
先日、はじまったばかりのドラマ『半沢直樹』を観てしまった。“観てしまった”というのは、様式の面白さはあれども、「銀行は人事がすべてだ」と言い切るドラマの世界観に気恥ずかしさを感じてしまうからなのだが、個人的にはそのセリフに、あるなつかしさも感じていた。
というのは、夫婦二人で行っているいまの仕事には「人事」そのものがなく、何気ない顔をよそおってはいても、会社勤めの人には心中穏やかでない季節があることを、ドラマを観るまですっかり忘れていたからである。
会社の人事は、それを決める人にとってみれば一大イベントなのかもしれないが、決められるものにとってみれば、過ごすのがこんなにもめんどくさい時期はないだろう(黙っていても、周りの人がそわそわして落ち着かないのが手に取るようにわかる)。そこから解放されたいまでは、仕事以外のことに気をわずらわせる必要はなくなり、相手の地位や役職を気にすることもなくなったので、落ち着いて仕事のみに集中できる。
まだ会社勤めをしていたころ、歳が三つほど上の、将来を有望視されていた先輩がいた。本の知識も豊富で、仕事に対しても熱心に取り組む人だったから、ゆくゆくは偉くなっていくのだろうと周りの誰もが思っていたが、ある日人づてにその人が会社を辞めたと聞かされた。
えっ、Mさんがなんでとその時には思ったが、会社というのは不思議なところで、それ以降も、優秀で、本や仕事に対する思いが深い人から順に、会社を離れていくような気がしてならなかった。
Mさんとはその後、池袋で一度会ったことがあるが、いまは医療機器メーカーで働いていると話してくれた。
そっかー。辻山さんはまだ現役なんですね。
彼はそう言って笑いながらビールを注いでくれたが、一般的に本を売る仕事はそんなに給料がよいという訳ではないから、仕事に対する愛着はあっても、何かの理由でそこから離れざるをえない人も多いのかもしれない。いまは別々の場所で働いている昔の知り合いの話を聞くと、心ならずも……といった気持ちが会話の端々からにじみ出ているようで、それを聞いたときなど、こちらからはなにも言えなくなってしまう。
なぜ、あの人たちではなく、わたしだったのか。会社を辞め独立したとはいえ、自分がいまだに本を売り続けていることを考えると、とても不思議でたよりない気持ちになってくる。
それはわたしでなくてもよかったのかもしれないが、たまたまこうして、いま自分の本屋を持って仕事をしている。自分の店が、わたし一人だけのものでない気がするのは、途切れてしまった行き場のない思いを、心のどこかで感じているからなのかもしれない。
今回のおすすめ本
本が「読める」場所とはどのような場所なのか。そしてそれを考えることは、他人の存在をどのように考えているかということでもある。そうしたモラルを、重くならない語り口に乗せて語りきるところに、この本の真骨頂がある。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。