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本屋の時間

2022.09.15 更新 ツイート

第141回

先のことは「わがんねえ」 辻山良雄

その日我々は短い夏休みを楽しもうと、朝早くから大宮駅へと向かっていた。

新宿駅で中央線を降り、埼京線のホームに着いたとき、横を歩いていたAが異変に気づく。

あれ、ちょっと待って? 切符がない……

切符というものをもう誰も持ち歩かなくなって久しいが、今日は新幹線に乗るから、数日前にめずらしく買っておいたのだ。それが裏目に出てしまったか。

まだどこかに落ちているかもしれないから、探してみよう。

 

来た道を戻るように階段を降りるが、切符はどこにも落ちていない。視線を上げると目の前には、通勤途中のサラリーマンが右から左から波のように行き交っており、それを見ると、この中から一枚の切符を探すのは絶望的なことのように思えた。

この先の電車の乗り継ぎには余裕がなく、次に新宿を出る埼京線を逃すと、予定していた東北新幹線、そしてその先のJR八戸線の電車に乗れなくなり、本日中に予約していた宮古のホテルまで辿り着けるかわからない。切符はないが、とりあえず大宮駅まで行ってみることにした。

あー、また一万ちょっとの出費か……。ツイてないなぁ。

ツキの問題ではなかっただろうが、そう思わずにはいられなかった。

埼京線を大宮駅で降り、はやぶさ1号が同駅を発車するまでわずか8分。新幹線の窓口にダッシュで駆け込み、早口で事情を話す。

「荻窪から電車に乗って次の新幹線で八戸まで行きたかったのですが、すみません、どこかで切符を落としちゃったみたいで……」

わたしたちが話しているその会話が聞こえたのだろう。隣の窓口で別の客を受けていた係員Aが、我々の接客をしていた係員Bに向かって何か声をかけたと思ったら、彼はどこからか届いていたFAXを「これだ」とBに手渡した。Bはその後我々の方に向き直ると、「切符は荻窪駅で拾われたようです」と言って、我々を改札口まで誘導する。

改札口には、若い女性の係員Cがいた。彼女はBからやはり手短に話を聞くと、FAXと我々の顔とを見比べたあと、「もう電車がくるので、この紙をもってすぐに乗車してください」とだけ言ってゲートを開け放った。てっきり精算か、切符の再発行をするのかと思っていたので、三つ折りにされたFAX用紙だけを持たされた時には驚いたが、発車の時刻が迫っている。結局はやぶさ1号には、間一髪で乗ることができた。

新幹線を降りる八戸駅でも、同じ対応が待っていた。

はたしてこんな紙切れ一枚で改札を通過できるのかと思ったけど、有人改札にいた女性係員Dは、あぁ、その話なら伝わっているといった表情で「このままどうぞ」と通してくれた。

この間、我々に関わってくれた係員A~Dは、みな親密な表情を浮かべるというわけではなかったが(こちらの不手際なので当然だ)、その行動は「良心的な仕事をするのはあたりまえ」といった意識に端を発しているように思えた。少し想像してみれば、朝の忙しい時間、荻窪駅でわざわざ切符を拾ってくれた人もいただろうし、我々が通るであろう駅に前もって連絡をした係員だっていたのだろう。そうした見えざる手、一隅を照らす人びとの仕事により、我々の旅はふたたび生かされることになったのである。

誰に頭を下げればよいのかわからなかったので(そうするにはその対象が多すぎる)、わたしは目の前にあったFAXに向かい、深々と頭を下げることにした。

しかし、この朝はこれで一件落着というわけにはいかなかった。

新幹線の改札を出て、JR八戸線のホームまで行くと、そこに立てられていたホワイトボードのまえには人だかりがしている。

「大雨のため、JR八戸線の八戸~久慈間は運転を見合わせております」

八戸から久慈までは40km強。とても簡単に行ける距離ではない。

他に久慈にいく方法はないのでしょうか。例えばバスとか……

そこにいた係員の女性に、同行のAがくいさがってみたが、彼女も首を横に振るだけだった。

うーん、困った。

万事休すか。予約したホテルの、写真では豪華そうに見えたディナーが遠のいていく。どこに行くあてもないので、しばらくそこに立ちつくしていると、先ほどAが話しかけた係員の女性が近づいてきて、小声でそっとこのように伝えた。

