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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

2021.06.01 公開 ポスト

まずは知ってもらうこと。そこに希望を込めて五十嵐大(ライター・エッセイスト)

ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』著者の五十嵐大さんと、ろうの写真家であり、本書のカバーに自身の作品を提供してくれた齋藤陽道さんの往復書簡。五十嵐さんから齋藤さん宛ての最後のお手紙を紹介します。

齋藤陽道さま

この手紙を書いているいま、窓の外では大雨が降っています。少し前までは気温も高く、半袖で過ごす季節がもうやって来たのかと驚いていたのですが、あっという間に逆戻りしてしまいました。なんだか物悲しい気持ちになります。

いえ、そんな気持ちになってしまうのは天気だけが原因ではありません。このお返事をもって、齋藤さんとの「往復書簡」形式での連載が終わってしまうからです。ぼんやりとした寂しさが胸いっぱいに広がっています。

だからなのか、なかなか返信を書き進めることができませんでした。齋藤さんが綴ってくださった『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』の感想を読んでは、「本当に、本当にありがとうございます」と呟き、さて、なんてお返事しようかな……と迷っていました。

でも、お返事を出さなければ。齋藤さんがぼくに届けてくれた言葉にきちんと向き合い、最後に伝えたいことをまとめなければ。そんな想いでパソコンの前に座っています。

〈たったひとつのことばが、人を救う〉

齋藤さんがそう綴ってくださった通り、ぼくは「コーダ」という言葉に出合ったことで本当に救われました。初めて自分をカテゴライズする言葉を知り、この世界のどこかにいる仲間の存在を感じ、「あぁ、苦しかったのは、ぼくひとりではなかったんだ」と安堵しました。

思えば、子どもの頃からずっと、「居場所のなさ」に悩まされていました。ぼくは聴こえるからろう者ではない、でも完璧な聴者とも言い切れない。じゃあ、自分はどこに居たらいいのだろう。アイデンティティなどと言ってしまうとカッコよく響いてしまいますが、自分の立ち位置がわからず、いつだって不確かで曖昧で、薄暗い世界を手探りで歩き続けるような感覚でした。

そこに光が差したのは、「コーダ」という言葉があったから。目の前が明るくなり、歩いていくべき道が見えたのです。そして周囲を見渡してみれば、仲間が大勢いる。いまのぼくは、「ひとりではない」とはっきり言い切ることができます。

〈ろう者が戦わねばならない相手がいるとしたら、それはコーダを含む「聴者」なのではなく、異文化を恐れて排斥しようとする無理解な「社会」であり、異文化を知らないことを恥とも思わないマジョリティなのだということ〉

ぼくもそう思います。「知らないこと」は分断を生んでしまう。それを防ぐためには、知ってもらうしかない。そして、ぼくにできることは、書いて伝えていくこと。それに尽きます。

振り返ってみれば、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』を書いたのも「まずは知ってほしい」という小さな動機が出発点でした。社会を変えたいとも思うけれど、自分にはそんな力がない。でも、「知るきっかけを作ること」は、なんとかできるかもしれない。無力だなと思いつつ、いつかはそれがなんらかの意味を持つのではないかという希望を込めて、一冊書き上げました。

また、樹さん、畔さんが迎える未来に対して〈影が差しました。けれど、光も差しました〉とのこと。その感想を受けて、今後やるべきことが明確になった気がします。

それは、いままさにコーダを育てているろう者や、不安を抱えているコーダたちの未来に差す「光」の分量をもっともっと増やしていくことです。社会に蔓延る無理解、偏見、差別をなくしていき、ろう者やコーダたちが「自分たちはこのままでいいんだ」と思えるようにできたら。そのためにも、丁寧に文章を綴っていこうと思います。

そして、齋藤さんが仰る通り、ろう者とコーダは対立する存在ではありません。手を取り合って社会に立ち向かっていけたらいいな、と思うのです。

そうそう、先の手紙で「聞」と「聴」の使い分けについて尋ねられていましたね。ぼくの場合、「聞」は「自然に耳に入る」描写で、「聴」は聴力について言及するときに使っています。

齋藤さんは「聴」を「身も心も使って音を感じとる」という感じで使われているとのこと。とても素敵な感覚だな、と思いました。だとすれば、ぼくの両親は「聞こえない」けれど、「聴く」ことはできるのかもしれません。子どもの頃、感情的に喚き散らすぼくを見て、両親は必死にぼくが言わんとしていることを「聴き取ろう」としてくれていました。もちろん、聴力がないので聞こえるわけはないのです。それでも、子どもの声(心、とも言い換えられます)に耳を傾けていた。それはまさに「聴く」ということだったのでしょう。

齋藤さんの手紙を読み、そんな両親への感謝の気持ちが溢れてきました。あらためて「ありがとう」と伝えてこなければいけませんね。

ちなみに、両親はとても元気です。時々、LINEでメッセージをくれますが、いつもぼくの心配ばかりしています。いくつになっても親は親、なんですね。そういえば先日は、父親からサインをねだられました。息子のサインなんて本当に欲しいんだろうか……と思わず笑ってしまいました。

すみません、こうして書いていると止まらなくなってしまいますね。まだお会いしたことがないのに、齋藤さんには伝えたいことが次から次へと溢れてしまうから不思議です。でも、そろそろ最後の返信を締めようと思います。

あらためまして、このたびは素敵なお写真を表紙に使わせていただき、ありがとうございました。大げさだと思われるかもしれませんが、この本は齋藤さんのお写真がなかったら完成しなかったと感じています。それくらい思い入れがあり、自分にとってとても大切な一冊になりました。

東京と熊本、少し離れていますが、いつかお会いできると信じています。そのときは同志として、たくさんお喋りしましょう。それまでに手話の腕を磨いておきます。

では、またどこかで。

関連書籍

五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』

ろうの両親の元に生まれた「ぼく」。小さな港町で家族に愛され健やかに育つが、やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づく。聴こえる世界と聴こえない世界。どちらからも離れて、誰も知らない場所でふつうに生きたい。逃げるように向かった東京で「ぼく」が知った、本当の幸せと は。親子の愛と葛藤を描いた感動の実話。

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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

耳の聴こえない親に育てられた子ども=CODAの著者が描く、ある母子の格闘の記録。

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五十嵐大 ライター・エッセイスト

1983年、宮城県出身。高校卒業後、さまざまな職を経て、編集・ライター業界へ。2015年よりフリーライターに。自らの生い立ちを活かし、社会的マイノリティに焦点を当てた取材、インタビューを中心に活動する。2020年10月、『しくじり家族』でエッセイストデビュー。

 

 

 

 

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