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猫屋台日乗

2024.02.03 公開 ツイート

星降る夜のピザ

受験勉強終わりの深夜、父・吉本隆明と行った小さなスナックで初ピザ。 ハルノ宵子

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将であり、吉本隆明氏の長女・ハルノ宵子さんがその日乗を綴った『猫屋台日乗』より「真っ当な食、真っ当な命」をめぐるエッセイをお届けします。

父は当然のように“ピザ”というモノを頼んだ。これが私の人生“初ピザ”だった。

直径は二十数㎝、トマトソースに味の濃いチーズ、トッピングはサラミ、玉ねぎ、マッシュルーム、ピーマンと、ナポリタンの具材みたいだ(たぶん本当にそうだったのだろう)。でもそれは、私にとっては生まれて初めての味だったので感動した。

星降る夜のピザ

人生初ピザの思い出を覚えておいでだろうか?

30代より若い方は、生まれた時からその辺のファミレスやデリバリーもあって、幼い頃から食べてるんだろうから、珍しくもないし、いつが最初かなんて、まったく印象にないだろう。妹の息子なんぞは、子供の頃1人でうちに泊まった時、近所のイタリア料理店でマルゲリータを食べ、「ん! このマルゲリータ、ガーリックが入ってる」と、顔をしかめる始末だ。「コノヤロ、さんざん本場で食べてるからな」。おっしゃる通~り! マルゲリータには、ガーリックを入れないのが正しい。マルゲリータは、小麦とトマトとモッツァレラ、バジル+オリーブオイルの、素材の風味をシンプルに味わう物だ。たとえるなら、昆布と鰹の濃いつゆに、薬味はおろしたてのワサビ(大根おろし)とねぎの、新そばの「もり」に、ガーリックを載せちゃうに等しい暴挙なのだ(気持ちは分かるけどね)。 私は“食”に関して原理主義者じゃないので、美味しきゃ何やったって、かまわないと思っている。だから町の中華やタイ料理みたいに、塩、こしょう、しょう油や酢など、ズラッと調味料が並んでいる店が好きだ。勝手に“味変”できるのでありがたい。“マイ塩”は常に持ち歩いている。店によっては、健康志向なのか、何かを(たいがい旨味)ケチってるのか、な~んか“しらばっくれた”料理を出されることがある。こういう時には、良い天然塩さえかければ、たいがい何とかなるのだ。味覚はその時の体調や気温、精神状態で、まったく各々違うのだ。だから『猫屋台』では、「薄かったら遠慮なく使ってね」と、塩やしょう油やポン酢を置いておくことがある(基本酒の肴なので、たいがい味濃い目だが)。私はどんなに“味変”されようが、まったく気にならない。父は「味〇素」とソースの信奉者だったので、程良く出汁をきかせた、ほうれん草のおひたしにも、雪のように「味〇素」を振り、ドボドボとソースをかけて食べるんだから、私の料理にプライドはない(そんなものは、とうの昔にくだけ散った)。お好きにカスタマイズしていただいてけっこうだ。

それにしても現在のデリバリーピザは、カスタマイズの度が過ぎる。てりやき味の肉を載せたり、マヨネーズをかけたり、もうお好み焼き感覚だ。“耳”をお子様が残しがちだからって、耳にチーズやソーセージを入れちゃう感覚は、さすがにおばさんには付いていけない。ちゃんと耳まで美味しい素材の生地にしようという方向に行かない、ここが他国の料理(文化)を取り込む時の、限界だと思う。しかし反面、このチープでキッチュな使い捨て文化こそが、この国の強みでもあるのだろう(何せ元祖神社だって、20年に1度アップデートしちゃうんだもんね)。

