
今年は九日間夏休みをいただいた。例年より四日ほど長いが、近年の〈災害〉ともいえる暑さでは、店を開けても開店休業状態だから、いっそ休んでしまったほうが心身ともにリフレッシュできると思った。
それで「奈良」だ。奈良といっても南の方で、三重との県境に近い東吉野村。東吉野村には「ルチャ・リブロ」という青木真兵さん・海青子さん夫妻が営む私設図書館があり、以前よりいつか伺いますと話していた。東京からは一日がかりの場所だから、この夏を逃せば訪れる機会は当分ないかもしれない。
前日には熊本で大きな地震があった。その日は一日中移動していたから、わたしは桜井駅前の小さな居酒屋のテレビで、地震が起きたことを知った。桜井は奈良盆地東南部の中心となる街だが、駅前はがらんとして、この店のほかに開いている店は見当たらない。テレビには崩落したショッピングモールの映像がくり返し流れており、それを見ていたのはL字型のカウンターに座っていたわたしと、その斜め前にいる作業員風の男性だけ。地震のニュースは見飽きたのか、他の客は仲間うちで話をしていた。
カウンターの男性は中にいる女将に対し、「10年前の地震のとき、復旧作業で熊本に行った」と話していた。地元の人ではなく、そのとき仕事のある街を転々と移動しながら暮らしているようだ。わたしはニュースを見ていないときは、持ってきた文庫本を読んでいた。こんなとき隣の客や女将とそれとなく話をするのが酒場でのたしなみかもしれないが、わたしはこうした場所に慣れておらず、文庫本を読むフリをして時間をやり過ごすしかなかった。
本を置いたとき、女将は待ちかねたように「兄さんは世界遺産でも見に来たん?」とわたしに尋ねた。わたしは「明日、東吉野村に行く用事がありまして……」と答えたが、それは特に女将や男性の興味を惹く話ではなかったようだ。女将はそれを聞くとまあええわという顔をして、「兄さんも澄ましとらんと、もう少し日に焼けるような仕事でもしたほうがええで」と言い、わたしはその言葉で救われたように男性と顔を見合わせ、苦笑いした。

近鉄の榛原駅からバスに揺られて四十分ほど行くと、いくつか峠を越えた先に、古い民家が立ち並ぶ集落が現われる。ルチャ・リブロのある鷲家のあたりは、歴史が好きな人にとって、幕末に活動した天誅組終焉の地として知られている。平家の落人伝説ではないが、「落ち延びていった先にある場所」という言葉が頭に浮かんだ。
鷲家でバスを降り川沿いにしばらく歩くと、川の向こうに大きな桜の木と、その横に立つ古い平屋が見える。はじめて訪れる場所だったが、佇まいからすぐにそれだとわかった。橋を渡って明るい庭を越え、家のガラス戸を開くと、中は暗くてひっそりとしている。「こんにちは」と声を掛けると、中から青木さん夫妻が現われた。
家の中は真兵さんが案内してくれた。これまで真兵さんにはトークイベントの会場でお会いしただけで、人と話すことの好きな活動的な方という印象を持っていた。しかしルチャ・リブロにいる彼を見ると、もっとナイーヴで内向的な感じがする。聞けばもともとそうした性格で、自分から積極的に話をすることは少ないという。
「ここは僕たちが体調を崩したあと出合った場所ですが、図書館にもそうしたかたが多く来館されます。何かをやめようと迷っていたり、すでにやめていたり……。そうなってはじめて、目に入ってくる場所なのですね」
やはり現代でも、この地の持つ性格は変わらないのかもしれない。アンティークの大きなテーブルに座り二時間近く話し込んだが、時が止まったような不思議な時間だった。そんなに長々と話すとは思ってもみなかったが、考えてみればただ人と話すということを長いあいだしてこなかったように思う。話しているあいだは木がゆらゆらと庭に影を落とし、遠くからは川のせせらぎが聞こえてくる。周りにある自然や生きものの気配も作用したのか、話し終えたときには体ごと生まれ変わったような気がした。
その後道の駅で昼ご飯を食べ、真兵さんに車で室生寺まで連れて行ってもらい、一緒に寺院や仏像を見学した。室生寺はかつて「女人高野」と呼ばれ、女性が高野山に入ることを許されなかった時代、彼女たちの祈りを代わりに受けとめる場所だったという。苔むした石仏や五重塔もすばらしいもので、参拝客は少なく、ずっとひっそりとしていた。平野から離れた山深い場所で、生き直すことのできた人もまたいたのかもしれない。
その後真兵さんに駅まで送ってもらい帰途についたが、「胎内にいる」という不思議な感覚は電車の中にいても抜けることがなかった。名古屋の街まで出てようやく、よく見知った世界に戻ってきたような気がした。
今回のおすすめ本

『パパ・ユーア クレイジー』ィリアム・サローヤン 伊丹十三=訳 微花
人はどのように世界と出合うか。多くの人の「忘れられない一冊」となった作品を、先人へのリスペクトを忘れず、この時代に再び読み継げるものにしたよき「復刊」の仕事。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2026年9月18日(金)~ 2026年10月5日(月) Title2階ギャラリー
『本とねこと青い自転車』(信陽堂)の刊行を記念して、当店2階ギャラリーで、本書収録の装画・挿画を展示販売いたします。
本書は本屋Title店主・辻山良雄の最新随筆集。神戸で育った少年のころ、大学時代を過ごした早稲田近辺のこと、人生で出会ったさまざまな本、いまともに暮らしている猫たちなど、わたしはどのようにしてわたしになったのかという内容です。
この本に素敵な挿画を寄せていただいたのが紙版画作家の坂本千明さん。静謐な絵あり、ユーモアに溢れた絵ありと、この本を何倍もすてきなものにして頂きました。本展では、本書収録(未収録のものも)の装画・挿画を展示販売いたします。
◯2026年10月10日(土) 朝10時スタート Title1階特設スペース
管啓次郎、朝の朗読会
『図書館詩集』(書肆リヴェルリ)刊行記念
『本は読めないものだから心配するな』などのエッセイでも知られる詩人、比較文学者の管啓次郎さんが、このたび10冊目となる詩集を刊行しました。題して『図書館詩集』。全国の公共図書館を訪ね、開館時間から1日滞在して、1篇の詩をつくるというコンセプトで生まれた詩集です。
土地の名に、地形に、先人たちの遺したものに、あるいは手にした本に、応答し、導かれてうまれた長篇紀行詩12篇。土曜日の午前、休日のはじまりのトークと朗読のひとときをおくります。
◯【お知らせ】New!!
新刊『本とねこと青い自転車』が発売されました。
著:辻山良雄
挿画:坂本千明
版元:信陽堂 /208P 四六変形判ハードカバー
様々な媒体に寄稿した文章をもとに編んだ小さな随筆集。加筆修正後、書き下ろしも多数加えました。子どものころから本の仕事に出合うまで、様々に関わった街のこと、ともに暮らすもののことなど、わたしという一本の木が育つまでのことについて。何度も推敲を重ね持てる力を注ぎ込みました。ぜひ読んでみてください。たくさんの挿画を寄せてくださった、坂本千明さんの版画もすばらしいです。
〈わたし〉たちは何を食べているのか|〈わたし〉になるための読書(10)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
さまざまな食べ物を享受しながら、その背景にいるものや人たちについて考えることの少ない現代人。今回は、命やくらしをつないでいくことの重要性を痛感させてくれる2冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。


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