
開店から四年半が経ち、店には大学生や勤めてまもない若い人の姿が増えた。しかし要領よく、うまくやっていそうな人がくることはまれで、たとえ彼らが店にやってきたとしても、それが二度続くことはない。
むしろわたしが気になるのは、いつのまにかそこにいて、棚に並ぶ書名をじっと眺めている、ひとりできた若い人の姿だ。そして、そうした人には未来がある。たとえそれがうまくいくとは限らず、その先何が待ち構えていようとも、彼らはこれからも借りものではない、自分の人生を生きていくように見えるからだ。
しかし実際に彼らと話してみると、その胸のうちは不安でいっぱいのようである。こんな無為に毎日を過ごしてよいのでしょうか。同じゼミでももっと本に詳しい人がいるし……。
いや、まったくその通りなんだよ。よのなかにはすごい人(またはすごそうに見える人)がたくさんいるし、それに比べるとわたしの知っていることややっていることなんて中途半端なものでしかない。難しい本はわからないし、あのときこうすればよかったと、20年経ったいまでもうじうじ考えることもたまにある。
いや、そういう話ではなかったな……。
わたしの場合、若いころの無駄に思えた時間が、いまになってから活きた。いまこの店があるのは、毎日やることもなく新刊書店や古本屋をぶらつき、一回の入場料で三本の映画を見ることができた名画座で、ひたすら時間をつぶしてきたからだ。
人間、時間をかけたことしか身につかない。もちろんそれが人生の役に立つかどうかは、生きてみないとわからない。わたしはたまたま運がよかっただけだが、そうした場合だってあることはおぼえていてほしい。
わたしがあなたに言いたかったのは、声が大きな人をそんなに気にする必要はないということだ。わからないことばを使うことはないし、自分に向かない場所に無理に行く必要はない。ちょっとくらいぼんやりしたほうが、しぶとい感じで長持ちする。
レジでは伝えられなかったことが多かったから、いまこうして書きました。
今回のおすすめ本
誰にでも有効な処方箋といったものは存在しない。福岡市の学習塾「唐人町寺子屋」を主宰する鳥羽さんは、それぞれの家族の隣に腰をおろし、ともにその問題を考える。自分の足で立ち、自分のことばを話すことを教えてくれる「ぼくの好きな先生」。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年8月9日(土)~ 2025年8月26日(火)Title2階ギャラリー
岡野大嗣と佐内正史の写真歌集『あなたに犬がそばにいた夏』(ナナロク社刊)の刊行記念展。佐内正史の手焼き写真5点の展示販売、岡野大嗣の短歌と書き下ろし作品などなど、本書に描かれる夏の日が会場にひろがります。短歌×写真のTシャツ「TANKA TANG」ほか刊行記念グッズの販売もございます。ぜひ足をお運びください。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。