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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

2021.04.10 公開 ツイート

五十嵐大さま 「手話で子育てする、ろう当事者の本が存在しない」ことに親になって初めて直面しました。 齋藤陽道

初めまして、写真家の齋藤陽道です。

2021年3月25日11時半の熊本は、しとしと雨がふったのちの快晴です。朝ごはんは、ヨーグルトとすりおろしたリンゴでした。なのでややお腹が空いています。ホックホクのゆげをたてて、甘辛いタレをまといながら黄金色に輝くカツ丼がしきりに脳裏をよぎります。

改めまして、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聞こえない世界を行き来して考えた30のこと』の刊行、おめでとうございます。
それにしても、42文字のタイトルの迫力よ! すごいですねえ。
ちょっと気になって長いタイトルを調べてみたら横尾忠則さんの本で、114文字ものタイトルの本がありました。外国では400文字のものもあるそうで、うーん、本の世界は広い。雑談でした!

ぼくの写真を使ってもらったこと、うれしく思います。デザインしてくださったアルビレオさんには感謝です。葉っぱのお面がアイコンになって、本のあちらこちらにいるのも、またかわいい……。

それもきっと五十嵐さんのおっしゃる「幼い自分自身がそこにいる」という思いを、アルビレオさんが反映してくださったのでしょうね。最高です。

あの写真の舞台はタイです。
妹と姪っ子、甥っ子と母、妻のまなみとでタイに行ったことがありまして、スーパーで買い物をしたあとゲストハウスに戻るとき、路上に落ちていた大きな葉っぱを見つけたまなみが、葉っぱに穴をあけて、あのときは確か3歳の甥っ子を脅かしていて。そのあとに撮った一枚でした。
そのあとぼくも真似して葉っぱの穴を覗きながらゲストハウスに戻りました。隙間から見える世界、あるいは、なにものかになりきって見つめる世界は、狭くて見えにくくて、なにもかも遠く見えて、心細くて、でもどこかに安心するような心地よさもあって。おもしろいなと思ったのを覚えています。

お手紙、ありがとうございました。

五十嵐大さんの活動を初めて知ったのは、Twitterで誰かがリツイートして流れてきた記事でした。

コーダとしての苦しみと、聞こえないお母様との関係を率直な言葉でつづっている内容でした。万人単位の人にリツイートされて、とても大きな反響を呼んでいましたね。

ぼくも聴覚障害があり、聴者の息子を二人育てている真っ最中という立場なので、とても他人事とは思えませんでした。だからこの記事はしっかりと読まなくてはいけない……と、思いながらも、どうにも読みすすめることが難しく、文字が目をつるつるとすべっていって、読むことができませんでした。
内容が難しいということでは、ありません。
ぼくの立場はそのまま、五十嵐さんのお母様の立場であるため、五十嵐さんの言動を我が子に置き換えて、その心境についてどこまでも思いを馳せてしまって、読めなかったのです。

時代が違うし、お母様や五十嵐さんの環境も、ぼくのものとは違う。
……頭ではそうわかっていても、何もわからない手探り状態で子育てに奮闘している真っ最中の今、ネットで浅く読んでしまうと、たとえ結末に麗しいものがあるとしても、あまりにも負の方面にひっぱられてしまいかねないなあ、と感じたためです。

ぼくは五十嵐さん家族が培ってきた家族の長い時間の、ほんの始まりに立ったばかりです。親として5歳のひよっこです。
子育てに自信なんてあるわけがないし、社会や他人に対する個人的な不信感も根深く、このまま読んでしまうと、我が子どもが迎える未来を暗澹たるものとして想ってしまいそうだという懸念をぬぐうことができませんでした。

五十嵐さんの原稿に血が通っているからこそ、五十嵐さんの切実な実感がこもっているからこそ、赤裸々に書こうとしていることがわかるからこそ、です。
だから、ぶつ切りにならざるをえないネットの断片的な記事ではなく(もともとぼくは、紙じゃない電子上の文章がまったく読めないということもあります)、書籍というひとつの意思の塊として読みたいと思い、単行本になるのを心待ちにしていました。
それがまさかこういう形でつながることになろうとは想像もしていませんでした。

縁って、おもしろいですね。

そうして『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聞こえない世界を行き来して考えた30のこと』が、一冊の本になってぼくの手元にやってきたのは、2021年2月上旬でした。
まずやったことは、本を鼻先にもってきて、ページを勢いよく、ぷるるるっとめくってインキの匂いを嗅ぎました。できたての本って、まったくいい匂いですよね。

そして、本を、読もう、と、しながら、未だに、読めていません。

ぱららっとめくったページのところどころで描かれる五十嵐さんの葛藤を通して、やっぱり、ぼくとしては、お母様の心境を深く想ってしまい、ぐっと胸につまり、ページをめくる手が重くなって、読み始めることができないまま、ずるりと今日に至ってしまいました。

それから、この往復書簡の話が来ました。
今こそが読むときなのだなと機が熟したのを感じています。

ですので大変申し訳ないのですが、「樹さん、そして後に生まれた次男の畔さんが迎える未来に対し、僅かでも影が差してしまったでしょうか?」のご質問には、今は、まだ答えることができません。

