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宗教と日本人

2022.11.13 公開 ツイート

お葬式の費用は平均195万円 なのに9割が仏式を選ぶ実用的理由 岡本亮輔

世界屈指の「無宗教の国」とされる日本。しかし初詣は神社に行き、結婚式は教会で、葬式は仏式で、というのは一般的です。日本人にとって宗教とはどのようなものなのでしょうか。伝統宗教から新宗教、パワースポットや事故物件、縄文などの古代宗教。さまざまな観点から日本人と宗教の不思議な関わりを解き明かす『宗教と日本人』(中公新書)より、一部を抜粋してお届けします。

「葬式仏教」という批判

多くの人が神社と関わるのは、初詣・祭礼・観光といったところだろう。年に数回程度とはいえ、いくつかの接点があるとも言える。ただ、それでも神職が家に来たり、膝を交えて話す機会はほとんどないはずだ。

一方、仏教の場合、特に地方であれば檀家となっている寺との関係はそれなりに保たれ、お盆や各種法事では金銭も含めたやり取りが残っているのではないだろうか。中でも葬送は、仏教が存在感を示してきた領域であり、だからこそ、根強い「葬式仏教批判」が存在する。

(写真:iStock.com/SAND555)

2010年の島田裕巳『葬式は、要らない』では、もはやあえて声高に唱える必要がないほど葬式無用論は広がっており、葬式仏教の衰退は「歴史の必然」とさえ述べられる。また近年では、樹木葬散骨といった葬送も目立つし、ネット通販のように僧侶を派遣する「よりそうお坊さん便」や、安心価格が売りの「イオンのお葬式」も登場して賛否を呼んだ。

 

なぜ仏式葬儀は批判されるのか。一定数の人が葬式にそれほどの意味を見出せなくなり、費用を割高に感じるのだろう。誰かが亡くなれば、当たり前のように戒名が与えられ、葬式が行われ、墓地に埋葬される。だが、故人のことを知らない僧侶が戒名を決め、金額によって院号や位号といったランクもあるようだ。読経はほとんど理解できないし、若い副住職の法話にも共感できない。

それにもかかわらず、多額の費用がかかる。2016年の全国平均は、寺への布施(約47万円)、飲食接待(約30万円)、葬儀一式(約121万円)を合わせて約195万円だという(日本消費者協会「葬儀についてのアンケート調査」)。寺や僧侶を介さず、すぐに遺体を火葬場で焼き、そのまま墓に納める直葬の方がよいのではないか。葬式仏教批判の背後には、こうしたコスト意識があるのは間違いないだろう。

 

それでは現代日本人は宗教的に意味のある葬送を求めているのか。厳しい修行を積んだ徳の高い僧侶による葬式ならば、そのコストに納得するのだろうか。ここで確認しておきたいのが、葬式仏教批判は盛んだが、葬式仏教離れは進んでいないことである。

「便利だから」選ばれる葬式仏教

なぜ地獄も浄土も信じないのに戒名を貰い、僧侶を導師にして葬式を行うのか。それは、死者を送る作法として、葬式仏教を利用するのが便利だからだろう。そもそも葬儀は死者のためだけに行うものではない。その人の今後の不在を社会に告知し、悲しみを表現し、遺族を慰安する実践として、葬式仏教は長い時間をかけて整備され、日本社会に定着してきた。

宗教社会学者の櫻井義秀は、自身の体験も踏まえながら、葬式がもたらす感情に関わる効能を指摘している。枕経から告別式までの一連の儀礼は、それに集中することで悲嘆の感情を和らげてくれる。そして、次々と訪れる親族や知人との感情交流は、人間関係の強化・再確認の機会になるというのである(『これからの仏教 葬儀レス社会』)。

(写真:iStock.com/bee32)

