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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

2021.05.07 更新 ツイート

読み終えて影が差しました。けれど、光も差しました。 齋藤陽道

五十嵐大さま

4月15日、すごく久しぶりの写真の仕事で、東京に来ています。朝5時30分、そろそろ夜が明けようとしています。
ホテルの机には鏡がついているところが多いですよね。そうしたタイプの机だと、ほげほげした己のツラが目障りでまったく仕事に集中できないのですが、いま泊まっているホテルは窓に接していて、爽快に仕事ができます。こういうホテルは貴重です。
いま、5時38分。ビルの向こうが赤く染まっています。夜が明けようとしています。

ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』、やっと読むことができました。
30ある節のひとつひとつで、いろいろと考え込んでしまい、読み終えるまでとても時間がかかりました。
文章に、もとい、五十嵐さんの言葉に答えるように、思うことをとつとつと書きこみしていたら、ほとんどのページが鉛筆だらけになりました。

どこから書けばいいものか迷いますが、まずもっとも心に残ったシーンから書きはじめてみます。

*   *   *

この本は、五十嵐さんが「コーダ(Children of Deaf Adults「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」)」という言葉に出会う前と、その後とで、まっぷたつといっていいほどに大きく分かれていますね。
「コーダ」という言葉に出会うまでの生い立ちや葛藤は、やはり読んでいて苦しかったです。五十嵐さんの苦悩はもとより、想像しても想像しきれぬお母様、お父様の心中の苦悩。

一気に読むことはできず、とつとつと読んでいたのですが、Sちゃんによって「コーダ」という言葉と出会ってからは一気呵成でした。

「衝撃的だった。自分のような生い立ちの人間をカテゴライズする言葉があるなんて、考えたこともなかったからだ。同時に、胸中に不思議な安堵感が広がっていく」(P137)

ここがこの本のターニングポイントだと思いました。五十嵐さんの人生においても、そうなのだと思います。おそらく25歳のときだと思いますが、本当に長い道のりでしたね。
おめでとうございます。
今あらためて、ぼくからもお祝いの言葉を伝えたいくらい、五十嵐さんがひとつの言葉に救われていくこのシーンには胸が詰まりました。

果てしのないかのように思えた五里霧中の中、ついに射した一筋の光の言葉「コーダ」。ひとつの言葉によって、満たされず落ち着かなかった心中が晴れ、それによって決意が定まり、お母様との関係を修復していこうとする五十嵐さんの姿が、とても頼もしくて。

たったひとつのことばが、人を救う。
そんなことが本当にありうるのだということを五十嵐さんは痛感したからこそ、文筆の道を歩もうと決意されたのだなと思いました。

ぼくの場合、16歳でろう学校に入って初めて出会った手話で「おはよう」という挨拶が、なんの思いわずらいもなく言えて、相手からもさらりと伝わってきたとき、「これでまだ生きられる」と安堵しました。
ぼくもまた、たったひとつのことばに救われた一人です。
本当に短いことばなのに、二〇年過ぎた今でも色褪せないこの感動が、ぼくを突き動かしています。

カツカツで厳しいけもの道ですが、ことばひとつで人生がひっくりかえってしまう衝撃をひとたび知ってしまうと、もうやるしかないですよねえ。もはや同志としか思えないので、図々しくも「よねえ」と呼びかけちゃいます。

*   *   *

「日本国内には二万二千人のコーダが存在すると推定されるそうだ。これを『少ない』と感じる人もいるかもしれない。でも、ひとりぼっちだと思っていたぼくからすれば、そんな人数の仲間たちがいることはとても心強いことだった」(P138)

この数字は知りませんでした。なんと具体的な数字。この数字の中には、ぼくの子ども二人も含まれているのだと思うと、妙にぼおっとしてしまいます。この感情、なんだろう。これが、五十嵐さんの言う「心強さ」なのかと思います。

22000人のうちの2人が、ぼくの子どもら。
またここには五十嵐さんも含まれている。22000人のうちの3人。
ぼくが出会ってきたコーダたちを思い出していくたびに、22000人に含まれる数字が増えていく。
しかとした存在感がともなったひとりひとりを思い出すたびに、数字の意味合いがまるで変わってきます。無味乾燥な数字上の22000人ではなく、血の通うひとりひとりが集っての、22000人。
数字は何も変わりませんが、顔の見えるひとりひとりが集ってこその数字だと思えることへ意識が転換する意味は、非常に、大きいですね。

