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猫屋台日乗

2024.01.25 公開 ツイート

『猫屋台』というところ

“戦う”相手が、コロナではなく、他の事象にすり替わるのは、たやすい。 ハルノ宵子

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将であり、吉本隆明氏の長女・ハルノ宵子さんがその日乗を綴った『猫屋台日乗』より「真っ当な食、真っ当な命」をめぐるエッセイをお届けします。

だいたいが、「緊急事態宣言」とやらが出た時、「うわっ! 気色悪っ」と思った。さらに、8割の人が「遅すぎた」の「もっと厳しくてもいい」なんて言ってるのが、たまらなく不気味だ。

『猫屋台』というところ

ハルノは『猫屋台』の女将である。

『猫屋台』について、ざっくり説明しておこう。『猫屋台』は、れっきとした飲食店だ。“なんちゃって”ではない。ちゃんとした、区の「営業許可書」を持っている。昨年(2019年)末に、営業許可の更新があったので、大腿骨骨折や大腸がんの療養期間を除いて、なんだかんだと5年以上やっている訳だ。

自宅でやっているので、保健所の衛生上の規定をクリアするために、多少家を改修した。たとえば、シンクは2槽式で蛇口は2つ、深さは○㎝以上(もう何㎝か忘れたよ)でなくてはならない。とか、冷凍庫は2台、食器棚は、ステンレスの扉付きでなくてはならない。厨房の入り口に、手洗い専用の洗面台を設置しなくてはならない(よく見るでしょ? 厨房の隅っこの、ホコリかぶった、お飾りみたいな洗面台)。厨房から客用トイレまでは、5m以上離れていなくてはならない──みたいに、まったく衛生上イミのない、お役所の規定のための規定だ。なるべく家の原形を留めるために、すべて特注でやったので、実は見た目以上に、金と手間がかかった。10年前に我家を訪れた人などには、まったく変化が分からないだろう。家はただ10年分の、歳月と猫による破壊が進んだだけだ。

店は完全予約制だ。当初は、不特定多数のお客さんに向けた、“ちょっとマトモな食べ物を出す、カジュアルな(ちゃんと採算の取れる)居酒屋”として、オープンするつもりだったが、気が変わった。だって、それじゃ~自分がつまんないじゃん! 好き勝手な料理、作れないじゃん!

それに私は、しょっちゅう“消える”。運が良くなきゃ女将がいない居酒屋なんて、誰も    行きたくないだろう(まぁ、勝手に冷蔵庫開けて、缶ビール飲んで500円でもいいけど)。しかも〆切で忙しい時は、お客は放置。放置プレイの居酒屋──どう考えてもダメだ(好きな方もいるかもだが)。つまりは、まったく飲食店としてやっていく覚悟が、できていなかったのだ。

そもそもが、2012年に、相次いで両親が亡くなり、長年介護が生活の軸だったのに、一気にやることがなくなった。書く(描く)ことは細々と続けていくにしろ、私の“料理欲”は、どうしたらいいんだ! 私は自分のためだけには、料理を作らない。でも旬の食材などを見つけると、つい買ってしまう。とりあえず調理して、ご近所に配ったりする。初めて作る実験料理だって、いつか人に食べてもらうことを射程に作る。これでは遠からず、人を招いて食事をふるまうことになるだろう。しかし、材料費だってバカにならない。タダでというのは、なんかクヤシイ。それなら食材分と、トントン(+α)でいいから、なんぼかふんだくってやろう──と、道楽先行の企画だったのだ。当面はこれで、やっていくつもりだ。

父の書斎が手付かず(手が付けられないだけだが)なので、父の書斎を見られるのが“売り? ということで、お客さんは父の読者や、出版関係の方が多い。とは言え『猫屋台』は、お客さんを選んでいる訳ではない。ただハルノが、何の発信もしていないだけだ。たどり着いた方なら、どなたでももてなす。隣の墓地の、お掃除のおじさんたちも、新年会などに使ってくれる。中には「これが吉本さんちか~」と、覗きにきた読者の方に、玄関先でバッタリ遭遇。その場で予約を受けたなんてこともある。推理力と行動力を駆使し、大阪から予約してくれた方は、今でもリピーターだ。私や妹の友人知人はもちろんだが、その人たちが、また友人や家族を連れて訪れる──というパターンが多い。

オープニングは、私の高校時代のクラス会だった。なんでか(たまたま)ヘンなヤツらが集まった、おかしなクラスで、今でも仲がいい。ちょっと理系寄りで、男女共に様々な職種がいて(もう自営以外は、たいがい定年だが)、このトシで、生物多様性やら食用肉の是非なんかで、議論になるのだから面白い。

