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礼はいらないよ

2022.08.31 更新 ツイート

インド人家族がやって来たリビングとスパイスの不思議な2週間 ダースレイダー

(写真:iStock.com/Arundhati Sathe)

つげ義春の傑作漫画に「李さん一家」という作品がある。郊外のボロ屋に引っ越してきて、これからの悠々自適な生活を空想する主人公の家に、フワッとどこからともなくやって来て住み着いてしまう一家の話だ。この一家のムードが実に良い。何をしているかわからない飄々とした李さん。千葉出身とだけ紹介される無表情でグラマラスな妻、栄養失調気味な娘とそのお古を着ている弟。彼らは特に主人公と交流するわけでもないが、主人公の育てたきゅうりは勝手にもいで行く。こうしたフワッとやって来る者たちが入り込む隙間が1960年代までの日本には沢山あったのだろう。

 

水木しげるはこうしたやってくる者たちを鬼太郎や妖怪として生き生きと描いた。内山節は『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で1965年を転機としている。かつての日本の村々はそれぞれの民間信仰に基づく霊的世界の中で暮らしていて、キツネやたぬき、ムジナやいたち、河童や天狗らがやって来ていたずらをする。こうしたフワッとした隙間だらけの社会が1965年、それこそ東京オリンピックやビートルズ来日、テレビの普及などを経てギュッと詰まった社会に変質していく。そこからは一丸となった高度成長期だ。こうして、それまでやって来ていた李さん一家や鬼太郎やキツネやらが迷い込んでくる隙間は日本社会からは無くなっていく。

昨今、西欧社会的な意味での多様性が盛んに語られるようになったが、日本はかつて隙間だらけの多様な社会であったとも言える。藤子不二雄作品でもドラえもん、ハットリくん、怪物くん、Q太郎と次々となにかがやって来る。異なる者たちは常に隣、あるいは2階にいて自然と気づきや学びを与えられていたのだ。やって来る者たちをシャットアウトして高度成長を果たした後の日本社会は、世界1位の経済大国に一時的になった代わりに何を失ってしまったのか?

「李さん一家」を読むと思い出すことがある。僕は8歳くらい、一家でロンドンにいた頃の話だ。僕と弟が家の中で遊んでいるとインターホンが鳴った。来客だ。僕が玄関を開けると初めて会うインド人のおじさんとおばさん、そしてその子供たちと思しき男の子二人が立っていた。家族は皆インド風の色鮮やかな服を着ている。

インド人のおじさんが「君のお父さんとは友達だ。はるばる会いに来たんだ。今、お父さんは家にいるかい?」と聞く。父は長期の出張で家を空けていた。「父はいつ帰ってくるかわからないです」と僕が答えると、おじさんは笑顔で「そうか。それは残念だ。でもはるばる来たんだ。お父さんの家を見せて欲しい」と言ってずかずかと家に上がってきた。おばさんと子供たちも後に続く。えええ? と僕は戸惑ったが彼らはお構いなしにリビングに座ってしまった。しかも彼らは大きなスーツケースをいくつも持っている。僕と弟はただ呆然とくつろぐ彼らを見守っていた。

夕方、母が帰宅した。これで解決! と思ったが、驚いたことに母も彼らと面識がなかった。それでも彼らは父にはるばる会いに来たのだからと帰ろうとしなかった。おばさんはせっかくだから晩御飯を作らせてほしいと言い、あっという間に台所がスパイスの香りで覆い尽くされた。その日、豪華なインド料理がテーブルに乗った。材料は元々うちにあったものだが、めちゃくちゃ美味しかったのは覚えている。

食事中、おじさんが父とのフワッとした思い出話をしていた。父の名前はあっていたし、うちの住所も知っていたから知り合いではあるのだろう。でも随分長い間会ってなかったようだし、この時期の父の出張も前から決まっていた。ご飯を食べ終わり、おばさんが入れてくれたチャイを飲み終わる頃には夜も遅くなっていた。母は泊まっていってくださいと言うと彼らは感謝しながらあっという間にリビングを彼らの寝室に作り替えてしまった。

翌日、出張先の父から電話があった。おじさんは確かに父の知り合いだった。「ええ? 家族もみんな連れて来ちゃったの? 本当に来るとはなあ……」父はそんな反応で仕事が忙しいため、早々に電話を切ってしまった。おじさんはどうしても父に会いたいと主張し、結局それまでは家族を泊めてほしいと言い出した。こうして彼らは僕の家に住み始めてしまった。

8歳の僕はもしかしたらこの人たちは帰らないのでは? と不安にもなった。おじさんはいつもニコニコしてる人で昼間はどこかに出かけていた。おばさんはあまり話さない人だった。子供同士はなんとなく一緒に遊べた。母は腹を決めたのかこの家族の世話もちゃんとしながら、おばさんと一緒に料理することでインド料理を覚えていった。1週間すると父からまた電話があり、おじさんと電話で話していた。おじさんは本当に嬉しそうに話していたが、父はまだ帰国出来ないという話だった。

彼らは結局、うちに2週間滞在していた。毎日インド料理を食べながらなんとなく共同生活は続く。ようやく父が帰宅するとおじさんは父に抱きつき、「約束通り来たよ。会えて嬉しいよ!」と涙ながらに話した。父も「来てくれてありがとう」と答えた。

ところがおじさんは父との挨拶を済ますともう用事は済んだとばかりに荷物をまとめ始めた。おばさんと子供たちもすぐに準備してあっという間にいなくなってしまった。後にはふんわりとスパイスの香りが漂っていた。突然やって来たインド人家族との不思議な2週間。その後もしばらくは彼らがまだリビングにいるんです、と言いたくなるような感覚で僕は過ごしていた。

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ダースレイダー『武器としてのヒップホップ』

ヒップホップは逆転現象だ。病、貧困、劣等感……。パワーの絶対値だけを力に変える! 自らも脳梗塞、余命5年の宣告をヒップホップによって救われた、博学の現役ラッパーが鮮やかに紐解く、その哲学、使い道。/構造の外に出ろ! それしか選択肢がないと思うから構造が続く。 ならば別の選択肢を思い付け。 「言葉を演奏する」という途方もない選択肢に気付いたヒップホップは「外の選択肢」を示し続ける。 まさに社会のハッキング。 現役ラッパーがアジテートする! ――宮台真司(社会学者) / 混乱こそ当たり前の世の中で「お前は誰だ?」に答えるために"新しい動き"を身につける。 ――植本一子(写真家) / あるものを使い倒せ。 楽器がないなら武器を取れ。進歩と踊る足を止めない為に。 イズムの<差異>より、同じ世界の<裏表>を繋ぐリズムを感じろ。 ――荘子it (Dos Monos) / この本を読み、全ては表裏一体だと気付いた私は向かう"確かな未知へ"。 ――なみちえ(ラッパー) / ヒップホップの教科書はいっぱいある。 でもヒップホップ精神(スピリット)の教科書はこの一冊でいい。 ――都築響一(編集者)

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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