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カニカマ人生論

2025.02.08 公開 ポスト

「よりぬき カニカマ人生論」ー「清水郁夫」の回より

【再掲】〈「なんとかなるわい」には強靭な力があると思わずにはいられません〉清水ミチコ

清水ミチコさんのエッセイ『カニカマ人生論』が文庫化されました!
“人生論”だけに、清水ミチコさんが背中を押してもらった「名言・迷言」の数々がちりばめられています。「背中を押すどころか、むしろヒクような話もたくさん」と清水さんは冒頭で書かれていますが……文庫化を記念して「よりぬき カニカマ人生論」を再びお届けします。

*   *   *

高山駅のすぐ近くにある私の実家。今はジャズ喫茶やお弁当屋さんを経営していますが、昔は「清水屋商店」という店だけを経営してました。果物やお菓子、贈答品として当時珍しかったモロゾフやメリーのチョコレートなども置いてあり、その可愛いロゴやマークを見ただけで、うっとりした気持ちになったものです。

経営していた私の父は、思いついたら後先を考えずに行動してしまう性格でした。家族はときおり起こす父の気まぐれな行動によって、ちょいちょい疲労させられました。

ある日、どこで食べてきたのか、「ごま油で揚げたアツアツのアイスクリームの天ぷらがものすごくうまかった!」とのことで、清水屋商店の一角に、「アイスクリームの天ぷら・揚げ饅頭」コーナーをすぐに設けました。揚げ饅頭も気に入ってメニューに加えたらしいのですが、どちらもお店で揚げるのは素人である本人。うまくいくはずがありません。

揚げたてを出すため、常に高温状態で待たされるごま油。初めは珍しさがあって買う人がいても、売り上げはそこまで伸びず。メリーの包装紙も油っぽくなってくるうえ、家の中に揚げ油の匂いがこもるのには、家族中ヘキエキでした。お隣の家は開業医だったのですが、ある日ついに「お宅の揚げ油の匂いがウチにまで来てて……」と言われました。

ところが父は、売り言葉に買い言葉でとっさにこう言いました。「あ、そう! ウチは先祖代々、オタクからの消毒液のニオイに今日まで耐えてきましたけどね!」もちろん嘘です。消毒液のニオイが隣にまで届くなんて話は聞いたことがありません。おそらくこの一件は、ご近所でも笑い話になっていたことでしょう。このせっかちさと、とっさの言い草は、父らしい話です。

そういえば私が小学校3年生の時のこと。クラスで「お楽しみ会」という催しものがあり、保護者もゲームに参加する、という時。父のいたチームが負けてしまい、罰ゲームをさせられることになり、大人5人が、黒板の前に立たされました。司会者が言います。「では、順番に一人ずつ『私はバカではありません』と、3回繰り返して言ってください」ここですでに教室中にドッと笑いが響きました。(大人がそんなことを言わされるなんて! しかも3回も。あ~、おかしい!)という笑い。最初の1人目、2人目は大爆笑でしたが、さすがに3人、4人となると、『バカではありません』の繰り返しに少々飽きてきた感が出てきました。そして最後、そこに立ってたのは父でした。父は「私は」と言い、ちょっと溜めてから「バーカ、どえーーーす!」と、思いっきりアホな顔に、バカっぽい声で言い切りました。大爆笑が起こりました。

翌日、担任の先生が「それにしても昨日の清水のお父さんにはウケたな~。はははは」と言い、それで思い出したクラスのみんなが「バーカ、どえーーーす!」と、口々に言い方をマネしてはクスクス笑っていました。こういうところは、普段は羨ましく思っていたハイソなご家庭の方では無理な芸当かもしれません。

音楽、特にモダンジャズが大好きで、当時の高山では珍しく、ジャズバンドのリーダー(ウッドベース)を務めていましたが、ジャズ喫茶が流行り出すと、私が小学校4年生の時にはその経営を始めました。こっちは向いていたのか、ずいぶん長期にわたって経営をしてましたし、何よりはたから見てても充実感にあふれてました。自分のやりたいことが見つかったのでしょうか。しかし私は(お店のインテリアもずいぶん凝ってるし、オーディオも桁違いの金額だったらしいけど、いつもお金は、どこから出てるのだろう)と、不思議に思ってました。

そんなある日、テレビのニュースを見てた父が、「なんだ、100万円くらいの借金でこんな事件起こしたのか」と、ふと洩らしました。そしてそのあと、「オレなんて、その何倍も借金あるけど、へいちゃら。ハハハハ」と笑ってました。私は笑えずその場で凍りつきました。お店を始めるため銀行から多額のお金を借りてたことも恐怖でしたが、それに対して平気そうな顔をできるのがもっと怖い。