たとえば、行ったこともないし、想像すらもしなかった未知の国で暮らす人のことをいきなり思えということは、やはり困難ですね。そうした遠い隔たりを超えて、彼らと私たちをつなぐものは、得てして、物語であり、本でした。
数字に埋もれてしまっているひとりひとりの顔を明るみに出すには、まず当事者の血肉をともなう感情と、ことばを、世に出すところからしか始まらないのだということをつくづく思います。

物語を通して、遠いと思っていた人々が、自分とそう変わらない感情を持っている、それどころか自分以上の豊かな世界を観ていたのだと知るとき、遠い星々が結ばれてつむがれる星座のように、物理的な隔たりを超えて遠くにいた人たちと地続きの友人になります。
それを目指すことが「世間の基準から外れていても幸せな生き方と愛し方の物語を語ることもまた、排斥と憎しみに抗う戦術のひとつ」ということの意味なのだと思います。
この本もまたそうした役割を担っている重要な本だと思いました。

*   *   *

大変遅くなってしまいましたが、最初の手紙の結びとなった質問、「樹さん、そして後に生まれた次男の畔さんが迎える未来に対し、僅かでも影が差してしまったでしょうか?」に答えますと。

はい、影が差しました。
けれど、光も差しました。
……という答えに尽きます。

この本を読んで、やっとわかったことがありました。

ろう者が戦わねばならない相手がいるとしたら、それはコーダを含む「聴者」なのではなく、異文化を恐れて排斥しようとする無理解な「社会」であり、異文化を知らないことを恥とも思わないマジョリティなのだということ。

幼い五十嵐さんとお母様との関係がぎくしゃくしてしまったのは、お母様が直接に五十嵐さんをどうこうしたということではありませんね。
お母様は変わらず、ずっと五十嵐さんを愛していた。
お二人の関係を引き裂いたものは、ろう者という存在を知らない無知と、ろう者は何もできない弱者だとみなす偏見からきていました。

聴こえないから発音がおかしいのは仕方がないということを知らないYくんが、クスクスと笑いながら言った「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」という言葉。
手話クラブを設立した五十嵐さんに、その意味を尋ねた同じクラスの男子児童。手話というものを説明した五十嵐さんに男子児童の言った「なにそれ、変なの」というひとこと。
Mさんの「どうせこの子がやったんですよ。親が障害者だから、仕方ないかもしれないけど」という言葉。
五十嵐さんの声を聴きたいという思いで補聴器を購入したお母様。どんな形であれ「音が聴こえる人間の方が価値がある」とした思い込みを作った社会。
お母様と五十嵐さんがいるにもかかわらず、教師と聴こえる祖母だけで話が進行する三者面談。お飾りにすぎないお母様の立場をおかしいとも言えない雰囲気。
パートで働きたいといったお母様に「聴者ばかりの世界で、聴こえない母にできることなんて、ほとんどないのだ」と考え、働くことを留めた五十嵐さん自身。
「障害者から障害のある子どもが生まれてこないように」という認識のもと、強制的に中絶・不妊手術を受けさせる「強制不妊手術」があったということ。

きりがないですね。書いていて本当に辛いです。
ろう者を何もできない、何も考えられない弱者と十把一絡げにくくり、だから軽んじてもいいのだと考えている(「考えていた」と書けないのが腹立ちます)強者の牛耳る社会通念こそが、五十嵐さんとお母様の関係を破いた。

かつ、ぼくも「音が聴こえる人間にならないと、自分には価値がない」という思い込みに長年しばられてきたため、これらすべてがぼく自身にはねかえってきます。
「音が聴こえる人間の方が偉い」
物心つくかつかないかのころから昼夜を通して行われた発音訓練を通して根深くすりこまれたこの価値観は、本当に邪悪です。

ぼくも聴こえず、それほど発音がうまいわけではないのに、自分よりも発音がうまくできないらしい子を軽んじて当然という態度をとっていました。しかもその発音が本当に良くなかったのかどうか、自分でわかったわけではありません。先生や周囲の聴こえる人の反応をうかがいながらの判断でした。

そして、うまく聴くことができない状況になった場合、「聴こえないぼくが悪いんだから、我慢しないと」となってしまっていました。三者面談のお母様が、静かに微笑むしかなかった心境も痛いほどわかります。

本を読んで差した影とは、「ああ、やっぱりこの社会は、障害者と十把一絡げにして、一人の存在を人間としてみなすこともしない、つまらない、冷たい、思い込みがはびこっているところなんだ。今もそんなに変わっていやしない」ということを痛感したことです。

