
物音はなく、文庫の棚の裏に軽い気配を感じたと思ったら、そこにはしゃがみこんでいる男の子の姿があった。彼は真剣な表情をして、背表紙に書かれたタイトルを追いかけていた。
この夏の時期、数は多くないが、店内では中高生の姿をよく見かける。彼らのほとんどはこちらの様子を伺いながら、ある瞬間ぐっと意を決した表情をしてレジまでやってくる。大人のように無駄口は叩かず、会計を済ませるとすぐにどこかへいなくなってしまうので、必要以上話したことはない。
店を続けていくあいだには、同じ一人の子どもが求める本の変化にも、気がつくようになる。宗田理を読んでいた子が、森絵都や重松清を買うようになり、それはそのうちサンテグジュペリやパール・バックに変わる。
そんな時には、その子の机の脇に収まっているであろう、小さな本棚を思い浮かべる。街に店があるとは、その街に住む人の本棚に責任を持つことでもあるから、子どもが一人で本を買うときは、大人のときよりも少しだけ緊張する。
わたしが中高生のときに通っていた地元の書店は、随分前になくなってしまった。
阪神淡路大震災では海沿いの街が多く被害に遭い、小さな商店や家が肩寄せ合うようにして並んでいた古い通りは、一瞬にしてすべて崩れ落ちた。しばらくすると建て直した家も見られるようになったが、通りは完全には昔のように戻らず、街のあちこちには空き地が目立つようになった。
源氏書房も、その一角にあった店である。店には老人の客が多く、子どもが読むような本はあまり売っていなかったが、司馬遼太郎の歴史小説だけはかろうじて揃っていたので少しずつ買って帰り、飽きるまで何度も読んでいた。いまのTitleよりも小さな店だったが、天井近くまで本がぎっしりと並べられ、日中でも薄暗い店内に入ると、その密度に頭がくらくらとした。
数年前、入院していた母親の見舞いに行った帰り、時間があったので、実家が引っ越す前に住んでいたあたりを歩いてみたが、源氏書房があったはずの場所には、まだ新しそうな眼鏡屋が立っていた。通りには母がよく立ち寄った寿司屋や、同級生の実家である不動産屋の姿はあったが、大きさや門構えなど、どこも記憶とは何かが異なっていた。
ここはもう、自分のための場所ではないのだ。
大きくなった身体にはその街は少し物足りなく思えて、誰とも会うことなく、帰りの新幹線で食べようと名物である穴子の寿司だけ買って、そこをあとにした。
自分一人でどこにでも行ける歳になれば、人はより大きな何かを求め、遠くまで旅するようになる。
しかし、どんなに遠くまで歩いていけたとしても、そのたどり着いた場所を遡れば、最初の一歩を踏んだ街の姿がそこにはまだ残っているだろう。いまではちっぽけに見えたその街こそが、あなたにとっては世界へと続く扉だった。
いま店に来ている中高生が、数年経って街に帰ってきたとき、彼らはわたしの本屋を見てどう思うのだろうか。そこは元々小さいのだが、それでも「思ったよりも小さいな」と、ひとりごとでも言うのかもしれない。
今回のおすすめ本
LOCKET 04「COLA ISSUE」 内田洋介編 自主製作
「コーラ」は、とあるグローバル企業だけのものではない。日本に開きつつあるクラフトの波を感じ、世界のコーラ文化の違いも面白がる。自分の足で立っていることを強く感じさせるインディー雑誌。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー
「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展
切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。
◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース 19時00分スタート
書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント
2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】NEW!!
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間の記事をもっと読む
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。