「JRが久慈駅まで代行タクシーを出すようなので、ご乗車されるのであればそこでお待ちください」

よし! 助かった……

何時とも幾らとも言われなかったが、我々と、こちらも東京から来たという、白いTシャツの若い男性がそこに立っていると、向こうの方からJRの職員らしきおじさんが、ゆっくりゆっくりこちらの方まで歩いてきた。

「あの、久慈までの切符は買っていて、でもその切符は落としてしまい手元にないのですが、代わりにこのFAXがあって……」など自分でも要領を得ない説明をしていると、その職員は興味なさそうに「あぁ」とだけいって我々をタクシー乗り場まで案内した。

「乗ってください」

やはり値段などの説明はなし。

タクシーが走り出したあと、同乗の白Tシャツの若者が運転手のおじさんに、「久慈から先の電車は走っているのでしょうか」と尋ねた。おじさんは少し考えたあと、

「わがんね」

とだけ答えた。そりゃそうだ。

タクシーは大雨の中、無料の復興道路である三陸沿岸道路を快走し、電車が着くはずだった時間よりもニ十分ほど早く久慈駅に到着した。メーターを見ると一万八千円を超えている。

「きをづけて」

おじさんも何か言いたそうだったけど、結局言ったのはそれだけで、また車に乗り込んで出ていってしまった。これから八戸まで帰るのだろうか。

決してツイてなくはない。そもそもツキなんて、最後の瞬間までわからない。

久慈も雨だったが、わたしとAはそこから先に向かうため、駅の中へと入っていった。

今回のおすすめ本

モヤモヤの日々』宮崎智之 晶文社

書くことはしんどい。わたしなどはついそのように思ってしまうのだが、宮崎さんは何とも楽しそうに書き、それでいて無駄がなく面白い。うらやましい限りである。
まいにちまいにち書き続けられた、一年にわたるエッセイの集成。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。
 

◯2022年9月16日(金)~ 2022年10月3日(月)Title2階ギャラリー

安達茉莉子 新刊3冊刊行記念展「かけがえのない日々」

作家・文筆家の安達茉莉子さんのエッセイ集が、本年3冊――『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎、9月発売)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)――の刊行を記念して、出版記念展を開催します。一見テーマは違うようでいて、響き合い、通い合う3冊。今回の展示では、3冊それぞれの文章や世界観を基にした描き下ろし原画の販売や、書籍の一節や書き下ろしエッセイなどを展示します。

 

◯2022年10月7日(金)~ 2022年10月24日(月)Title2階ギャラリー

絵本『あんまりすてきだったから』原画展

『あんまりすてきだったから』(くどうれいん 作・みやざきひろかず 絵/ほるぷ出版)の出版を記念して、絵本の原画展を開催します。原画の展示のほか、くどうさんとみやざきさん、お二人のサイン入りの絵本(数量限定)、ポストカードセット(制作/nowaki)、みやざきさんの作品などを販売。関東近郊では、今回のみの開催です。お近くの方は、ぜひお越しください。

 


◯インタビュー(全4回)
兼業生活「どうしたら、自分のままでいられるか」~辻山良雄さんのお話(1)室谷明津子 2022/8/5
 

◯【書評】
こまくさWeb
〈わたし〉の小さな声で歌おう~榎本空『それで君の声はどこにあるんだ? 黒人神学から学んだこと』に寄せて /評:辻山良雄


「波」2022年6月号
『やりなおし世界文学』津村記久子(新潮社)/止まらない「本の話」 評:辻山良雄

見よ、これがブレイディみかこだ―― 評: 辻山良雄
『ジンセイハ、オンガクデアル――LIFE IS MUSIC』ブレイディみかこ(ちくま文庫)

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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