こうした葬式仏教の実践性を無視し、それを堕落や形骸化として断じるのは短絡的だ。柳田の神葬祭批判がその点をよく表している。柳田は神葬祭の信仰的な欠陥や矛盾をあげつらったわけではない。神葬祭が葬送儀礼として十分に練り上げられておらず、死者を送るのにふさわしい雰囲気と情緒をもたらさないことに不満を感じたのだ。その点、葬式仏教は高度に洗練され、人々の欲求に応えられる信仰なき実践なのである。

 

本章冒頭で述べたように、葬式仏教は、現在も圧倒的シェアを誇る。2010年代以降、『葬式は、要らない』や『寺院消滅』といった書籍が話題になったが、全ての寺院がそこまで切迫しているわけでもない。

たとえば四国の寺の住職・蝉丸Pは、葬式不要論は「都市から目線」であると指摘する(『住職という生き方』)。地縁・血縁の希薄化が進む都市部であれば、寺院との付き合いが不要になる人は多いだろう。だが、旧来の人間関係が残る地方では、散骨や直葬は話題にもならず、檀家が増えている地域もあるという。

 

重要なのは、一般的な葬式仏教批判が葬式仏教の存続を前提としていることだ。費用の問題、読経の無意味さなどは、改善点を指摘しているのであって、その即時廃止を訴えているわけではない。お坊さん便をめぐる議論も、それが牧師便でも神主便でもなく、他ならぬお坊さん便であったこと自体が、葬式仏教への社会的な信頼を示しているように思われる。

圭室の『葬式仏教』では、「維新以後の仏教の活きる路は、葬祭一本しか残されて」おらず、その道を行くには「古代的・封建的な、呪術的・祖先崇拝的葬祭」を廃し、「近代的な、弔慰的・追悼的な葬祭儀礼を創造すること」が必要だと説かれる。つまり、現代仏教に求められるのは、信仰の復活や布教ではなく、葬式の創造的な改良だというのである。

 

本章で見てきたように、戦後に限っても、葬式仏教批判は半世紀以上も続いている。だが、それでも仏教による葬式の独占は続き、樹木葬などの一見新たな葬法も、実質的には寺院墓地における埋葬法の多様化であった。まさに圭室の見立て通り、葬式仏教は現代社会に合わせて変化を遂げつつあるのだ。儀礼の実践によって感情的・社会的効果をもたらす葬式仏教は、信仰なき宗教の典型と言える。

それでは、日本のもう一つの伝統宗教である神道は、どのように特徴づけられるのか。次章では、神社の背後にある仏教よりも遥かに抽象的な所属の感覚について考えてみたい。

*   *   *

この続きは中公新書『宗教と日本人』をご覧ください。

岡本亮輔『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』

信仰を持たない人が大半を占める日本人。しかし他方で、仏教や神道、キリスト教などの行事とは縁が深い。こうした日本の不可思議な状況をどう見ればいいのだろうか。本書は、新宗教の退潮や、現代の葬式や神社、そしてスピリチュアル文化などを位置づける。日本の宗教の現在地と今後を示す試み。

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世界屈指の「無宗教の国」とされる日本。しかし初詣は神社に行き、結婚式は教会で、葬式は仏式で、というのは一般的です。日本人にとって宗教とはどのようなものなのでしょうか。伝統宗教から新宗教、パワースポットや事故物件、縄文などの古代宗教。さまざまな観点から日本人と宗教の不思議な関わりを解き明かす『宗教と日本人』(中公新書)より、一部を抜粋してお届けします。

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岡本亮輔

1979年、東京生まれ。北海道大学准教授。筑波大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専攻は宗教学、観光学。著書『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社、2012年、日本宗教学会賞受賞)、『聖地巡礼』(中公新書、2015年、英訳『Pilgrimages in the Secular Age』〔JPIC〕)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書、2017年)。共編著『宗教と社会のフロンティア』(勁草書房、2012年)、『フィールドから読み解く観光文化学』(ミネルヴァ書房、2019年、観光学術学会教育・啓蒙著作賞)、『いま私たちをつなぐもの』(弘文堂、2021年)。

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