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本屋の時間

2020.05.15 公開 ポスト

第86回

もう一度……辻山良雄

完全にではなかったにせよ店の扉を閉ざして一カ月、その扉をまた開くことにした。休業中はカフェを配送の作業所にしていたので、床には段ボールや紙の切れ端が散乱し、テーブルには宅急便の伝票が積み上げられていたが、今後は人の目に触れるため隅々まで掃き掃除をして、最後に床を水拭きした。

 

人はどのような状況にも慣れるものである。この間注文をいただいた人には申し訳ないが、片付いた店内を見まわしてみると、よくこんな雑然としたなかで作業していたなと我ながら感心した。紙の切れ端はごみ箱に捨てられもうすぐ誰の目にも触れられなくなるだろうが、こうしたひと月のことも、店が開いてしまえばなかったかのように次第に忘れられてしまうのだろうか。

休みのあいだ希望する人には店内で本を見てもらっていたが、ある日しばらく店内にいた男性からこんなふうに話しかけられた。

本棚を眺めているだけで、なんだか落ち着いた気持ちになってきますね。

そうだね。わたしはずっとそこにいるからそれがあたりまえのように思っていたけど、そもそも本が静かに並んでいる光景自体に人を鎮める力がある。モモがたどり着いた時間の国のように、本屋には日常から切り離された循環した時間が流れているが、いまはその時間が特に身に沁みるのだろう。その男性はとても自然な表情をしていたから、こうした本のある空間は広く開かれるべきものであることを、あらためて思い知らされた。

店を再び開くことに関しては、うれしさよりも怖さのほうが強かった。まだ早いのではないかという心配はぬぐいきれるものではなく、店をいま開くことに人の理解が得られるのかどうかもわからなかった。街に店を開くという行為がこれほどまでに責任があることだとは想像もしなかったが、普段意識していないだけでその責任は毎日そこにあるのだろう。まったくこの騒ぎで、普段は見えていないものが次々と見えてくるようになる。よいこともそうでないことも、分け隔てなく。

店を開けると休業前と同じように人がきて、同じような本が売れていった。人で溢れてしまうのではないかと心配していたが、それは買いかぶりというもので、店の実力以上の人は来ないものだとよくわかった。雑誌や文庫本などWEBSHOPには出しておらず、このひと月ほとんど売れていなかったものが売れていくのを見るのはうれしいことだった。

しばらくまだ時間がかかりそうですね。このところ誰かれともなくつかまえてはそう話したり、メールの最後に書き添えたりしているが、それは失われた「熱量」のことについて話しているつもりだ。これまでTitleに来店した人は心置きなく本棚やギャラリーに飾られた作品を眺め、カフェでゆっくりと時間を過ごしていた。客との会話がはずむこともあるし、月に何回か行っていたトークイベントでは場が深まっていくことも実感できた。

本屋の熱量とはそのように、静かなまま一滴ずつ水が滴り落ちるように満ちていくものである。それが失われてしまったいま、また少しずつその熱量を貯めていかないといけないのだが、それはやはりマスクを着けたビニールカーテン越しの会話ではうまくいかない。たとえそれが、いまは必要なことだとわかっていても。

 

今回のおすすめ本

『おにぎりをつくる』文・高山なおみ 写真・長野陽一 ブロンズ新社

親子一緒に手を動かして、同じおにぎりをつくる。それだけで通じる深いこともある。いま手に取ってほしい写真絵本。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー

「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展

切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。


◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース   19時00分スタート

書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント

2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。

 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】NEW!!

〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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