*   *   *

話は変わりまして、ぼくの本『異なり記念日』への感想、とてもとてもうれしいです。

「柔らかい毛布に包まれて、背中をトントン叩かれながら、母がうたう『歌のようなもの』はとてもやさしいメロディでした。そこには歌詞なんてなくて、言葉にならない言葉がなんとなく流れているだけ。でも、その子守唄はいまでもぼくの耳に残っていて、思い返すたびに母からの愛情を再確認します。」

なんと優しい文章でしょう! 他の誰かには、決して書くことのできない、五十嵐さんだけの文章ですね。
五十嵐さんのお母様のうたを思い出すことのできるきっかけになれたこと、本当に、うれしいです。涙がでます。

『異なり記念日』と『声めぐり』は、ぼくの初めての文章の本なんですが、書くのは、ほん~と~お~に大変でした。依頼を受けてから、五年くらいかかりました。一旦書き上げては、すべてやり直して……を何回も繰り返していました。

最初のうちの原稿は、文章の未熟さ以前に、恨みつらみや不平不満が詰まったもので、なんというか、鬱々トゲトゲと攻撃的な文章だったんですね。そういう文章にも意味があると思いつつ、でも「これじゃあない」という一抹の訴えがぼくの心の奥底から響いていることも否定できず、何度もイチから書き直し続けました。
それでもコツコツ書いていくうちに、凝り固まっていた気持ちを文章にすることで頭がほぐれていって、だんだんと表面だけのことではなく、その奥深くにあるものに至ることができるようになっていきました。
そうして、迷って迷って、惑って惑って、今の『異なり記念日』の形になりました。

最後の最後まで「綺麗事にすぎやしないか?」という自問がありました。
「ちんぽことかおそそとか、恨みつらみとか、誰も書かないようなことを、あまさず書いたほうがいいのではないか」というようなことを思っていました。
ぼくの立場的には「障害者」です。障害者の書く文章として、お涙を誘いやすい綺麗事にソツなくまとめてしまったのではないかという迷い。

それでも、それでも、やっぱり、それでも……、あの形でしか、ぼくは書けなかった。

そんな悩みを抱えたまま『異なり記念日』が刊行され、しばらくしたころに出会った本がありました。

憎しみに抗って――不純なものへの賛歌』カロリン・エムケ著

自分と異なる存在を、頭で作りだし、連帯し、攻撃し差別し、他のものを下に追いやることで自分の立場が守られたと安堵し、分極化していく社会に対して抗う術はなにか、ということを問うた本です。

心底、感動した箇所を、ちょい長いですが、引用します。

「想像の余地を再び取り戻すこともまた、憎しみに対する市民の抵抗のひとつだ。(略)ルサンチマンと蔑視に対抗する戦術のひとつは、幸せの物語である。人を排斥し、人の権利を奪うさまざまな組織や権力構造を前にして、憎しみや蔑視に抗うためには、人が幸せをつかむさまざまな可能性、真に自由な人生を送るさまざまな可能性を取り戻すことが重要なのだ。専制君主に対する『パレーシア』とは常に、権力の抑圧的かつ生産的な仕組みに抵抗することである。それはすなわち、抑圧された者、自由を奪われた者、絶望した者の役に甘んじないことでもある。烙印を押され、排斥された者は、行動の可能性を制限されるだけでなく、ほかのものには当然のように与えられるものを自身のために要求するだけの力と勇気までをも奪われることが多い。社会に参加する権利のみならず、自身の幸せな人生を想像する権利もまた、誰にも与えられて当然のものだ。
だからこそ、世間の基準から外れていても幸せな生き方と愛し方の物語を語ることもまた、排斥と憎しみに抗う戦術のひとつなのだ。不幸と蔑視のあらゆる物語とは別の次元で、誰にでも幸せになる可能性があり、誰にでもそれを望む権利があることを示すために。(略)
『パレーシア』とはまた、語られる真理と協定を結ぶことでもある。すべての人間は同じではないが、同じ価値をもつ−−それを信じるのみならず、はっきりと表明すること−−圧力や憎しみに抗って、常に主張し続けることだ。それによって、この真理が少しずつでも、単なる詩的な想像ではなく現実のものとなっていくように。」P.185

「だからこそ、世間の基準から外れていても幸せな生き方と愛し方の物語を語ることもまた、排斥と憎しみに抗う戦術のひとつなのだ」

ああ! この言葉に、どれほど救われたことか。
ぼくが迷って、惑って、それでも、この形しかない、と直感していたのは、まさにこれでした。

子育てにおいて、ぼくが不安を抱えていたのは、世の中に何千何万冊も育児本がありながら、「手話で子育てをする、ろう当事者の育児本」が一冊もないことにも理由がありました。

親になってみて、思ったことは、「え、手話で、子育てをするにあたっての、情報、なんにもないぞ」ということです。ネットで探しても、そのほとんどのほとんどのほっとんどが(数字にすると、99.9999%という感じですかね)、聴者なんですよね。あたりまえですが。
……と、ぼくも何気なくこう「あたりまえですが」と書いてしまうくらいに、聴者の意見しかありません。