私は昔から父の「なんとかなるわい」精神を心から軽蔑してたものですが、大人になってみると、父は事実、結果的には概ね成功してきたわけですから、「なんとかなるわい」には強靭な力があると思わずにはいられません。

色んな人に会ってきましたが、「何の根拠もない自信」ほど強いものはありません。父は10年ほど前に亡くなりましたが、なんだかんだ好き放題に生きた人生って、カッコいいと思いました。死にがい、なんて言葉はないだろうけど、そんな言葉も浮かびました。

父はお葬式ですら笑わせてくれました。せっかちな父には、同じくせっかちな親友がいたのですが、彼は訃報を聞いて飛んできてくれ、父を見て、「マスターッ」と、私たち遺族の胸にグッとくるほど、「わあああ~!」と、激しく男泣きしました。クライマックス。なのにすぐにケロリと「じゃ、仕事中なので」と、去って行ったのです。(早いよ!)(せっかち!)と、遺族は心の中でツッコんで、笑いをこらえました。

関連書籍

清水ミチコ『カニカマ人生論』

すぐに「気負け」して泣いてしまう少女の頃の笑えて切ない思い出。永六輔さん、タモリさんはじめたくさんの大切な人たちとの巡り逢い。自分の弱さやセコさにぶち当たりながらも、日常の些細な面白みを慈しみつつ、「若い頃よりクヨクヨしなくなった」と思えるようになるまでの様々な出来事。武道館を沸かせる国民の叔母(自称)の、自伝エッセイ。

清水ミチコ/酒井順子『「芸」と「能」』

ユーミンのコンサートには男性同士のカップルが多い。「アナ雪」に見る、「姫」観の変遷。モノマネとは、文章の世界で言うなら「評論」。香川照之さんと立川談春さん、歌舞伎と落語のにらみ合い。冬季オリンピックの女子フィギュアは、女の人生の一里塚。「話芸」の達人と「文芸」の達人が、「芸能」のあれこれを縦横無尽に掘る、掛け合いエッセイ。

清水ミチコ『主婦と演芸』

シャンプー時に立つか、座るか。何度会っても「初めまして!」と言う氷川きよし君。面白タクシードライバーさんに10円の恩返し。5000円札を喜ぶ黒柳徹子さん。マルベル堂でプロマイド撮影。「孤独死」報道に一言。矢野顕子さんと一緒にツアー。「重箱のスミ」でキラリと光るものを独自の目線でキャッチした、愉快で軽快な日記エッセイ。

清水ミチコ/森真奈美『知識ゼロからの大人のピアノ超入門』

今からでも遅くない! 気ままな友達、ピアノとの大人な付き合い方。 最近、大人になってからピアノを始める人が多い。 大人からのスタートのいいところは、誰からもガミガミ言われないこと、無理強いされないこと。 子ども時代よりも、ずっと自由に弾ける、友達のようなもの。 ワクワクしたら弾けばいいし、うんざりするならやめてもいい。 大人になってからのピアノは、そんな自由さがあなたを解放してくれるはず。 音楽家の森真奈美さんと、かれこれ半世紀ほどピアノを弾いているという清水ミチコさんによる、大人のためのピアノ入門書。

清水ミチコ『私の10年日記』

「フカダキョーコに似てますね」になぜか逆ギレ。欽ちゃんのおでこをペチと叩いてみる。誰も知らないホーミーのモノマネにトライ。三谷幸喜さんの誕生会で激しく乱れる。ナンシー関さんや渋谷ジァンジァンとの別れに涙。…テレビの世界を自由自在に遊泳するタレントが10年にわたって書き続けた、きっぱりすっきり面白い、日記エッセイ。

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清水ミチコ

岐阜県高山市出身。1986年渋谷ジァンジァンにて初ライブ。1987年『笑っていいとも!』レギュラーとして全国区デビュー、同年12月発売『幸せの骨頂』でCDデビュー。以後、独特のモノマネと上質な音楽パロディで注目され、テレビ、ラジオ、映画、エッセイ、CD制作等、幅広い分野で活躍中。著書に『主婦と演芸』『「芸」と「能」』(共に幻冬舎)、『顔マネ辞典』(宝島社)、CDに『趣味の演芸』(ソニーミュージック)、DVDに『私という他人』(ソニーミュージック)などがある。

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