 そうでしょうね。結局人の手によって行われる作業なので、ミスも生まれるし作為が含まれることもあります。

佐藤 しかもあれは民事裁判でまったく内容に踏み込んでいません。国が全部認めて賠償金を払っちゃいましたし、刑事裁判は不起訴ですから。内容を審議する場がないまま、永久に封印されてしまう。『薔薇の名前』の世界と変わっていないんですよ。中世と同じことが、いまの世の中でも起きている。

関連書籍

佐藤優/本村凌二『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』

宗教対立が背景にあるイスラエル・ハマス戦争など、国内外の宗教問題の影響で人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 宗教に関する謎について二人の権威が徹底討論。

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佐藤優

作家・元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務等を経て、国際情報局分析第一課主任分析官として活躍。2002年背任等の容疑で逮捕、起訴され、09年上告棄却で執行猶予確定。13年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『私のマルクス』『先生と私』などがある。

本村凌二

1947年、熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、2014年4月から2018年3月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『馬の世界史』(講談社現代新書)でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。

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