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夫婦別姓 家族と多様性の各国事情

2023.05.21 公開 ツイート

英国では「夫婦同姓」のほうが難しい 姓名は国が関与しない「個人の事情」 冨久岡ナヲ

夫婦同姓が法律で強制されているのは今や日本のみ。

別姓が原則の中国・韓国・ベルギー、別姓も可能なイギリス・アメリカ・ドイツ、通称も合法化したフランス。各国で実体験を持つ筆者達がその国の歴史や法律から姓と婚姻、家族の実情を考察し「選べる」社会のヒントを探る書籍『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』より、一部を抜粋してお届けします。

*   *   *

英国で姓名は「個人の事情」で、国は関与しないもの

英国では姓も下の名も自由に変えることができる。その自由は法的に保障されている。そうだ、今日から違う名前を名乗ろう、と決めるだけでよい。改名の理由を明らかにする必要はなく、変えたことを公式に登録する「義務」もない。なぜなら、姓名に関することは「個人の事情」であって国が関与すべき事項ではないとされているからだ。

実際には、新たな姓名で生活していくためにパスポートや選挙人名簿登録、国民医療サービス、クレジットカードなどの名義を変更する必要が生じる。ここで改名したことを公に証明しなくてはならないのだが、あくまでも任意。「やりたければどうぞ」というのが基本姿勢だ。

(写真:iStock.com/william87)

この国では、本人の自由意志が最も尊重される。それが「法によって禁止されていること」でない限りなんでもありだ。これは「コモン・ロー」という英国法(判例法ともいう)の考え方に由来し、争い事があれば慣習や今までの判例を参考に解決をはかる。フランスなど欧州大陸の多くの国や日本のように「法が許すこと」以外やってはならない、つまり決まり事を絶対視し形式を重んじる「シビル・ロー」(大陸法、または制定法)とは対極をなしている。姓名をめぐる価値観を含め、日本人には「いいかげん」と映る英国の文化と社会通念の多くはこの「コモン・ロー」のコンセプトに裏打ちされていることが多い。

 

さて、改名したことを法的に証明するには、ディード・ポール(Deed Poll=正式名はA Deed of Change of Name、改名を宣誓する証書)と呼ばれる書類を作る。旧姓名と新姓名を書き並べ、身内以外の第三者の立ち会いのもとで宣誓署名をする。

自分で適当な紙に書いて証人に署名してもらうだけでも、法的には改名の証拠として認められる。ただし、銀行など相手機関のほうがそれを受け付けてくれるとは限らない。書いた紙をさらに事務弁護士、司法書士やパラリーガルなどに「証明」してもらうのが一般的だ。

まれに、法院(Court of Justice、日本では裁判所に当たるがその機能はずっと広い)に届け出ることもある。その場合は改名したという事実が国立公文書館(The National Archives)に記録される。公文書館は英国民の出生、結婚、死亡などに関する記録を保存する機関で、16世紀の創設時から今までのデータが保存されている。しかし、届け出はあくまでも任意なので、家系を辿ろうと過去の改名事実を探る手段としてはあまり役に立たない。

 

驚くことに、このディード・ポールは民間のネット手続きサービスを使えば数分で終了してしまう。翌日には証明済みの書類が送られてくるので、証人とともに自筆署名をするだけでおしまいなのだ。

昨年末には、酔った勢いで夜中に自分の名前をセリーヌ・ディオンと改名してしまったイギリス人男性のニュースが、長引くロックダウン生活に疲れたお茶の間を沸かせた。男性は元の名に戻さず、これから一生正式に歌手のセリーヌと同姓同名として生きていくことを選んだ。英国で姓名を変えるのはそのくらい簡単だ。もっともこの男性は、職場や家族からは依然として改名前の名で呼ばれているそうだが。

結婚時のデフォルトは夫婦別姓

夫婦同姓と別姓のどちらかにするべき、という決まりがないこの国では結婚し何も考えずに新生活を始めたら別姓のままだ。夫婦同姓に変えるほうがよほどややこしい。

英国での結婚には、教会や認可を受けたホテルなどでキリスト教義に基づいた婚姻の儀式を執り行う「宗教婚」(キリスト教以外では、その宗教に基づいた儀式と別に英国法に基づく手続きが必要)、レジストリーオフィスと呼ばれる地方行政管轄の登記所で宗教に関係なく結婚登記をする「民事婚」の2通りがある。気楽にできる改名とはまったく対照的に、結婚するためのルールは厳しい。役所に届けを出すだけで婚姻が成立する日本ともだいぶ違う。あとで説明するシビル・パートナーシップも同様だ。

(写真:iStock.com/Rawpixel)

まず、重婚や偽装婚を防ぐ目的で結婚の意思を28日間、公示しなくてはならない。伝統的には新聞の告知欄や登記所の掲示板が使われる。公示期間に誰も異議を唱えなければ、資格を持つ聖職者か公証人の前で、2人の証人の立ち会いのもとに当事者が婚姻を宣言する。ちなみに俳優のベネディクト・カンバーバッチが結婚した時には、まず古めかしい婚約の告知が新聞に掲載され、「フェイクなのでは?」と騒がれた。しかし、それはオールドファッションなやり方を好む本人の意向だった。

そして、どちらの方法を採っても「結婚証明書」が発行される。証明書には、2人とも結婚前のステータス(独身または離婚)と出生届、再婚の場合は離婚証明書にあるフルネーム、父親の姓名が記載されている。だから結婚した直後は誰もが「夫婦別姓」であり、別姓を選ぶという届け出は不要だ。

