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プーチンの戦争

2023.07.05 公開 ツイート

「ワグネルの乱でプーチン政権は弱体化」と安易に言えない理由 中川浩一

ロシアの民間軍事会社ワグネル創始者のエフゲニー・プリゴジンが、ロシア国内のロストフ州で6月23日に起こした反乱は、一日で終結。あの乱は一体何だったのか、また今後どういう影響をもたらすのでしょうか。ロシア・ウクライナ戦争の現在と未来を分析した『プーチンの戦争』の著者で、元外交官の中川浩一氏に寄稿していただきました。

 
ワグネル、ロ首都進軍停止。ロシアの南部軍管区司令部を離れるプリゴジン氏/2023年6月24日、ロシア南部ロストフ州ロストフ・ナ・ドヌー(写真提供:ロイター=共同)

プーチンの支持率は82%に戻った

2023年6月23日、ロシアの民間軍事会社・ワグネルグループの創設者であるプリゴジンによる、いわゆる「ワグネルの乱」「プリゴジンの乱」。プリゴジン自身は「正義の行進」であると主張したが、わずか1日で撤回。一体何だったのか。同氏は、今、どこにいるのか、ロシア国内とベラルーシを巡回しているようだが、プーチンにそのうち暗殺されるかもしれない。欧米の指導者、インテリジェンス(そして日本の多くの識者も)が主張する、これが「プーチンの終わりの始まり」という見方は本当に正しいのか。

まず、この「ワグネルの乱」に対する、アメリカ、ウクライナの指導者の見方はこうである。2023年6月26日、バイデン米大統領は、ワグネルの乱について「我々は関与していない」、「これはロシア体制内の闘争の一部だ」と表明し、この種の事件で噂される「(欧米の)陰謀説」をただちに打ち消した。「ワグネルの乱」をアメリカが企てたわけではないこと自体はそのとおりだろう。そして、6月28日には、バイデン大統領は、プーチンについて、ワグネルの乱で、「世界中でのけ者になった」と指摘、プリゴジンによる乱の影響について、記者にプーチンが弱体化したかと問われると、「判断するのは難しいが、彼は(ウクライナでの)戦争に負けており、国内の戦いに負けている」、つまり弱体化していると指摘した。ブリンケン米国務長官も6月25日、複数の米メディアのインタビューで、ロシア国内に「非常に深刻な亀裂が生じている」との見方を示した。

ウクライナのゼレンスキー大統領も同日、「(ワグネルの乱は)プーチン政権の弱さを露呈した」 と述べた。日本も含む西側メディアは、こぞって「ワグネルの乱」によってプーチンの威信は地に落ち、プーチンの求心力低下は明白で、政権が「事実上崩壊」している、ロシア国内では早くもプーチンの後継者探しが始まっているとすら報じている。ロシアが侵略を続けるウクライナ戦線への影響も必至だとの論調である。

一方、ワグネルの乱後の、ロシアの独立系の調査会社による最新の世論調査では、プリゴジンの支持率は、反乱直前の60%から、反乱直後に29%に急落。ショイグ露国防大臣の支持率も反乱前の60%から反乱後は48%へ。しかし、プーチン大統領の支持率は、反乱前は82%だったが、反乱当日、79%に下がり、危機が回避されると82%に戻った由である。プーチン大統領は、その後、ロシア国民との友好ムードを演出している。

欧米のインテリジェンスの限界とバイアス

インテリジェンスのプロにとっても、独裁国、独裁者の正体、意図を暴くのは難しい。しかし、欧米のインテリジェンスはこれまでことごとく、それを読み誤ってきたことを忘れてはならない。なぜだろうか。

著者は、長年、中東をはじめ世界の戦争の現場で外交官として独裁国、独裁組織の正体、その恐ろしさを骨の髄まで経験してきた。また、2008年から2011年までは、在アメリカ合衆国日本国大使館で、外交官として、世界の戦乱の主戦場の中東を担当し、CIAをはじめとするインテリジェンスの一線級と戦い、情報収集を行ってきた。彼らからは、インテリジェンス術として学ぶことも多かったが、逆に、アメリカのインテリジェンスの限界もつぶさに見てきたつもりだ。