ろう者の、手話による、子育てのまとまった情報は、皆無です。

それはそうですよね。手話を活字にすることは困難だし、その活字から手話を想像することもまた難しい。そもそも、手話に欠かすことのできない表情や眉、口の形といった微細な表現のニュアンスがごっそり欠けています。
たとえ動画があったとしても、それらを見るにはあまりにも時間がかかってしまう。

昔なら、先輩のろう者から子育ての秘訣を手話で教え、教わるということがあったのかもしれません。いや、ありました。ないはずが、ない。けれどもそれは、スマホやビデオなんてない昔、その場で一度きりの、再現不可能な手話による語りだったために、現在、残されていない。
子育てをしながら、子どもを迎えるまでは想像もしていなかった幸福があることを実感しています。
大嫌いだったうたが、聴こえる子どものために自然とあふれて生まれたように。五十嵐さんのお母様の「言葉にならない言葉がなんとなく流れている子守唄」のように。
ろう親だからこその生活の知恵、そして、愛の関わり方があったはずなのに、それは継がれることもなく消え去っていた。少なくとも本という形では、まったく残されていない。
ぼくは親になってみて、この事実にぶつかりました。

なんと、もったいない。なんとなんと、もったいない!
ぼくにとって残酷なほどの事実でした。

ぼくは、ろう親と子どものあいだにつむがれた、なんでもないありふれた特別な物語を知りたかった。ろう親だからこそこうした物語をつむぐことができるということを、子どもを迎える前のぼくが知ることができたなら、どれほど励まされたことだろう。

……その願いが、これまで消え去られるだけだったろう親と子の物語を、聾するこの身体を通して書いて残さねばならない、という決意につながり、ぼくに『異なり記念日』を書かせたのでした。

とはいえ、本当に、難しいです。やっぱり綺麗事と紙一重です。
その試みがどれだけ達成されているのか……。
コツコツと版を重ねてはいますが、1万部にもまだ届かず、残念ながらとてもよく売れているとは言いがたく(売れるということはそれだけ多くの人の目や心に触れて、やがて社会を変える可能性があるってことですからね)、反響があるのかどうかもよくわからないため、いまいち上記のぼくの考えがどこまで伝わっているのか実感をすることができずにいました。

けれども、これまでで最も、いちばんの、うれしいことばを、五十嵐さんからいただくことができました。コーダの方の、古い記憶に響くことができたということは、ぼくにとって望外の喜びです。

思えば、『異なり記念日』は、ぼくの子ども、そして、これまでの、これからのコーダの方の環境を変える一石となればという願いが、初心でした。売れるとか、反響があるかどうかという自分のことにかまけすぎて、初心をすっかり忘れてしまっていました。たはっ。

ありがとうございます。
いや、これは、ほんとうに、ほんとうの、ありがとう、です。
ほんとうに、うれしいです。ことばの力というものを、とても、実感しています。

そして、きっと五十嵐さんの本も「世間の基準から外れていても幸せな生き方と愛し方の物語を語ることもまた、排斥と憎しみに抗う戦術のひとつ」として書かれているのだと思います。
今、こうして言葉にしてみて、やっと気づきました。
これでやっと五十嵐さんの本を抵抗なく読むことができます。

本を読んでいないにも関わらず、大変長い返信になってしまいました。
さあ、本を、読みます!

追伸:送りたいものがあるので、ご住所を教えて下さいまし。かしこ。かしこ。お元気で。

*   *   *

2回目のやり取りに続きます。

齋藤陽道『異なり記念日』

著者の齋藤陽道さんもパートナーの麻奈美さんも、耳の聞こえない写真家です。 陽道さんの第一言語は日本語。麻奈美さんは日本手話。言葉が違えば見ている世界も違います。 ふたりの間に生まれた樹(いつき)さんは、どうやら聞こえるらしい。聴者です。からだが違えば見ている世界も違います。 そんな「異なる」3人が、毎日をどんな風に過ごしているのか。本書は、ケアが発生する現場からの感動的な実況報告です。

関連書籍

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「誰もが生きやすい世界は、いろんな境界線が混ざり合った世界だと思う」 耳の聴こえない両親から生まれた子供=「CODA」の著者が書く感涙の実録ノンフィクション!

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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

耳の聴こえない親に育てられた子ども=CODAの著者が描く、ある母子の格闘の記録。

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齋藤陽道 写真家

1983年東京都生まれ。写真家。都立石神井ろう学校卒業。2020年から熊本在住。陽ノ道として障害者プロレス団体「ドッグレッグス」所属。2010年、写真新世紀優秀賞(佐内正史選)。2013年、ワタリウム美術館にて異例の大型個展を開催。2014年、日本写真協会新人賞受賞。写真集『感動』『感動、』(赤々舎)、『宝箱』(ぴあ)、著書『写訳春と修羅』(ナナロク社)、『異なり記念日』(医学書院、第73回毎日出版文化賞企画部門受賞)などがある。
著者公式サイト:http://www.saitoharumichi.com/

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