
「三十七歳で第百回芥川賞受賞。翌年の秋、パニック障害を発病し、医業、作家業ともに中断せざるを得ない事態に陥った」
このような前歴を、著者はまるで前口上のように、エッセイにおいて度々語る。ときに小説においても、登場人物に作家自身の置かれた状況を重ね合わせる。医師であるという重責を担う職業につきながら心の病が持ち出されるためか、その行間からは常にそこはかとない暗さが漂ってくる。とはいえ、気が滅入るものではない。読み終えて、ふっ、と口から漏れたため息とともに、いくぶん身体が軽くなった気がする。そして気づいた時には、後戻りができなくなっていた。その文章の「闇」の虜になってしまったかのように、わたしは南木作品に魅せられている。
本書は、作家生活四十年目を飾るエッセイ集。鬱々と過ごした四十代があり、五十歳近くになって登山を始めたのをきっかけに、意図的に身体を動かすようになってパニック障害の症状は改善されていった。還暦を越えた作者には、今、そんな回復期を振り返りながら書かれたエッセイが多い。なかでも度々登場する、奥さんとのやりとりには微笑まされる。映画『海街 diary』で長女役の綾瀬はるかが、不倫相手の小児科医と別れるとき、海辺で軽く挙げた手に、著者は思わず手を振り返す。すると隣に座る妻の唇が、ばあか、と動いたとか。また別の一編では、茶を呑みに階下に降りてみると、炬燵に並んで眠っている妻と飼い猫のトラの寝姿があまりにそっくりで、一瞬どちらに話しかければよいか迷ってしまった、とか。余談だが、そのトラが主人公となった小説『トラや』もまた必読の一冊だ。病や老い、そして死とともに、生きることの大変さが穏やかに書かれている。
若かりし頃、数多くの人の死が身近にあった医師としての日常生活において、書くことは、生きることでもあった。しかし、発病して以来、書くことが難しくなり、「わたし」の存在が危うくなった。そのときに、そこに「いる」ことを当たり前に受け止めつづけた奥さんが支えになったという。力まない描写だからこそ、身に沁みるものがある。
闇から這い出してくる「しぶとさ」、そしてただ生きていれば「それだけでよい」という自己肯定感。著者は、それらを伝えるために頻繁にではないが作品を発表しつづけている。そんな南木さんの存在にそっと思いを重ねることによって、わたし自身、ここにいることを許されているようにも感じる。高齢になりいずれ引退を考えておられるらしいが、まだまだ筆を擱かないでほしい。新作を書店で手にして、あっ、まだ生きている、とほっとさせてほしい。
「小説幻冬」2020年10月号
本の山

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