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猫屋台日乗

2024.01.31 公開 ポスト

殺意の食卓

父・吉本隆明にオファーが来た『アサヒグラフ』の「わが家の夕めし」。ハルノ宵子

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将であり、吉本隆明氏の長女・ハルノ宵子さんがその日乗を綴った『猫屋台日乗』より「真っ当な食、真っ当な命」をめぐるエッセイをお届けします。

父は「いやぁ……お見せするような食事じゃありませんよ」と、静かに(カッタルそうな口調で)答えた。これが父の、断固として断る時の口調だ。それでも向こうは「その普段の食事でいいんですよ」と食い下がる──が、ムダだ。父はガンとして受け付けなかった。

殺意の食卓

先頃、阿部直美さんの『おべんとうの時間がきらいだった』を読んで納得した。彼女とは家庭のあり方も、環境もまったく違うけど、同じトラウマを抱えた人だったのだ。

しかしお弁当にカレー? まだまだ甘いな。赤えんどう弁当よりはマシだろう。父のヘビロテ弁当は、当時出始めたばかりの(おそろしくつなぎが多い)冷凍ミニハンバーグ3個、パセリ、ミニトマト、白ご飯のパターンだった。ミニハンバーグは飽き飽きだったので、家に帰ってから、庭のワンコにあげていた。同級生には、それなりのインパクトを与えた赤えんどう弁当だったが、とんでもないクラスだったので、それが嘲笑の対象となることはなかった。だって、“蟻弁当”の友人もいたんだから。お弁当に蟻が紛れ込んでるんじゃないのよ。蟻の佃煮が、びっしりとご飯に振りかけてあるのだ。彼女は「あ~あ、お母さんまた蟻入れてくれちゃって」とかブツブツ言いながら、モソモソと食べていた。ご両親のルーツが虫食文化の地方だったのか、それは購入できる物なのか、自家製なのかは聞きそびれているが、こっちの方がよほど衝撃的だろう。

当時カップ◯ードルが、出て間もない頃だったので、男子どもは学校の前の商店で買って、お弁当のお供に食べていた。「カップ◯ードルは飲み物」の感覚なのだろう。かく言う私も、赤いチェックのクロスを解くと、中にはカップ◯ードル1個という、トリッキーな“お弁当”を父にやられたことがあるが。

同級生のF君が、お湯を入れた(3分間待ちの)カップ◯ードルを机の上に置き、近くで友だちとダベっていた。私はふと思い立ち、付属のプラフォークで、カップ全体にプスプスと穴を開けてみた。「あ゛ ~っ!」と叫んでF君が飛んできた。

う~ん……これ程単純にして効率よく、効果的なダメージを与えるイタズラは、後にも先にも存在しないであろう──と、確信した。

その時私は、すぐに逃げたと記憶しているが、同級生たちからは、「イヤ、タコ(私のあだ名)は、ほくそ笑みながら眺めていた」という証言があった。そりゃもう、インパクトのある惨状になるから、チャンスがあったら、ぜひお試しあ……イヤ、良い子は決してマネをしないように。

F君とはクラス会で、すれ違ってばかりで会えずにいるが、どうやらまだ根にもっているらしい。 当時の都立高校は(学校にもよるだろうが)、プレ大学とでもいうような自由さがあった。私の高校は、元「高女(女子校)」だったので、これでもおとなし目な方だが、妹の高校など元男子校のところは、もっとバンカラな雰囲気だった。服装は“標準服”という物はあったが、別に自由でいいし、お昼は外に食べに行ったり、スナックやディスコ(なつかし~だろ~?)に行くヤツもいた。そんな自由な校風だからか、父の弁当は、恥ずかしくもあったし、毎日期待も楽しみもなかったが、トラウマにはならなかった。

しかし本当にお弁当という物にトラウマを抱いたのは、幼稚園の時の、母が作るお弁当だったのかもしれない。母は家では塩ジャケを焼いただけ、ほうれん草を茹でただけだったにもかかわらず、幼稚園のお弁当は“命懸け”で作っていた。母は(家族以外の)ギャラリーがいると、俄然燃えるのだ。

