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礼はいらないよ

2021.09.19 更新 ツイート

アガンベンの問いかけとシチリア「ゴッドファーザー」の記憶 ダースレイダー

(写真:iStock.com/fundamental rights)

パンデミックでは様々な議論が世界中で起こっている。COVID-19という感染症への評価やロックダウン、ワクチン、マスクなどの対応方法それぞれについての評価もそれこそ千差万別だ。

 

しかし、このパンデミック下で「変わらぬ日常」なるもの、例えば2019年と同じ生活を送る、あるいは希求するという選択は単純にもったいないと思う。人が何かを考える契機というのは実はそれほどない。考えるという行為に自覚的でなければ、それこそ変わらぬ日常の中で何事もなく時は流れていく。もちろんたかが人間社会の中での慌てふためきなるものと無関係に地球、宇宙レベルは変わらぬ日常を送っている。

だが、それも人間社会という前提を考えた末に見えてくるのとそうでないのでは大きく違う。人間社会がグローバル規模で巻き込まれているパンデミック下で何を考えたのか? が今後に大きく関わってくる。

2020年、欧州で最も過酷な感染状況を迎えたイタリアではジョルジュ・アガンベンの議論が話題を呼んだ。炎上したと言ってもよい。「剥き出しの生」を生きるだけでよいのか? パンデミック下で親族の弔いすら出来ない生き方でよいのか? 人はただ死ななければよいのか? 

そうしたアガンベンの問いかけは本質的だと思う。そして、それがイタリアという風土であっても炎上してしまう感染症への不安と恐怖もまた本質的なものだ。僕はこの話を聞いて自身のイタリアでの体験が甦った。それはとても美しく、感染症とはなんら関係ないものでもあった。

子供の頃、イタリアへはよく行った。父親の仕事でロンドンに住んでいて、EU以前とはいえ、ヨーロッパ旅行はそれほど遠出という感覚はなかった。ミラノ、フィレンチェ、ヴェネチア、ミラノ、ナポリ。ローマに行った時には現地でセリエAの試合も観戦した。ローマ対ユヴェントス。白黒のストライプスを着た皇帝プラティニのプレーを目撃している。その皇帝が今や汚職疑惑を追及されている。時は流れる。

シチリア島に5日間ほど滞在した時だ。ホテルは海岸沿いの崖の上にある立派なところで、歴史を感じる建築。とにかく広大だ。8歳の僕と6歳の弟はあちこちを探検した。ホテルのロビーでウロウロしているとイタリア人の兄弟と出会った。兄が10歳くらい、弟は僕と同じ8歳くらいだった。子供だからすぐに一緒に駆けっこして遊ぶようになる。

彼らはホテルに慣れていた。まるで自分たちの家のように振る舞っていた。ホテルの従業員とも顔見知りで厨房に忍び込み、裏口からあちこちへの侵入経路を知っている。従業員用の廊下を抜けて裏庭に出たり、倉庫にも入ったりした。

この兄弟に誘われて初めてワインを飲んだ。バーに並ぶワインを彼らは当たり前のように開けてグラスに注いでくれて、笑顔で僕に差し出した。ブドウジュースかと思って飲んだら不味くて、なぜ大人がこんなものを好きなのか信じられなかった。

この兄弟の面倒を見ていたベビーシッターが、僕の記憶上もっとも美しい、絶世の美女だった。セクシーな水着を着てプールサイドでカクテルを飲みながら兄弟を見守っている。こんなに綺麗な人がいるのか? と会うたびにドギマギした。モデルのようなスタイルでプールに飛び込み、イタリア人兄弟と遊ぶ。このベビーシッターは、今でも僕の記憶上最も美しい人物で、それはその頃テレビの再放送で見た007ムーンレイカーのボンドガール、ロイス・チャイルズよりもさらに現実的な美として頭に刻まれている。

5日目、この兄弟がどうやら「家に帰るんだ! お父さんが迎えに来る!」と言った意味のことをイタリア語で言ってはしゃいでいた。ずっと一緒に遊んでいたのでなんとなくの意思疎通は出来るようになっていた。見送りに行くよ! と僕と弟もホテルの玄関まで行った。

そこにはずらりと黒服の男たちが並び、その長い列の先に、これまた信じられない長さの黒い車が停まっていた。子供の頃の記憶だからオーバーになっていると思うが、列は果てしなく続き、車も果てしなく長かった。その車から一人の初老の男がゆっくりと降りてくる。イタリア人の兄弟はパーパ! と言って駆け寄っていった。その後ろを物凄いドレスを着た美人ベビーシッターが続く。そう、ここはシチリア島。パーパは、いわゆる「(ゴッド)ファーザー」だったのだろう。ベビーシッターがパーパにとってどんな存在だったのか? も今なら想像できる。

とにかく全ては圧倒的だった。その時の光景はイタリアの太陽の下、この世ならざる輝きを持っていた。厳粛、荘厳、超越。僕が普段意識している社会なるものと重なって存在する異次元。

ホテルの玄関に立つ僕と弟のところにイタリア人兄弟が父親を連れてきた。なにやらイタリア語で話している。そう、僕たちは仲良く遊んではいたが言語的コミュニケーションは正確には取れていない。それでも「わかった」感じ。その父親は優しい笑顔で僕らをゆっくりハグしてくれた。そして兄弟と父親と美人のベビーシッターは去り、黒服たちが乗り込んだ車列がその後にずっと続いた。

 

今、この記憶はどうしても「ゴッドファーザー」のテーマ曲とともに再生されてしまうのだが。法の外側、という世界の広がりを感じるには十分な体験だった。アガンベンの議論で指摘された剥き出しの生とは対極の、豊かで、法とは異なる掟の世界。その美学とともに屹立する生。イタリア人兄弟の名前は思い出せないが、彼らとホテルを駆け回った日々は美しく僕の中にある。

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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