私が初めてピザ(らしきモノ)を食べたのは、中学3年生の冬だった。だから、1970年代の頭だろう。高校受験を控えていて、夜、父に勉強を見てもらっていた頃だ。父が教える数学は理論から入るので、理屈は理解できた。数式に存在する壮大なロマンは分かったが、数字の当てはめ方が分からない。また私が極端に数字というものに弱く、マトモに物の数すら数えられないヤツなのだ(一種の発達障害かもしれない)。認知症テストの、100から7ずつ引いていくアレをやらせたら、“要介護”になる自信がある(まず今日が、何月何日だか言えないし)。だから中学時代は、まだ成績は上位でも、常に数学がネックだった。

受験勉強的なノウハウからは、逸脱しまくる父の講釈は面白かったし、夜中に母が“お夜食”を作ってくれるのも、楽しみだった。たいがいミニうどんか、ハムチーズのトーストサンドだったが、母がそんなに“凝った”料理を作ってくれるのが驚異だった。しかしものの数回で母は飽きたのか、いつの間にかお夜食は消滅した。

ある夜、勉強終わりに父が、「何か食いに行くか」と言った。もちろん! 夜中出歩くだけでワクワクする。夜中と言っても、11時頃だったのだろうが、中学生にとっては深夜だ。「こんな夜中に、開いている店なんてあるのか?」と思ったが、父は迷いなく千駄木の汐見坂を下り、不忍通りに面した小さなスナックに入った。『ダンドン』という店だった。マスターは、ひとクセありそうなオッサンだった。ムダなお愛想もないけど、「何で夜中にガキが来るのよ」って感じでもない。

父は当然のように“ピザ”というモノを頼んだ。これが私の人生“初ピザ”だった。

直径は二十数㎝、トマトソースに味の濃いチーズ、トッピングはサラミ、玉ねぎ、マッシュルーム、ピーマンと、ナポリタンの具材みたいだ(たぶん本当にそうだったのだろう)。でもそれは、私にとっては生まれて初めての味だったので感動した。

今思えば、見た目は本当にただの小さなスナックなのに、よく父はこんな店見つけたなーと、感心する。よっぽど1人の(隠れ)食い歩きで、千駄木隈界を“荒らして”いたのだろう。『ダンドン』のピザは、日本のイタリアンの草分けと言われる、六本木の『ニコラス』のピザに似ている。きっとマスターは、若い頃あの辺で遊んでたんだろうな~なんて想像する。

両親の晩年、千駄木のN医大に入院することが多くなった頃、『ダンドン』はまだ存在していた。お見舞いで3時間も病院に滞在していると、なんか辛気臭い“気”がまとわりついてくる。帰りに“精進落とし”と称して、1杯やるのが習慣だった。『ダンドン』は、本当に普通のスナックなので、1人で飛び込むには、ちょっとハードルが高い。もし経営者が替わっていて、中でオヤジがカラオケ三昧だったりしたら、病院の疲れが倍増するだけだ。でも、もしもあのピザがあるのなら──と、店の前のメニューを何度も確かめたが、どうやらもうないようだ。入る機会のないまま、気が付けば『ダンドン』は消えていた。せめてあのマスターが、まだ現役だったのか(だとしたら80代だろう)、1度位入ってみればよかったと、ちょっと悔いが残る。

次なるピザは、高校生時代だった。私は実によくサボる生徒だった。学校は全然イヤじゃなかった。同級生とは今でも仲がいいし、担任も生物学の学究肌の先生だった。どちらかと言うと教えることより、ご自身のフィールドワーク(植生学)の方に熱心だったように思う。尊敬に値する先生だったのに、残念ながら早世してしまわれた。

なので学校にモンクはないのだが、とにかく眠いのだ。あの年頃は誰しもそうだと思うが、皆学校に通えている。私は堪え性のない、欲望に忠実な高校生だった。通学のバスで爆睡する。降りるべき停留所を乗り越し、終点まで運ばれる。そこに停まっていたバスに飛び乗りまた寝る。こうして東京都内をぐるぐる回り、午後になるとシャッキリしてくるので、降りた街をブラついたり、映画を観たりしていた。かなりひねりの利いた“不良JK”だ。

