
清水ミチコさんのエッセイ『カニカマ人生論』が文庫化されました!
“人生論”だけに、清水ミチコさんが背中を押してもらった「名言・迷言」の数々がちりばめられています。「背中を押すどころか、むしろヒクような話もたくさん」と清水さんは冒頭で書かれていますが……文庫化を記念して「よりぬき カニカマ人生論」を再びお届けします。
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高山駅のすぐ近くにある私の実家。今はジャズ喫茶やお弁当屋さんを経営していますが、昔は「清水屋商店」という店だけを経営してました。果物やお菓子、贈答品として当時珍しかったモロゾフやメリーのチョコレートなども置いてあり、その可愛いロゴやマークを見ただけで、うっとりした気持ちになったものです。
経営していた私の父は、思いついたら後先を考えずに行動してしまう性格でした。家族はときおり起こす父の気まぐれな行動によって、ちょいちょい疲労させられました。
ある日、どこで食べてきたのか、「ごま油で揚げたアツアツのアイスクリームの天ぷらがものすごくうまかった!」とのことで、清水屋商店の一角に、「アイスクリームの天ぷら・揚げ饅頭」コーナーをすぐに設けました。揚げ饅頭も気に入ってメニューに加えたらしいのですが、どちらもお店で揚げるのは素人である本人。うまくいくはずがありません。
揚げたてを出すため、常に高温状態で待たされるごま油。初めは珍しさがあって買う人がいても、売り上げはそこまで伸びず。メリーの包装紙も油っぽくなってくるうえ、家の中に揚げ油の匂いがこもるのには、家族中ヘキエキでした。お隣の家は開業医だったのですが、ある日ついに「お宅の揚げ油の匂いがウチにまで来てて……」と言われました。
ところが父は、売り言葉に買い言葉でとっさにこう言いました。「あ、そう! ウチは先祖代々、オタクからの消毒液のニオイに今日まで耐えてきましたけどね!」もちろん嘘です。消毒液のニオイが隣にまで届くなんて話は聞いたことがありません。おそらくこの一件は、ご近所でも笑い話になっていたことでしょう。このせっかちさと、とっさの言い草は、父らしい話です。
そういえば私が小学校3年生の時のこと。クラスで「お楽しみ会」という催しものがあり、保護者もゲームに参加する、という時。父のいたチームが負けてしまい、罰ゲームをさせられることになり、大人5人が、黒板の前に立たされました。司会者が言います。「では、順番に一人ずつ『私はバカではありません』と、3回繰り返して言ってください」ここですでに教室中にドッと笑いが響きました。(大人がそんなことを言わされるなんて! しかも3回も。あ~、おかしい!)という笑い。最初の1人目、2人目は大爆笑でしたが、さすがに3人、4人となると、『バカではありません』の繰り返しに少々飽きてきた感が出てきました。そして最後、そこに立ってたのは父でした。父は「私は」と言い、ちょっと溜めてから「バーカ、どえーーーす!」と、思いっきりアホな顔に、バカっぽい声で言い切りました。大爆笑が起こりました。
翌日、担任の先生が「それにしても昨日の清水のお父さんにはウケたな~。はははは」と言い、それで思い出したクラスのみんなが「バーカ、どえーーーす!」と、口々に言い方をマネしてはクスクス笑っていました。こういうところは、普段は羨ましく思っていたハイソなご家庭の方では無理な芸当かもしれません。
音楽、特にモダンジャズが大好きで、当時の高山では珍しく、ジャズバンドのリーダー(ウッドベース)を務めていましたが、ジャズ喫茶が流行り出すと、私が小学校4年生の時にはその経営を始めました。こっちは向いていたのか、ずいぶん長期にわたって経営をしてましたし、何よりはたから見てても充実感にあふれてました。自分のやりたいことが見つかったのでしょうか。しかし私は(お店のインテリアもずいぶん凝ってるし、オーディオも桁違いの金額だったらしいけど、いつもお金は、どこから出てるのだろう)と、不思議に思ってました。
そんなある日、テレビのニュースを見てた父が、「なんだ、100万円くらいの借金でこんな事件起こしたのか」と、ふと洩らしました。そしてそのあと、「オレなんて、その何倍も借金あるけど、へいちゃら。ハハハハ」と笑ってました。私は笑えずその場で凍りつきました。お店を始めるため銀行から多額のお金を借りてたことも恐怖でしたが、それに対して平気そうな顔をできるのがもっと怖い。
私は昔から父の「なんとかなるわい」精神を心から軽蔑してたものですが、大人になってみると、父は事実、結果的には概ね成功してきたわけですから、「なんとかなるわい」には強靭な力があると思わずにはいられません。
色んな人に会ってきましたが、「何の根拠もない自信」ほど強いものはありません。父は10年ほど前に亡くなりましたが、なんだかんだ好き放題に生きた人生って、カッコいいと思いました。死にがい、なんて言葉はないだろうけど、そんな言葉も浮かびました。
父はお葬式ですら笑わせてくれました。せっかちな父には、同じくせっかちな親友がいたのですが、彼は訃報を聞いて飛んできてくれ、父を見て、「マスターッ」と、私たち遺族の胸にグッとくるほど、「わあああ~!」と、激しく男泣きしました。クライマックス。なのにすぐにケロリと「じゃ、仕事中なので」と、去って行ったのです。(早いよ!)(せっかち!)と、遺族は心の中でツッコんで、笑いをこらえました。