庭の向こうは、名刹の広大な墓地だ。大通りから数十m入っただけなのに、静かで空気が変わる。猫も鳥もタヌキも来る。寺の向こうには、絶妙絶景な位置と大きさで、スカイツリーが望める。3時間も4時間も、根が生えたように、くつろいでいかれるお客さんも多いが、かまわない(ちゃんと帰れるならね)。そんなグダグダの時間も、せわしない現代では、重要なもてなしの要素だと思っている。

しかしハルノもトシだ。人工股関節だし、病気持ちだし、体力には限りがある。基本ワンオペ(時々ウェイターとしてガンちゃん)なので、買い出しに1、2日。後片付けに1、2日かかるので、最低中2日、できれば3日以上空けて──なんて、エースピッチャー並みの条件を付けるので、結果的に週1、2組しか、お客さんを入れられない。お陰で“2、3ヶ月先まで予約の取れない”イヤラシイ店、となっている。

とは言え、この3月4月は、新型コロナウイルスのとばっちりで、相次ぐキャンセルと、新規の予約が入らないので、開店休業状態だ。実質売り上げゼロなのだから、都から“協力金”50万円ふんだくってやろうかと思ったが、5件のキャンセル(それしか入れてない)で、売り上げは、全部で10万にも満たないのだから、それをやったら、あからさまな詐欺だろう。

この号が出る頃には、コロナ騒動は、どうなっているのだろう? 終息に向かっているだろうか。あらゆる意味で、もううんざりだ。うちは自宅でやってるから、お気楽なものだが、家賃が発生する飲食店は、本当にたいへんだろう。まずもって、飲食店一本で食っていこう(さらには一旗揚げてやろう)、なんて考えで飲食店を始めるのは、危険なカケだ。言うなれば、芸人一本でとか、漫画家一本で食っていこう──と、同じくらい無謀なチャレンジャーだと思う。別にコロナじゃなくたって、天災もある。食中毒だったり、あらゆるリスクに、保障はないのだ。チャレンジャーなんだから、自粛要請なんて無視すりゃいいじゃんと思う。たとえ石投げられたって、命懸けで始めたんだから、同調圧力なんかに屈せず、営業を続けりゃいいのに。もちろん、自分の持てる知恵と工夫を総動員して、できうる限り、最大限の注意を払っての上でだが。それが(店の構造上とかで)できない、あるいは開けてる方が、採算が取れない、なんて場合には、自身の判断で、休業すればいい。お上に従えば、お上が守ってくれる、という発想自体、覚悟が甘い! ──な~んちゃって、ハルノには言われたくないだろうが。

だいたいが、「緊急事態宣言」とやらが出た時、「うわっ! 気色悪っ」と思った。さらに、8割の人が「遅すぎた」の「もっと厳しくてもいい」なんて言ってるのが、たまらなく不気味だ。「お願い、もっと縛って! もっとハゲしく!」と、お上におねだりしてるようなもんだ。お上に指示してもらわなきゃ、自分で危険を察知することも、身を守ることもできなくなっちまったのか? 自分の頭で、判断し、引き受けることを放棄している。

「一致団結して」とか「国民一丸となって」と、鼓舞する首相や都知事。「おうちにいよう」なんて“国威発揚”しちゃうマスコミ。それに応じる(生活に余裕のありそうな)アーティストやスポーツ選手、みんな気色悪い。イヤ、彼等自体が、気色悪いのではない。皆、本当に純粋な心持ちでいるに決まっている。しかし、一丸となって“戦う”相手が、コロナではなく、他の事象にすり替わるのは、たやすいのだ。

『猫屋台』は、今日も営業している(ただ客が来ないだけだ)。ハルノは誰とも一致団結しないし、一丸とならない。毎日変わらず1日分だけの買い物をし、ハッピーアワーで1杯飲んで帰る。今日も変わらず誰とも会わないし、(猫以外)誰とも喋らない。

夜中隣の墓地に出れば、およそ東京ドーム1個分、誰1人人間はいない。猫と死者と妖怪だけだ。参道のいちょう並木の新緑をザアッと風が吹きぬける。雲をまとったスカイツリーは、てっぺんの青白い灯で、今夜も霊界と交信している。

『猫屋台』は“人外魔境”の辺りにあるのだ。

関連書籍

ハルノ宵子『猫屋台日乗』

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将・ハルノがその「日乗」を綴り始めたのはコロナが蔓延り始めた2020年の春。女将は怒っていた。緊急事態宣言、アルコール禁止、同調圧力、自粛警察……コロナが悪いんじゃない、お上が無能なんだ――と。怒りの傍ら綴るのは、吉本家の懐かしい味、父と深夜に食べた初めてのピザ、看板猫・シロミの死、自身の脱腸入院、吉本家の怒涛のお正月、コロナの渦中に独りで逝った古い知人……。美味しさとユーモアと、懐かしさ溢れる、食エッセイ。

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