彼らは概して、時の政権の政策に都合の悪い情報はあげず、逆に喜ぶような情報を意図的に幹部にあげていった。2003年のイラク戦争では、結局アメリカがあれだけあると主張した大量破壊兵器はサダム・フセインのイラクからは発見されなかった。最近では2021年8月、アフガニスタンでタリバンが首都の制圧を猛スピードで実現したことを、読み切れなかった。彼らは、イラク戦争であれば、「サダム・フセインは大量破壊兵器を有している」、アフガニスタンであれば「タリバンは弱体化している」と結論づけるために、綿密にそれを裏付ける情報収集を行う集団だったと言えよう。

くしくも、先週(2023年6月30日)、アメリカ国務省は、先述のアフガニスタンからのアメリカ軍撤退について「最悪のケースを想定した検討が不十分だった」などとする報告書の一部を公表した。タリバンのカブール制圧は全くの想定外だったということだ。

長年、欧米の外交官、インテリジェンス世界と付き合ってきた経験から言えば、民主主義の世界において、純粋培養で育成された欧米のインテリジェンス、学者たちに、180度異なる「独裁」の世界を理解するのはそもそも不可能ではないかとさえ、著者は感じている。なぜなら、彼らは、けっして自分たちと「異なるもの」を理解しようとはしないからだ。結局、自分たちの物差しでしか、判断も分析もできないのだ。

プリゴジンが「虫けらのように潰される」日は、おそらく近い

この点、「ワグネルの乱」について言えば、CIAをはじめとする欧米のインテリジェンスは、とにかく「プーチンが弱体化している」との結論を導きたがり、それに沿う情報を収集しようとする習性がある。しかし、実際は、ワグネルの乱は、プーチンの弱体化でもなく、プーチン政権の崩壊でもなく、終わりの始まりでもなく、むしろ、プーチンの本気の戦いへの序章に過ぎないと著者は見ている。今回の乱で、プーチンも少しは目が覚めたのではないか。

所詮、ワグネルはプーチンの「駒」に過ぎない。直轄のロシア国防軍にリスクを冒させないため、たとえば内戦が続く中東シリアでは、ロシアの影響を前線で強化するため、ワグネルの部隊に、反体制派や過激派組織「イスラム国」(IS)との地上戦に当たらせた。しかし、今回の反乱後は、ただちに露外務省幹部がシリアを訪れ、アサド大統領に「ワグネルは今後、独自に活動することはない」と伝えたとの報道もある。ウクライナの戦線もそれと同様の扱いに過ぎなかった。

他方で、「駒」とは言え、目を瞑って歩いていると、ちょっとつまずく程度の石ではあったことをプーチンは認識していただろう。あるいは、プーチンはこれまでは、プリゴジンのことを、目の前を徘徊する「小蠅(こばえ)」のような感覚で、気にはなるが、潰しにかかるほどではないと思っていたかもしれない。しかし、ある日、突然大きくなり始めたので、こっぱみじんに潰したというところだろう。

確かに油断はあったのかもしれないが、一方で、小蠅が大きくなり始めたと分かった後の、プーチンのリスクマネージメントは秀逸、見事であった。子分であるベラルーシのルカシェンコ大統領に火消し役を負わせ、少し手柄を持たせたのは、プーチンの独特の権謀術とも言える。ルカシェンコはプーチンに貸しを作ったと欧米のインテリジェンスは見るが、甘すぎるし、ルカシェンコもプーチンに貸しを作ったなど、微塵も思っていないだろう。今もプーチンの前で戦々恐々のはずだ。いつ、プリゴジンの暗殺指令が出るのだろうと。それができなかった場合の自身の処遇はどうなるのだろうかと。欧米のインテリジェンスは、あきれるほど、独裁圏における師弟関係を理解していない。

