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本屋の時間

2022.10.15 公開 ポスト

第143回

胸のおくのおくにずっとある絵辻山良雄

絵本作家の山脇百合子さんが亡くなった。ほんとうにありがとうございましたという気持ちだ。わたしにとって、山脇さんの絵は原風景。子どものための本そのものであり、いま手元にある本を眺めても、この絵で育ったんだなぁといった、しみじみとした感慨が湧いてくる。大人になり、たくさんの素晴らしい絵本作家の存在を知っても、はじめて見た風景は変わることがない。訃報を聞き、同じ気持ちを抱いた方も多かったのではないか。

 

山脇さんは、お話を担当した姉・中川李枝子さんとのコンビで、数多くの絵本、童話を世に出した。その中でも、絵本『ぐりとぐら』のシリーズはいちばんの代表作といえるのだろうが、わたしにとって山脇百合子といえば、『いやいやえん』『たんたのたんけん』といった童話の挿し絵を描いたひとだった。その絵は、何度も何度も物語を読み聞かせてくれた母の声と分かち難くあり、体の奥深くに染みこんでいる。

山脇さんの描く子どもはみなほっぺたが赤く、口角でその繊細な表情がつけられる。アトリエで有名な画家が描いたというよりは、平日の午後、家庭のテーブルでひとり母親が描いたような、親しさと温もりがあった。

その線は素朴でありながらも、誠実でまじめ。わたしは自分のことを、結局は道を踏み外すことのない、面白味のない人物だと思っていやになることがあるのだが、この度あらためてこの絵を見て観念した。このまじめな絵が根っこにあるのであれば、それはもうそうなるしかないではないか。子どものころに読んだもの、見た風景というのは、知らず知らずのうちにその人のそれからを決めてしまうのだろう。

子ども時代から遠く離れた大学三年の冬、わたしはある衝動にかられ、自分のために『いやいやえん』を買った(手元にある本の奥付は1995年2月10日第81刷となっている)。なぜ大人になってまで、子どもが読むその童話を買おうと思ったのかはわからない。しかしいま考えてみればそれは、自分がどこから来てどこへ行くのか振り返りたかったゆえの、わたしにとって切実な行動だったのかもしれない。

当時、同級生たちはみな卒業の年を控え、それぞれ就職先を探しはじめたというのに、わたしといえばひとり留年が決まり、その時付き合っていたひとともあまりうまくいっていなかった。目に見える空はずっと灰色。何かにすがりつく思いで衝動的に買ってしまった『いやいやえん』だったが、結局その時は少し読んだだけで、そのまま本棚に戻してしまったと思う。

しかしその本を買ったことで、「大人が自分のために子どもの本を買ってもよいのだ」と、本に対して少し自由になれたのはよかった。その頃はプレゼントでもないのに、絵本や童話を持って書店のレジに行くなんて、あまり考えたことがなかったのだ。

小説や評論だけが本ではなく、絵本や童話だって大人が読む立派な本である。

広く本を扱っているいまでは、「何をあたりまえのことを」と一笑に付すようなことでも、その既成概念をはじめて取り払う時は、少しだけ勇気を必要としたのだ。

実際絵本ほど、本というものの魅力を体現しているジャンルはほかにない。すぐに読みきれる長さで、その人が大切だと思うことを描ききっていること。両手で広げられる大きな紙面で、絵と言葉がわかりやすく胸に飛び込んでくるところ……。その専門店が多いのも納得がいく。

いま、店の広さに関して残念に思うことはほとんどないのだが、児童書の棚が1本(その脇に無理やり据え付けた児童文学の棚がもう1本)しかないことはずっと気にかかっている。叶うことなら本の数を、この倍、いや3倍くらいまでには増やしたい。店には遠方から来てくれるお客さんもいるが、絵本は主に近所の方が日常的に買ってくれることが多く、店とこの地域とをつなぐ、大きなかすがいだと思っている。

今回のおすすめ本

『あんまりすてきだったから』くどうれいん・作 みやざきひろかず・絵 ほるぷ出版

「すき!」や「すてき!」と感じた気持ちを素直に表現してみること。それはいつか思わぬかたちで、あなたのもとへと帰ってくるだろう。自由すぎるオノマトペが運んでいく、あかるい幸福感につつまれた絵本。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年11月28日(金)~  2025年12月22日(月) Title2階ギャラリー

『新装版 昭和柔俠伝』刊行記念 バロン吉元原画展

 劇画家・バロン吉元が1971~72年に発表した代表作『昭和柔俠伝』(リイド社刊)の復刊を記念し、同作の原画のみを一堂に集めた初の原画展を開催します。物語の核となる名場面を厳選展示。バロン吉元はいかに時代を切り取り、そこに生きる人々の温度を紙にこめてきたのか……。印刷では伝わりきらない、いまだ筆致に息づく力を通して、原稿用紙の上で世界が立ち上がる軌跡を、原画で体感いただける機会となります。


◯2025年12月25日(木)~  2026年1月8日(木) Title2階ギャラリー

Title2Fの古本市 vol.10

毎年恒例の古本市が、今年もTitleに帰ってきました! Titleの2階に、中央線からは遠いお店からこの辺りではお馴染みの店まで、6店舗の古本屋さんが選りすぐりの本を持ち寄って、小さな古本市を開催します。10回目の今年は、新しい店も参加します! 掘り出しものが見つかると古本市、ぜひお立ち寄りください。
 

【『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります】

本屋Titleは2026年1月10日で10周年を迎えます。同日よりその10年の記録をまとめたアニバーサリーブック『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります。

各年ごとのエッセイに、展示やイベント、店で起こった出来事を詳細にまとめた年表、10年分の「毎日のほん」から1000冊を収録した保存版。

Titleゆかりの方々による寄稿や作品、店主夫妻へのインタビューも。Titleのみでの販売となります。ぜひこの機会に店までお越しください。
 

書誌情報

『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』

Title=編 / 発行・発売 株式会社タイトル企画
256頁 /A5変形判ソフトカバー/ 2026年1月10日発売 / 800部限定 1,980円(税込)

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】

心に熾火をともし続ける|〈わたし〉になるための読書(7)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

あらゆる環境が激しく、しかもよくない方向に変化しているように感じる世界の中で、本、そして文学の力を感じさせる2冊を、今回はご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

幻冬舎plusでできること

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