逆に、差した光とは、「戦うべき相手は、これだった。ろう者は何もできないという蔓延した思い込みをほぐすこと。自分と地続きの存在として見ざるを得ないような物語を、国境も超えて命として普遍的なところで響き合うような物語を、つむぐこと。ぼくのやるべきことはそれだった。ずっとそれしかなかった」と、これまでぼくのやってきていたことの意味と、これからの目標がひどくクリアになったことです。

*   *   *

なにアタリマエのことをと思われるかもしれませんが、今一度念を押したいのは、ろう者とコーダは対立する存在ではありませんね。まったくもって、そうですよね。

社会通念というものは本当に見えづらく、おうおうにして、立ち向かうべき相手を見失うこともあります。ぼくも、五十嵐さんの本を読むまでは、正直、わからなくなっていました。
けれどもやっぱり戦って壊すべき対象は「無理解な社会通念」であることを心に刻んで、常に意識していかなくてはならないのだと思いました。

「仕組みも思いこみも想像力も、目には見えない。でも、『壊さなければ前に進めないもの』は、往々にして目には見えない。はっきりとは姿を現さないそんなものに、無性に苛立ってしまう。いつか正体を見極めて、ぶち壊したいと思う。」(荒井裕樹『車椅子の横に立つ人』青土社P34)

「差別を差別として認識しない(できない)私たちにいかに差別を認めさせるか。これが反差別的な言説や運動が持たざるをえない困難だった。しかし、その困難ゆえに、反差別闘争とは、新しい差別を発見する/発見させるという、すぐれて創造的な行為ともなる。それは、ある意味で、私たちの日常の生活や風景を『異化』させる行為でもある。『異化』とはある出来事から『既知のもの、明白なものを取り去って、それに対する驚きや好奇心をつくりだすこと』だからである。」(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』平凡社P311)

五十嵐さんとぼくがやっていることは、ろう文化と、聴文化のあわいにある出来事を、これまで残らず消えていくばかりだった物語をことばで「異化」させていくこと。
かつ「はっきりとは姿を現さないそんなもの」の形をことばで具現化させて、私たちの怒りの正体を捉え直し、訴え、社会通念のありようを変えていくこと。

それが、たったひとつのことばに、終わるしかなかったはずの人生を再起させられてしまったぼくたちのやるべきことなのだと思います。

二通目の手紙に書いてありました「立場は違えども、同じ場所を目指す仲間がここにいることを。」のことばを、切々と噛み締めています。
ありがとうございます。
本当に、心強いです。

*   *   *

でも、ぼくは別にプレッシャーとかはまるでないです。楽しいしかないですねえ。やるしかないんなら、どうせなら楽しむほうがいいですよね。
五十嵐さんも手話を覚えていくこれから、またたくさんの物語がきっと生まれますね。どんなものが読めるのか、これから楽しみです。

あ、そうだ。ちょっと気になることがあったので質問です。

この本では「聞」を「聴」に置き換えて書かれていますが、この使い分けはどういう基準なんでしょうか?
ぼくの場合、「聞」は「耳だけで音を感じとる」として、「聴」は「身も心も使って音を感じとる」というような感じで使い分けています。
初めての媒体で「~を聴く」と書くと、たいてい「聞く、の方が一般的かと思います」というような赤ペンが入るんですよね。その都度、さっきのような説明をしているんですが、五十嵐さんの場合どうなのかなあと思いまして。

さてさて、この返信を書き終えるまでに10日間もかかってしまいました。早や、4月25日。今日は、熊本県と福岡県のキャンプ場に来ています。
子どもたちは虫集めに夢中になっています。「虫」「ムカデ」「ヤモリ」「チョウチョ」「魚」「冷たくて気持ちいい河」の特徴を見つめて、それを自分の身体に宿らせながら、手話しています。リアルと出会ってこそ手話はみずみずしくなるんだよなあと痛感しています。
朝ごはんはコーンスープとマカロニを茹でたものでした。晴れています。今日は一日、晴れるそうです。

五十嵐さんの日常はいかがでしょうか。お母様、お父様は、お元気でしょうか。
みなさま、どうぞ、すこやかに。
いつかお目にかかれますことを。

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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

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齋藤陽道 写真家

1983年9月3日 東京都生まれ。都立石神井ろう学校卒業。社会人経験を経て障害者プロレス団体「ドッグレッグス」に所属。無差別級世界王者となる。その後、写真家としての活動を開始。俳優・窪田正孝の写真集やMr.Children、SEKAI NO OWARI、クラムボン、森山直太朗といったアーティストの写真やPV撮影を手掛けるほか、『感動』などの写真集、地震の体験を綴った『異なり記念日』『声めぐり』などのエッセイも発表している。

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