たとえば、小さなお弁当箱いっぱいに敷いたチキンライス全面を薄焼き玉子で包み、×に切り込みを入れた所に、キレイにグリーンピースを並べたオムライス(イラスト参照)。このために前日の夕方から(何枚も失敗しながら)、美しい薄焼き玉子を焼いていた。

最も印象に残るオソロシイお弁当は、イチゴとハムのロールサンド(イラスト参照)だった。前日から(サンドの表面に埋め込む用の)イチゴとウインナーをスライスしていた。それを(当時はラップがなかったので)色付きのセロファンで包み、リボンで結ぶのだ。表面にスライスイチゴを埋め込んだロールサンドを(粘着性のない)セロファンで包む作業を想像してみよう。私でさえキレるレベルだが、完璧主義者の母のことだ、どれだけ殺気立っていたか。それもただ純粋に、娘の喜ぶ顔が見たいのではなく、他の園児たちや先生から、「センスの良いステキなお母さん」に見られたいがためであることは、子供心に察知していた。今の“キャラ弁”や“映え弁”に燃えるお母さんと、同様のものが感じられる。それでも子供が本当に喜んでくれたり、「◯◯ちゃんのお弁当カワイイ~」と、友だちに称賛されることを心底誇りに感じてくれたのなら、それで“共犯関係”が成り立つのだからいいだろう。しかし私は、なるべく目立たぬように黙々と食べた。美味しいかどうかは記憶にない。

また幼稚園も、今思うとかなり厳格な雰囲気があった。皆でワイワイとお弁当を見せ合ったり、先生とじゃれ合ったりなんてことはなかった。当時、上野の御(お)徒町(かちまち)に住んでいたので、単に最寄りの公立幼稚園だった訳だが、石造りの重厚な名門公立小学校の一部に併設されていて(現在もまんまだ)、幼稚園的なカラフルさはない。園庭は校庭と共用で、幼稚園児用の遊具もなく、小学生用の鉄棒や、見上げるようなうんていがあるだけだった。

運動の時間に、かわりばんこに校庭で三輪車をこいでいた。すると1人の男の子が、私のこぎ方がヘタクソだとバカにした。私は砂場の砂を握って、思いきりその子にぶつけた(あ~昔から凶暴だ)。男の子は泣いて騒動になり、たぶん私も先生に注意され泣いて、双方おさまったのだと思う。特にその男の子に怨みを抱いていたわけでもないし、そんなに悪質なからかいでもなかったはずだ。しかしこの幼稚園生活全般(重苦しい雰囲気なのか集団生活なのか)への不満が爆発したのだろう。私は翌日から“登園拒否”をした(最先端だろ~?)。両親に説得され、2、3日後に父に連れられて教室に行ったのだが、入ったとたんズシリと重たい壁があるようで、泣いて父にしがみつき、その日も帰った。後に父も「皆がいっせいにジロリと振り向いた時の、何とも言えない重苦しい感じはイヤだったね~」と言っていたので、やはりかなり陰うつな幼稚園だったのだろう。

しかし(きっかけは忘れたが)その2、3日後に私は登園し、幼稚園はなんとか卒園できた(たぶん何らかの“ごほうび”に釣られたのだろう)。そんな体験と相まって、陰気な幼稚園で浮きまくる、母の常軌を逸したお弁当は、トラウマとなった。

阿部直美さんのカレー弁当を「まだまだ甘い」と言ったが、内容じゃないっていうのは、よく分かっている。その時の家庭環境や関係性、自分の置かれている状況や時代をモロに反映するのが食事であり、お弁当は“窓”なのだ。そこから家の中を覗き見られるのが、イヤなのだ。