権力を掌握し、恒久的に維持しようとする独裁者は、けっして自分の非を認めようとはしないし、そもそも「非」とも思っていない。それどころか、「どうせ代わりの者などいくらでもいる」と、下の者に責任を被せて追放し、「トカゲの尻尾切り」は、日常茶飯事である。後日、ルカシェンコは、プーチンに「虫けらのように潰されるぞ」とプリゴジンに言ったと打ち明けた。そして、実際、プリゴジンが虫になる日(暗殺)は近いと著者は見ている。裏切り者には一切の容赦はない、これが独裁国、独裁者の鉄則だ。

さらなる結束、プーチンの“本気”の戦争

日本も、欧米のインテリジェンスに踊らされて、プーチンが弱体化しているなどと喜んでいる場合ではないだろう。インテリジェンス機能が脆弱な日本は、欧米のインテリジェンスと連携することはやむをえないが、鵜呑みは厳に禁物だ。プーチンの脳内宇宙は、欧米人、日本人の感覚は理解不能である。

我々は、再度、昨年(2022年)ロシアがなぜウクライナに侵攻したか、なぜそれを読めなかったのかを考えるべきであろう。この戦争が長期化しつつあることで、欧米、日本は、すっかりその教訓を忘れ、自身の価値観、色メガネでしか事態を捉えようとしなくなってしまったようである。

先述のとおり、バイデン大統領は、ロシアはワグネルの乱で「のけ者」になったと強調した。これで思い出されるのは(多くの日本人は知らないだろうが)、バイデン大統領が大統領選挙キャンペーン中の2019年、中東の同盟国で原油大国「サウジアラビア」を同じく「のけ者」にすると言ったことだ。まさに同じ表現である。しかし、実際は、ロシアのウクライナ侵略で、世界の原油価格が高騰し、2022年7月、バイデン大統領はサウジアラビアを訪問し、油乞い外交を展開、その「のけ者」に(ひざまず)き、世界に恥をさらしたのである。

2023年5月9日、プーチン大統領は、対独戦勝記念日を祝う式典の演説で、「我が祖国に本当の戦争が再び仕掛けられた」と述べ、ロシアのウクライナ侵略以降、「特別軍事作戦」としていた表現から、初めて公の場で「戦争」という用語を使用したと注目された。今回の、ワグネルの乱で目が覚めたプーチンはさらに「本気」の戦争を仕掛けるだろう。

いずれにせよ、この戦争は長い戦いである。アメリカが、民主主義陣営が、そして日本が、ロシア・プーチンに跪く、そんな日が遠くない将来に来るかもしれない。「のけ者」にされるのは一体どちらか。プーチンの正体を世界はくれぐれも甘く見てはいけない。

関連書籍

中川浩一『プーチンの戦争』

日米同盟があるので大丈夫……などと思っていませんか。 その理屈が通らないのは、ウクライナを見ると明らかです。 私たち一人一人が、その現実に目を背けず、向き合うことでしか、この危機を乗り越える道はありません。

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プーチンの戦争

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって、まもなく1年半がたちます。いまだに終わりの見えない戦争の現状とこれからの展開、そして日本が向き合わざるをえないシビアな現実とは……。安倍晋三元総理の通訳をつとめた元外務省交渉官・中川浩一さんによる注目の新刊『プーチンの戦争』から内容の一部をご紹介します。

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中川浩一

1969年、京都府生まれ。慶應義塾大学卒業後、1994年外務省入省。1995年~1998年、エジプトでアラビア語研修。1998年~2001年、在イスラエル日本大使館、対パレスチナ日本政府代表事務所(ガザ)、アラファトPLO議長の通訳を務める。2001年~2004年、条約局国際協定課、2004年~2008年、中東アフリカ局中東第2課、在イラク日本大使館、2001年~2008年、天皇陛下、総理大臣のアラビア語通訳官(小泉総理、安倍総理〈第1次〉)。2008年~2011年、在アメリカ合衆国日本大使館、2012年~2015年、在エジプト日本大使館、総合外交政策局政策企画室首席事務官、大臣官房報道課首席事務官、地球規模課題審議官組織地球規模課題分野別交渉官を経て2020年7月、外務省退職。2020年8月から国内シンクタンク主席研究員、ビジネスコンサルタント。著書に『総理通訳の外国語勉強法』(講談社)。

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