夫婦同姓を選んだ場合でも、パスポートやクレジットカード、選挙人名簿登録、国民医療サービスなどを旧姓のままにしておいて不便なことはほとんどない。登録名や記載名を変更する場合は、どんな「同姓」にするかによって変更のしかたが変わる。

「夫婦同姓」にしたい場合の選択肢もたくさん

(1) 旧姓をシェア:

どちらかの旧姓を共通の姓とする「夫婦同姓」

 

(2) 併記姓または連結姓:

「ダブル・バレル」とも呼ばれ、妻と夫の姓を並べる。

大概は2つの姓をハイフンでつなぐが、ミュージカル作曲家として有名なアンドリュー・ロイド・ウェバーのようにハイフンを使わない併記姓もある。

昔は王族、貴族、上流階級の婚姻において、妻側の家系に跡取りとなる男子がいない場合にファミリーネームを残し、2つの名家が合体したことを示すために用いられていた。昨今の上流階級名家同士の結婚では、跡取りの有無に関係なく連結姓が多い。

2つの姓を同じ順番で並べれば同姓に、お互いが自分の姓を最初にし、相手のを次にすると別姓になる。

 

(3) 合成姓(メッシング):

2つの姓を混ぜ合わせて新たな姓を作ること。たとえば、ベッカムとアダムスの2人なら「ベッカダムス」というように。人気コメディアンのクリス・オドウド(O’Dowd)とドーン・ポーター(Porter)が結婚した際、ドーンは2人の姓をメッシュした「オポーター(O’Porter)」と改名し「O’」をシェアする別姓夫婦に。メッシングを流行(はや)らせた。

 

(4) 夫婦同姓にし、さらに旧姓をミドルネームに:

自分の姓を捨てた側が、旧姓を自分のミドルネームとして残す。妻の側が行うことが多い。

 

(5) 創作姓:

旧姓とはまったく関係のない姓を選んだり、作ったりする。どちらのファミリーともつながりたくないからという理由のほか、移民やその子孫などが、英語圏では発音が難しい外国名を結婚を機に英名に変えるケースもある。

(写真:iStock.com/monkeybusinessimages)

この中では(1)の「夫か妻の姓をシェアして同姓となる」のが一番楽な方法だ。運転免許証や銀行口座名などの名義を変更したい場合には結婚証明書を提示し、相手の姓に変えると申請すればよい。それ以外のスタイルでは、前述のディード・ポールを使って改名した事実を法的に証明しなくてはいけない。

 

ところで少々脱線するが、ディード・ポールで証明書を得るのは簡単でも、役所や銀行で実際に変更手続きを行うのはとてもやっかいだ。イギリス人の事務処理能力には恐ろしいまでのばらつきがある――というのが、画一的ながらも質の高い基礎教育を日本で受けた筆者の見方である。特に読み書きや基本的な計算が苦手な人のレベルは、通信簿オール1をも下回るとしか言いようがないほどひどい。そんな人に担当されると、どこかしらに必ず間違いが生じる。そして、いったん誤ったスペリングの名前や住所がデータベースに入力されたが最後、訂正するのはなぜかほとんど不可能だ。

夫婦同姓になった人が、名義変更の手続き途中であまりの面倒さに音を上げ、独身時代のクレジットカードを使い続けているという話は至る所で聞かれる。ほんとうは同姓にしたいのだが、改姓手続きの時間がなく別姓のままでいるという女性は結構いて、彼女たちは同姓を「通称」として使っている。

 

こんなふうに名前はなんでもあり、自由意志が尊重されるという国なら、女性が結婚後の姓名で悩む時代などなかったのではと思いたくなる。しかし、歴史をたどると正反対の事実が浮かぶ。

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続きはちくま新書『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』をご覧ください。

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栗田路子、冨久岡ナヲ、プラド夏樹、田口理穂、片瀬ケイ、斎藤淳子、伊東順子『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)

夫婦同姓が法律で強制されているのは今や日本のみ。本書では、夫婦別姓も可能な英国・米国・ドイツ、通称も合法化したフランス、別姓が原則の中国・韓国・ベルギーで実体験を持つ筆者達が各国の歴史や法律から姓と婚姻、家族の実情を考察し「選べる」社会のヒントを探る。そして、一向に法案審議を進めない立法、合憲判断を繰り返す司法、世界を舞台とする経済界の視点を交えて、具体的な実現のために何が必要なのかを率直に議論する。多様性を認める社会の第一歩として、より良き選択的夫婦別姓制度を設計するための必読書。

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夫婦別姓 家族と多様性の各国事情

夫婦同姓が法律で強制されているのは今や日本のみ。

別姓が原則の中国・韓国・ベルギー、別姓も可能なイギリス・アメリカ・ドイツ、通称も合法化したフランス。各国で実体験を持つ筆者達がその国の歴史や法律から姓と婚姻、家族の実情を考察し「選べる」社会のヒントを探る書籍『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』より、一部を抜粋してお届けします。

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冨久岡ナヲ ジャーナリスト

英国在住20年余になるジャーナリスト、国立音楽大学卒。移住後から執筆を始める。多数の英語/日本語インタビューをこなし雑誌やウェブ向け記事執筆のほか、日本語媒体の英語圏向けローカライズ、イベントプロデュースなど幅広い活動を行う。英国と日本の共通点と異なる点、よい面、面白い所を双方向に伝えることでシナジー効果を起こしていきたい。共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)がある。

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