1月半ばの低気圧に次ぐ低気圧、大寒の頃からセンパイの食欲は急激に衰えました。コウハイも心配そうにベタ付きです。
食餌の時間、最初のひと口はえいやっと大きく口を開け、海中の鯨が魚たちを飲み込む勢い。しかし、ふた口目に続かない。口が思うように動かないのか、気力が切れてしまうのか。シリコンスプーンで口元まで運んでみても食べようとはせず。「あとひと口食べてみよう~」「じゃぁ、これでラストね!」と掛け声をかけて気持ちを盛り上げれみるもかなかな手ごわい。困ったような顔をして小さくため息をつくセンパイなのでした。
「こ、これはもしや……」私の頭をよぎるのは、老犬介護の先輩方々の体験談。「あるとき突然にあんなに好きだったごはんをぴたりと食べなくなりました。そして、その2日後に亡くなりました」というような。この「何も口にしなくなって2日後に」というのは多くの人に聞きました。2日後。
「も、もしやセンパイも……?」動揺しつつも、思い返すとそこまで極端ではないような。水分は飲もうとするので、ミルミル水の他にもはちみつやきなこで味を変えたヨーグルトや豆乳を飲ませていました。しかしなにせ食べないので身体はますます痩せて小さくなってきています。
少しでも食べてほしいけれど、しつこくしすぎて嫌な気持ちにさせるのもなんだし。ここはやっぱりシリンジを使うしかないのだろうか。
センパイが若い頃は「シリンジでごはんを食べさせています」なんて聞くと、「そこまでして食べさせる?」なんて思っていましたが、いやー、そこまでしても食べてほしいんですよね。もちろん無理強いするつもりはないのだけれど、センパイから感じられるのは「食べるのを拒否!」という強い気持ちより「なんとなく食べられないの~」という感じ。少しでも食べたい気持ちがあるのなら、できることは試してみたい。
年末にもらった褥瘡の塗り薬もなくなってきたので、処方してもらいがてら動物病院に行き、食餌に使えそうな大きめのシリンジをもらってきました。
その日は冷たい雨の日だったので「今日は空いているに違いない」なんて思って行ったら待合室は犬と猫と人でいっぱい。体調を崩しやすい季節なのでしょうか。そいうえば、氣功では冬至から立春までが1年のうちでもっともエネルギーが少ない時期とされ「山も木々も眠る」頃とか。心身を崩さないよう通常よりも気を配る必要があるそうです。
先日も氣功の先生に「まずは立春までなんとかがんばりましょう。春が立てば、新しく明るいエネルギーが満ちますから」と励ましてもらったばかり。
シリンジは先端部分が細く長かったので、良きところをカッターでカットして使いやすくしました。そうしておそるおそる試してみると、センパイ、ゴクゴクと喉を動かして飲みました。たくさんではないけれど「飲みたい、食べたい」という気持ちは健在でした。
玄米のおかゆをフードプロセッサーでペースト状にしたものや、ミルミルを摂取しています。おかゆは1度に20ccくらい、ミルミルは50ccくらい。なので1日に数度、ごはんタイムが増えました。
できるだけたくさん食べてほしくて、つい作り過ぎてしまいがち。結局は残した分を我が家のハイエナ(コウハイ)が狙い、彼はますます成長中という……。センパイを心配して消耗した心身はセンパイのごはんで補うこの循環、センパイが残したごはんをガツガツと食べるコウハイの背中には妙な説得力があります。
食べなくなること。介護中の身にとってこれほどこわいことはない。そのときが急に突きつけられらたようで。ここまで長く介護させてもらってありがとうと思っているしいつも気持ちを伝えているので、そのときがきても受け入れるよ、慌てないよ、そう思っていたけれど、いざとなってみると私の覚悟なんて絵に描いた餅だった。
「こちらのエゴでがんばらせ過ぎないように」とは常々思っていること。センパイはもうとっくに旅立つ心の準備ができているというし「ならばその時が来たら気持ちよく送り出そう」と、そのつもりでいたのに。近づいているという予感に背を向けたい。
ずっと一緒にいるなんてできないし、センパイがいつか先立つことはわかってる。でもそのいつかは今日ではないよね、そう先延ばしにしようとする自分に「覚悟、できてたんじゃないんかい!」とツッこむ。
と、ここまで書いたのは1月23日の夜でした。オットがセンパイ当番、私は寝室のベッドで眠りました。翌朝目覚め、ぼんやりした頭で思ったのは「あれ? 私、今どこで寝てるんだっけ?」。なんだかセンパイの顔が私の左肩あたりに乗っているような気がして、自分が当番でセンパイと寝ていたような錯覚。
オットも起きていたので昨夜の様子を聞くと、夜中と明け方に2度起きて、水を飲み排尿もあったとのこと。いつもと変わらない夜だったようでホッ。
「今日さ、センパイと少し散歩しない?」オットが言い、「うん、いいよ。行こう行こう」と私。オットにも何か感じるところがあったのかと想像し、「こんなふうに何か儀式をするかのようにして、ひとつひとつ覚悟を固めていくのがこの人のやり方なのかな」なんて考えた。
いつものブランケットに包まれオットに抱っこされたセンパイは、久しぶりの外の空気に気持ち良さそうな顔をした。「あ、梅が咲いてるよ!」紅梅に顔を近づけると、センパイ眩しそう。
まずは近所の神社にお参りに。ここは、はじめてセンパイが家に来た日にも参拝し「今日からこの町で暮らします。春になったら毎日散歩をします。どうぞよろしくお願いします」とあいさつした神社。あれはお正月明けだった。18年が過ぎている。
それから、散歩が日課だった頃には毎日寄っていた給水場そばの小さな公園へ。あまりに澄んだ青空に写真が撮りたくなって、オットと私、順番にセンパイを抱っこして写真を撮った。ほんの20分ほど、明るくおだやかな空気の中で気持ちのいい散歩ができた。
「コウちゃん、ただいまー」。帰宅して、水を飲み、おも湯を食べさせるとひと口飲み込んだセンパイ。私の膝に寝かせ口の中をきれいにしようしていたら口をパクパクと2回動かして、おしっこもポタポタと少し。その後にもなんだか動いたような気がしたけど、その動きが不自然な感じもして。
「ん?」「あれ?」なんだか様子が違う。体内の音を聴こうと耳を近づけてみると何も聞こえてこなかった。むしろ「しーーーん」という音が空洞の身体に小さく響いているような。
「もしかしたら……」と、オットにセンパイを渡すと「あ……。もうここにいないね」。
なんという早技。そういえば散歩から帰って来たときに見慣れない目やにが少し出いて「めずらしいね」なんて言いながら拭いた。いつもと違ったことといったらそれくらい。
「死後1時間ほどで硬直がはじまり、腸や膀胱に残っていた残留物や体液が肛門や鼻から出てくる」以前読んだ俵森朋子さんの『愛犬との幸せなさいごのために』(河出書房新社/刊)にそう書いてあったけれど、センパイの身体からはビタ1滴、何も出ててはこなかった。最後の1滴まで使い切り、センパイお見事! お疲れさま。
まずはベッドでゆっくりしてね。
豆柴センパイはおばあちゃん ヨロリゆるゆる、今日もごきげん
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