2000年に終刊となったが、『アサヒグラフ』という雑誌に、「わが家の夕めし」というコーナーがあった。作家や芸術家、スポーツ選手や政治家など、各界の著名人の“普段の”夕食風景を紹介するというコーナーだ。私はコレが、ゲロが出るほどキライだった。あんまりキライ過ぎて、ついつい喫茶店にあると手に取ったり、本屋の店先で立ち読みしてしまう位キライだった。どのご家庭も、大鉢に盛られた色とりどりのお惣菜、家族が集ってにこやかに食卓を囲む。中には“露悪的”に、目刺しとお漬け物だけなんて、あざとい食卓もあったりして。「んな訳ねーだろ! 家族なんて、本当は修羅を抱えているはずだ。どいつもこいつも大ウソつきだ」と、殺意にも似た気持ちで眺めていた。

そしたら来ましたよ、父のところにオファーが。『アサヒグラフ』の終刊1、2年前だったと思う。その頃うちは色々あって、かなり“荒れて”いた。食事係だった私が、最も疲弊して放棄していたのだと思う。食卓を囲むのは週1、2回程度で、後は“個食”に近い状況だった。さぁて、どうする気だ? 父が受けたら受けたなりに、“大ウソ”をつきやすぜ ──と、電話に出た父のそばで、聞き耳を立てていた。

父は「いやぁ……お見せするような食事じゃありませんよ」と、静かに(カッタルそうな口調で)答えた。これが父の、断固として断る時の口調だ。それでも向こうは「その普段の食事でいいんですよ」と食い下がる──が、ムダだ。父はガンとして受け付けなかった。私は大ウソつきにならずに済んだ。

だから今の奥様方がSNSに上げてくる、テーブルいっぱいの美しい料理や“映え弁”を見てると心配になる。家庭内だいじょぶか? それ作って写真撮って、汚れた鍋や食器洗って片付ける時間、子供と遊んだり、ダンナと語らったりした方がいいんじゃないの?(よけいなお世話だが)イヤ、案外シアワセな食卓を演じ続けている内に、それ自体がアイデンティティとなり、家庭が多少壊れていても、それをよすがに生きていけるのかもしれない。分からん、恐ろしい世の中だ。

昨年のことだ。父の全集を出している出版社を通して、NHKの「サラメシ」のオファーがあった。この番組は、たまたま観る程度にしか観てないが、普通の人の昼ご飯を紹介していく一部に、“著名人枠”みたいなものがある。そのコーナーだろう。父のお昼の定番と言えば、(前回書いた)マンネリうどん時代、自分で勝手に外の店での隠れ食い(かき揚げ丼とかね)時代、最晩年の私が用意をする“おかゆセット”とか──どの時代にすりゃいいんだ? 出版社的には、引き受けた方が、多少なりとも全集の宣伝になるから、ありがたいんだろうけど。まぁ、父は死んでいるんだから、テキトーに造捏(ねつぞう)しときゃいいか──でもNHKの取材のしつこ……イヤ、粘り強さは思い知ってるし、めんどくさいな~──なーんてことをグダグダ考えている内に、何の返事もしないまま、時が過ぎて今に至ってしまった。

今回阿部直美さんの本を読んで、「えーっ! サラメシのカメラマンがダンナさんで、ライターが直美さんなのぉ!?」と、初めて知った。そりゃ~申し訳ないことをした。同じ痛みをご存じの方なら、引き受けてもよかったのに──と思ったが、直美さんは正に“天の配剤”ともいうべきダンナさんに出会えたから救われたけど、こっちのトラウマは解消されていないんだからね(たぶん一生)。

それに、これから大いにネタにしてやるんだから、やっぱやーめとこ──と、決意を新たにしたのだった。

関連書籍

ハルノ宵子『猫屋台日乗』

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将・ハルノがその「日乗」を綴り始めたのはコロナが蔓延り始めた2020年の春。女将は怒っていた。緊急事態宣言、アルコール禁止、同調圧力、自粛警察……コロナが悪いんじゃない、お上が無能なんだ――と。怒りの傍ら綴るのは、吉本家の懐かしい味、父と深夜に食べた初めてのピザ、看板猫・シロミの死、自身の脱腸入院、吉本家の怒涛のお正月、コロナの渦中に独りで逝った古い知人……。美味しさとユーモアと、懐かしさ溢れる、食エッセイ。

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