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本の山

2020.09.05 更新 ツイート

諦めにも似た肯定に 導かれる安心感ーー『なかなか暮れない夏の夕暮れ』江國香織KIKI

読み終えたときの安心感はどこから来たのだろうか。

この小説に描かれている人物たちはけっして穏当とはいえない。たとえば、不倫相手との間にできた子どもを別の男に認知させる未婚の母、愛する妻に対してストーカーまがいの行為をする夫、小料理屋を営む女性と定年を数年後に控えた女教師のカップルなどなど。江國香織さんが生みだす世界の人々らしいともいえるけれど、一筋縄ではいかない人生を送っている人たちが、さも当たり前のように日常に存在している姿は異様にも思える。

 

本書の主人公・稔は年齢五十を過ぎたころ。今も昔も変わらずかなりの読書好きで、なにかを読み始めると、まわりの世界が見えなくなる。作中には、稔が読む北欧を舞台にしたミステリー小説が挿入されており、読者は本筋から離され、彼の読む本の世界に連れていかれてしまう。稔との間に子どもを作った渚は、本を読む彼にまるで自分が存在していないかのように振舞われることに耐えきれなくなり、稔のもとを離れて自分をもっと見てくれる人を選んだ。とはいえ、母子ともに受け入れてくれた今の夫に百パーセント満足しているわけでもない。それは些細な理由で、たとえば、それまで娘に禁じてきた食事中のテレビ鑑賞を夫が率先して行うことなど。テレビなら見ている内容がわかるし、楽しさも共有できる。目の前で本を読まれるよりまだマシ。渚はそう思い込もうとするけれど、無理に物事を良い方に受け取ろうとしており、本人もそのことに薄々気づいてさえいる。

なにか決断をした人にとって、決断以前と状況に変化がなかったり、万一にも悪くなっていたり、ということは受け入れがたいことだ。だから時に感情を誤魔化しながらも、前向きにとらえようとする。本書では他にも、パートナー同士の日常の些細なやりとりに、たびたび過去と現在を比べる場面が出てきて、そのたびにわたしも苦虫を噛んだ気分にさせられる。

そんななか、唯一、稔だけは惑わされずに生きている。本を読み過ぎて、周囲の出来事も読んでいる小説の一場面のように傍観しているのかもしれない。「あんまりやさしくないけど、誠意はある」と、稔は自分のことを分析する。他人の感情の起伏にこころを揺さぶられるけれど、それに対してなにか言ったり、行動したりはしない。意見しても仕方がないし、そもそも、どんな決断でも正しい道のひとつ、と稔は考えているのではないだろうか。

諦めにも似た肯定に、わたし自身ほっとさせられ、読後なぜか安心してしまう。夏の日差しのもとでひと盛り上がりをし、なかなか鎮火しない登場人物たちの思いを、まさにタイトルにある夏の夕暮れは、時間をかけて冷ましていってくれるようでもある。

「小説幻冬」2017年8月号

江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』

本ばかり読んでいる稔、姉の雀、元恋人の渚、娘の波十、友だちの大竹と淳子……。ささやかで、ねじれているけれど、切実で豊かな大人の人生を描く長篇。稔が読む北欧のミステリーの行方も気になる。 ハルキ文庫/本体700円+税

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