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やまゆり園事件

2020.07.22 更新 ツイート

記者座談会第1回(全3回)

僕たちが4年間問い続けてきたこと 神奈川新聞取材班

現場取材はいくら人がいても手が足りない

――事件が起きたときは、まずどうされたのでしょう?

川島 僕は当時、神奈川県大和市の支局に配置されていました。主に大和市近辺の行政取材や厚木基地などの米軍施設を取材する部署です。

事件が起きた場所が同じ県央エリアの相模原市ということで、早朝にたたき起こされて、僕は負傷者が搬送されていた北里大病院に向かいました。そこで被害者の負傷の程度や医師のトリアージなどについての取材をしていたと記憶しています。

石川 僕は当時の遊軍のデスクからの電話で早朝にたたき起こされました。午前5時ごろだったでしょうか。僕らの仕事では朝一番の電話というのは、ほとんどが「他社に抜かれた」といった悪い連絡しかないので、嫌な予感はしたんです。

相模原の障害者施設に男が侵入して犠牲者が数人出ている、まだまだ増えそうだという話を聞いたときは、すぐには信じられませんでした。「朝っぱらから悪い冗談はやめてください」と電話でデスクに言ったと思います。でも、テレビをつけたら速報が流れていて現実だ、と。急いで本社に寄って車をピックアップしてから高速を飛ばして同僚とともに現場に駆けつけました。

現場では基本的に「地取り」といわれる周辺取材を行いました。着いたときには、もう警察が規制線という黄色いテープを張って立ち入り禁止にしているエリアが相当広かったのですが、規制されていない家々を回って、犠牲者を知る人や園の関係者を探したり、容疑者だった植松の知り合いを探したり。しらみつぶしに近所を一軒一軒訪ねていく取材をしていましたね。

田中 僕は、事件当時は経済部所属のため、完全に蚊帳の外で、初動はまったく関わっていません。事件のことも昼前ぐらいに他社のニュースで知ったぐらいで。その日は県内の金融機関の決算のまとめと横浜港の貿易統計の原稿を書いていましたね。

――報道班はどれぐらいの体制だったのでしょう?

石川 本社の報道部が総出で20人ぐらい、それに支局が20人ぐらいでした。初動は大量に人を入れて、どんどん周辺を当たっていくのが事件取材の鉄則です。編集局の真ん中に、高校野球や選挙などのときに使われるホワイトボードが2枚出てきて、どの記者がどの現場を担当しているのかが張り出されましたね。事件取材ではなかなか見ない光景でした。それだけの大事件だったわけです。

川島 とにかく取材先は30人でも回り切れないんです。現場にはいくら人がいても手が足りない。100人以上投入している新聞社もありましたから。

石川 神奈川って大事件が起きるとすぐに東京から応援の記者がどっと入ってくるんですよ。他の地方だと、地方紙のほうが圧倒的に記者の数が多いのですが、神奈川は大事件になると全国紙の本社の社会部などがガッツリ入ってくるので、むしろ地元紙が劣勢に立たされることが多い。

川島 僕らはたぶん全国紙の半分以下の戦力でやっていたと思います。

――やっぱり数が少ないと弱い?

川島 とにかく大切なのが地取り(現場周辺の聞き込み取材)なんです。初動で取れる話はかなりあるのですが、それが取れないと、以降はメディアスクラムのように記者が押しかけることになってしまうので、もう話してもらえなくなったりします。どこの社も、とにかく早く現地に入って、まだ表に出ていない情報を取りたいので、その競争になるんです。

石川 我々が現場に到着したときには、すでに規制線の範囲が広められていました。一つ例を挙げると、事件前、やまゆり園の近くに植松が車を停めたのですが、その目の前の家の防犯カメラにそのときの映像が残っていたんです。裁判でも証拠として採用されたものです。テレビ局が最初に行って、映像を提供してもらっているんですね。それを見て、我々も急いで訪ねたんですが、「さっき話したからいい加減にしてくれ」と。振り返れば、大勢取材陣が押しかけたら辟易とするのは当然ですよね……。

――では、初動の取材エリアはやまゆり園の周辺と病院だったということですか?

川島 あとは順次、被害者のご自宅と関係先と。

石川 植松の自宅にも当日朝から県警担当の記者が張り付いていました。やまゆり園から800メートルぐらい離れたところにあるのですが、そこは捜査員が出入りするので、規制線の外にはマスコミが二重三重になってカメラを構えていました。

川島 植松の両親が住んでいた都内にも何日か経った後に行っていますね。

神奈川新聞取材班『やまゆり園事件』

「植松聖」とは誰なのか? 2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った。犯人は、元職員の植松聖。当時26歳。「重度障害者は不幸をばらまく、生きるに値しない存在」――彼の強烈な差別意識はなぜ生まれたのか? これは「特異な考えの持ち主」による「特異な事件」だったのか? 植松死刑囚との37回の接見ほか、地元紙記者が迷い、悩みながら懸命に取材を続けた4年間のドキュメント。

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やまゆり園事件

〈目次〉
第1章 2016年7月26日
未明の襲撃/伏せられた実名と19人の人柄/拘置所から届いた手記とイラスト

第2章 植松聖という人間
植松死刑囚の生い立ち/アクリル板越しに見た素顔/遺族がぶつけた思い/「被告を死刑とする」

第3章 匿名裁判
記号になった被害者/実名の意味/19人の生きた証し

第4章 優生思想
「生きるに値しない命」という思想/強制不妊とやまゆり園事件/能力主義の陰で/死刑と植松の命

第5章 共に生きる
被害者はいま/ある施設長の告白/揺れるやまゆり園/訪問の家の実践/“成就”した反対運動/分けない教育/学校は変われるか/共生の学び舎/呼吸器の子「地域で学びたい」/言葉で意思疎通できなくても/横田弘とやまゆり園事件

終章「分ける社会」を変える

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