ある時、銀座で降りてブラブラしていた。銀座三越の外側に行列ができていた。Mドナルドの1号店ができて、2、3年の頃だった。そこはスルーして、三越の地下食品売り場に行ってみた。当時はまだ“デパ地下”の賑わいはなく、地味に食品の店と、数軒のイートインがあるだけだった。その中にピザの専門店があったので見ると、実演ブースの中で、直径数十㎝程の巨大ピザが焼かれていた。12等分してある内の1ピースを頼むと、デロッと垂れ下がるような柔らかさだ。トマトソースは申し訳程度で、ほとんどがズッシリしたチーズとペパロニだ。大雑把な重たい味で、1ピースをやっと食べた。これが“アメリカピザ”上陸のさきがけだったのだろう。

しかしまぁ、あきれた高校生だったんだなぁ。友だちとつるんで遊ぶんじゃなくて、1人で街歩き食べ歩きとはっ(父のことは責められん)。そしてそれは、今でも変わっていないのだ。

この家に越してきた1980年代からは、デリバリーピザが台頭してきた。私は巣鴨にあった『ピザ・ステーション』が好みだった。今考えると、すご~く美味しい訳ではないけれど、生地は厚過ぎず、トッピングもシンプルだった。つまりピザHやDピザのように、お子ちゃま嗜好に頼らなかった。

80年代前半は、やたら父のお客さんが多かった。夜にまで至ると、食事をお出しすることになるのだが、ちゃんとしたお客さん(?)にはお寿司、友人関係など気の置けない人には、ピザを取ることも多かった。実はまれに手作り料理を(母主導)ふるまうこともあったのだが、この時代こそが私の料理のルーツだと思われる(たいへんややこしい話なので、それはまたの機会にする)。実を言うと父は、魚嫌いだった。特に生の魚が載っている握り寿司は、食べてもせいぜいエビ、イカまでで、後は玉子と巻き物ばかりだった(子供か!)。だからピザの時の方が、よほど嬉しそうだった。 85年、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝をかけたシーズン後半の頃、父母と(阪神ファンの)気楽なお客さんとで、キッチンのテーブルを囲み、飲みながらピザを食べ観戦したのは、至福の思い出だ。特別に美味しくなくとも、『ピザ・ステーション』の味は、美味しい思い出として残された。巣鴨の『ピザ・ステーション』は、いつの間にか撤退してしまったので、現在のヘビロテデリバリーは、極近にあるNという店だ。直線距離だと100mもないので、「30分前後でお届けします」と、マニュアル通りの応答が返ってくるが、たいがい15分以内に持ってくるので便利なのだ。味も悪くない。ナポリ風のモッチモチの生地だが(私は薄手が好み)、アンチョビオリーブなど、酒のツマミになるピザもあるのでありがたい。ここ2、3年、マヨコーンとかカルビとか、お子様におもねる傾向が見えてきたので、そっち方向に走らないよう願っている。

現在では、本当に窯薪を備えた、ホンモノの“ピッツァ”を出す店も珍しくないが、味と思い出は紐付けられる。私にとって、受験のプレッシャーよりも、今目の前にあるワクワク感の中、凍りついた星空の黒い夜の坂道を父と2人、息をはずませながら下って食べに行った、小さなスナックのピザこそが原点の味なのだ。

関連書籍

ハルノ宵子『猫屋台日乗』

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将・ハルノがその「日乗」を綴り始めたのはコロナが蔓延り始めた2020年の春。女将は怒っていた。緊急事態宣言、アルコール禁止、同調圧力、自粛警察……コロナが悪いんじゃない、お上が無能なんだ――と。怒りの傍ら綴るのは、吉本家の懐かしい味、父と深夜に食べた初めてのピザ、看板猫・シロミの死、自身の脱腸入院、吉本家の怒涛のお正月、コロナの渦中に独りで逝った古い知人……。美味しさとユーモアと、懐かしさ溢れる、食エッセイ。

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