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宗教と日本人

2022.11.06 公開 ツイート

初詣は宗教? 日本特有の「信仰」を重視しない宗教観 岡本亮輔

世界屈指の「無宗教の国」とされる日本。しかし初詣は神社に行き、結婚式は教会で、葬式は仏式で、というのは一般的です。日本人にとって宗教とはどのようなものなのでしょうか。伝統宗教から新宗教、パワースポットや事故物件、縄文などの古代宗教。さまざまな観点から日本人と宗教の不思議な関わりを解き明かす『宗教と日本人』(中公新書)より、一部を抜粋してお届けします。

新宗教の信者数を大きく上回る「初詣」の参拝客数 年中行事は宗教なのか

新宗教との対比を念頭に、伝統宗教について考えてみよう。前述の通り、日本では初詣七五三墓参りなどは多くの人が行っている。明治神宮・成田山新勝寺・川崎大師・浅草寺・鶴岡八幡宮などは、正月だけで数百万の参拝客を集める。初詣客数のトップ10を合わせれば、前記の新宗教の上位37教団の合計信者数(1591万人)を簡単に上回るだろう。

(写真:iStock.com/Shubhashish5)

しかし、初詣をした人はその寺社の信者と言えるのか。同じ問いは、初詣以外についても生じる。2014年の調査では、七五三を行った人のうち、約93%が写真撮影をしているが、神社参拝をした人は約82%だ(「七五三に関する実態調査」)。

こうした状況について、「七五三は年中行事であって宗教ではない」「元々は宗教的な意味があったのかもしれないが現代では失われた」といった語りが重ねられてきたが、年中行事や慣習は宗教ではないのだろうか。

佐女川神社の「寒中みそぎ祭り」は宗教? イベント?

別の例で考えてみよう。北海道南部の木古内町にある佐女川神社には、200年近く続いてきた「寒中みそぎ祭り」という行事がある。毎年1月13~15日、行修者と呼ばれる20歳前後の4人の若者が、短い睡眠をのぞいて断続的に冷水を浴び続ける。最終日には、みそぎ浜から海に入り、津軽海峡の荒波の中でそれぞれが抱える御神体を海水で清めるというもので、日本有数の荒行と言える。

寒中みそぎ祭りが報道番組(『北海道ニュースUHB』)で取り上げられる時は、豊漁豊作や無病息災を願う「神事」として紹介される。他方、バラエティ番組(『月曜から夜ふかし』)では、全国の「お正月イベント」の一つとして、大分県の大根おろし王選手権などと一緒に扱われ、行修者の若者が本音では寒さを感じていることが映し出される。

ちなみに、祭りに合わせて、寒中みそぎフェスティバルも開催される。地元の特産品を販売する出店が並び、行修者をモチーフにしたグッズの販売、地元の和牛フェア福引抽選会などが行われるのだ。

 

佐女川神社の寒中みそぎは宗教なのだろうか。祭りの方は宗教で、フェスティバルの方は宗教ではないのか。だが、祭りに集まった人の多くはみそぎも見るし、出店で買い物もするだろう。では、行修者の若者をはじめとする一部の関係者は宗教的だが、それ以外の人々は宗教的ではないのか。しかし、祭りの主役とも言える行修者は、北海道外の若者が務めることもあり、佐女川神社と継続的に関わってきた人に限られない。

同じことは他の祭礼や神事にも見られる。祭りには出店がつきものだし、祭りに合わせたイベントもしばしば開催される。また、神輿渡御などの神事を行うのに、地元だけでは人手が足りず、よそから人員補充することもめずらしくない。人手不足問題を抱えていなくとも、外国人観光客をはじめ、誰でも参加できる神事もある。

(写真:iStock.com/Meiyi524)

新宗教的な宗教イメージを前提にすると、伝統宗教の領域では、いったい何が宗教なのかを見極めるのが難しくなる。日本の伝統宗教は教義や実践の意味が明確でなく、メンバーシップも曖昧だ。もちろん、仏教や神道にも教義はあるが、それが一般の人々に十分に届いていない。なぜだろうか。それは、新宗教が主に病貧争を抜け出そうとする個人が意識的に選びとって入信するものであるのに対し、伝統宗教は、多くの場合、集団的・無意識的に関わるものだからである。

こうした特徴は、日本宗教の重層性と呼ばれる。核家族化や都市への人口流出で保有率は減っているが、それでも仏壇は4割程度、神棚は3割程度の家庭にある。そして、1つの家に両方が置かれていても、特段の違和感はないはずだ。これは、それぞれの宗教と関わる際の足場が異なるためである。

 

神道に対してはコミュニティ単位で関わる。本人に自覚がなくとも、ある地域に生まれれば、近隣神社の氏子に数えられる。一方、仏教は家単位である。檀家となっている寺に、家族の一員として加わるのだ。そして場合によっては、この2つに、個人が選び取ったキリスト教や新宗教がさらに重なりうるのである。

神道と仏教は、生まれた場に応じて課されるものと言える。日本仏教には、真言宗・曹洞宗・浄土宗といった様々な宗派があるが、次章で見るように、自家の宗派の教えを詳しく知っている人はほとんどいない。そもそも家の宗派がどこなのかが曖昧な人もめずらしくないが、個々人が選び取ったものでない以上、当然なのである。

言い換えれば、日本では信仰を重視しない宗教が、広範かつ長期的に存在してきた。日本の伝統宗教は、どこかの時点で信仰を喪失したのではなく、そもそも信仰が主題化しないのだ。そして、こうした非信仰的な宗教のあり方は、キリスト教や新宗教の観点からは異質に見えるのである。

*   *   *

この続きは中公新書『宗教と日本人』をご覧ください。

岡本亮輔『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』

信仰を持たない人が大半を占める日本人。しかし他方で、仏教や神道、キリスト教などの行事とは縁が深い。こうした日本の不可思議な状況をどう見ればいいのだろうか。本書は、新宗教の退潮や、現代の葬式や神社、そしてスピリチュアル文化などを位置づける。日本の宗教の現在地と今後を示す試み。

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世界屈指の「無宗教の国」とされる日本。しかし初詣は神社に行き、結婚式は教会で、葬式は仏式で、というのは一般的です。日本人にとって宗教とはどのようなものなのでしょうか。伝統宗教から新宗教、パワースポットや事故物件、縄文などの古代宗教。さまざまな観点から日本人と宗教の不思議な関わりを解き明かす『宗教と日本人』(中公新書)より、一部を抜粋してお届けします。

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岡本亮輔

1979年、東京生まれ。北海道大学准教授。筑波大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専攻は宗教学、観光学。著書『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社、2012年、日本宗教学会賞受賞)、『聖地巡礼』(中公新書、2015年、英訳『Pilgrimages in the Secular Age』〔JPIC〕)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書、2017年)。共編著『宗教と社会のフロンティア』(勁草書房、2012年)、『フィールドから読み解く観光文化学』(ミネルヴァ書房、2019年、観光学術学会教育・啓蒙著作賞)、『いま私たちをつなぐもの』(弘文堂、2021年)。

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