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本屋の時間

2020.08.15 公開 ポスト

第92回

記憶の店、遠い街辻山良雄

物音はなく、文庫の棚の裏に軽い気配を感じたと思ったら、そこにはしゃがみこんでいる男の子の姿があった。彼は真剣な表情をして、背表紙に書かれたタイトルを追いかけていた。

この夏の時期、数は多くないが、店内では中高生の姿をよく見かける。彼らのほとんどはこちらの様子を伺いながら、ある瞬間ぐっと意を決した表情をしてレジまでやってくる。大人のように無駄口は叩かず、会計を済ませるとすぐにどこかへいなくなってしまうので、必要以上話したことはない。

 

店を続けていくあいだには、同じ一人の子どもが求める本の変化にも、気がつくようになる。宗田理を読んでいた子が、森絵都や重松清を買うようになり、それはそのうちサンテグジュペリやパール・バックに変わる。

そんな時には、その子の机の脇に収まっているであろう、小さな本棚を思い浮かべる。街に店があるとは、その街に住む人の本棚に責任を持つことでもあるから、子どもが一人で本を買うときは、大人のときよりも少しだけ緊張する。

 

わたしが中高生のときに通っていた地元の書店は、随分前になくなってしまった。

阪神淡路大震災では海沿いの街が多く被害に遭い、小さな商店や家が肩寄せ合うようにして並んでいた古い通りは、一瞬にしてすべて崩れ落ちた。しばらくすると建て直した家も見られるようになったが、通りは完全には昔のように戻らず、街のあちこちには空き地が目立つようになった。

源氏書房も、その一角にあった店である。店には老人の客が多く、子どもが読むような本はあまり売っていなかったが、司馬遼太郎の歴史小説だけはかろうじて揃っていたので少しずつ買って帰り、飽きるまで何度も読んでいた。いまのTitleよりも小さな店だったが、天井近くまで本がぎっしりと並べられ、日中でも薄暗い店内に入ると、その密度に頭がくらくらとした。

数年前、入院していた母親の見舞いに行った帰り、時間があったので、実家が引っ越す前に住んでいたあたりを歩いてみたが、源氏書房があったはずの場所には、まだ新しそうな眼鏡屋が立っていた。通りには母がよく立ち寄った寿司屋や、同級生の実家である不動産屋の姿はあったが、大きさや門構えなど、どこも記憶とは何かが異なっていた。

ここはもう、自分のための場所ではないのだ。

大きくなった身体にはその街は少し物足りなく思えて、誰とも会うことなく、帰りの新幹線で食べようと名物である穴子の寿司だけ買って、そこをあとにした。

自分一人でどこにでも行ける歳になれば、人はより大きな何かを求め、遠くまで旅するようになる。

しかし、どんなに遠くまで歩いていけたとしても、そのたどり着いた場所を遡れば、最初の一歩を踏んだ街の姿がそこにはまだ残っているだろう。いまではちっぽけに見えたその街こそが、あなたにとっては世界へと続く扉だった。

いま店に来ている中高生が、数年経って街に帰ってきたとき、彼らはわたしの本屋を見てどう思うのだろうか。そこは元々小さいのだが、それでも「思ったよりも小さいな」と、ひとりごとでも言うのかもしれない。

 

今回のおすすめ本
 

LOCKET 04「COLA ISSUE」 内田洋介編 自主製作

「コーラ」は、とあるグローバル企業だけのものではない。日本に開きつつあるクラフトの波を感じ、世界のコーラ文化の違いも面白がる。自分の足で立っていることを強く感じさせるインディー雑誌。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年11月28日(金)~  2025年12月22日(月) Title2階ギャラリー

『新装版 昭和柔俠伝』刊行記念 バロン吉元原画展

 劇画家・バロン吉元が1971~72年に発表した代表作『昭和柔俠伝』(リイド社刊)の復刊を記念し、同作の原画のみを一堂に集めた初の原画展を開催します。物語の核となる名場面を厳選展示。バロン吉元はいかに時代を切り取り、そこに生きる人々の温度を紙にこめてきたのか……。印刷では伝わりきらない、いまだ筆致に息づく力を通して、原稿用紙の上で世界が立ち上がる軌跡を、原画で体感いただける機会となります。


◯2025年12月25日(木)~  2026年1月8日(木) Title2階ギャラリー

Title2Fの古本市 vol.10

毎年恒例の古本市が、今年もTitleに帰ってきました! Titleの2階に、中央線からは遠いお店からこの辺りではお馴染みの店まで、6店舗の古本屋さんが選りすぐりの本を持ち寄って、小さな古本市を開催します。10回目の今年は、新しい店も参加します! 掘り出しものが見つかると古本市、ぜひお立ち寄りください。
 

【『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります】

本屋Titleは2026年1月10日で10周年を迎えます。同日よりその10年の記録をまとめたアニバーサリーブック『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります。

各年ごとのエッセイに、展示やイベント、店で起こった出来事を詳細にまとめた年表、10年分の「毎日のほん」から1000冊を収録した保存版。

Titleゆかりの方々による寄稿や作品、店主夫妻へのインタビューも。Titleのみでの販売となります。ぜひこの機会に店までお越しください。
 

書誌情報

『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』

Title=編 / 発行・発売 株式会社タイトル企画
256頁 /A5変形判ソフトカバー/ 2026年1月10日発売 / 800部限定 1,980円(税込)

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】

心に熾火をともし続ける|〈わたし〉になるための読書(7)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

あらゆる環境が激しく、しかもよくない方向に変化しているように感じる世界の中で、本、そして文学の力を感じさせる2冊を、今回はご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

幻冬舎plusでできること

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