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雅子さまの笑顔

2020.05.08 公開 ツイート

「雅子とともに」で作る令和流 矢部万紀子

陛下と雅子さまは、周囲の期待に応えてきた「似た者夫婦」

2019年5月1日のNHKニュースのことはすでに書いたが、陛下のご友人として、幼稚園から中等科まで学習院で一緒だったという立花眞さんが出演していた。

立花さんは陛下のことを、小さい頃から思いやりがあり優しい方だと繰り返していた。やんちゃなことも一緒にした幼少期から、陛下が変わられたのは中学1、2年の頃だったと振り返った。「◯◯だ」と言い切っていたお言葉遣いが、「そうであるといいですね」とご希望を述べるようになったと例をあげていた。司会の武田真一アナウンサーが「意思を少しずつ和らげるようになったのですね」と、まとめていた。

自分の立場を理解するにつれ意思を和らげるようになった陛下が、決して和らげなかったのが、雅子さまとのご結婚への意思だった。最初のプロポーズで断られても、母方の祖父がチッソの経営にかかわっていたことが問題になっても、「雅子さんではダメですか」と関係者に伝え続けた。

陛下と雅子さまのことを「誤解を怖れずに云えば、似た者夫婦なのだと思う」と書いたのは、評論家の福田和也さんだ(『美智子皇后と雅子妃』文春新書)。小さな頃から「孤独」を引き受け、親と周囲の期待に応えてきた、という点に注目しての記述だ。

陛下は天皇家の長男として、弟である秋篠宮さまとは違う育て方をされている。秋篠宮さまが生まれた1965年(昭和40年)、上皇さまは32歳の誕生日にあたっての記者会見で「上の方(現在の陛下)は自由に、下の方(秋篠宮さま)は窮屈にとの方針で育てたいと考えています」と答えている。

だが実際は、そうとばかりはいかなかった。陛下の高校時代、国語を教えていた小坂部元秀さんが父母面談の席で、課題の作文について話したというエピソードは有名だ。個人の感情があまり出てこないという小坂部さんの指摘に、美智子さまは「長男なのでいろいろと細かい点を注意したため、のびのびしたところが多少不足するようになったかもしれません」と答えたというのだ。

雅子さまも、母が外交官の妻として不在がちだったことに加え、双子の妹を持つ姉として、小さな頃から聞き分けのいい「手のかからない子」だった。結婚前に、そう両親が証言している。そういう二人が出会われ、結婚された。「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という決め台詞が、外務省のキャリア官僚だった雅子さまの心を動かした。

雅子さまの友人の土川純代さんのことも、5月1日のNHKの番組に出演したとすでに紹介した。番組の中で土川さんは、雅子さまが陛下との結婚に悩まれている頃の話もしていた。大手銀行の総合職として、社宅に住んでいた土川さん。社宅は雅子さまの実家のすぐ近くだったので、「何も聞かないでね」と言って雅子さまが訪ねてくることが何度もあったそうだ。その話をして土川さんは、こう語った。

「陛下のまっすぐなお気持ちにお応えになりたいということと、常に何か人の役に立ちたいお気持ちがずっとおありと思う。そちらがやはり決定的にあり、合わせて総合的に決断されたと思います」

関連書籍

矢部万紀子『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』

弾けるような笑顔、華やかなファッション、外国賓客に対する堂々たる振る舞いと、日々輝きを増す皇后雅子さま。しかし、一九九三年のご結婚から今日までの道のりは、長く苦しいものだった。外交官から皇室へと新しい人生を選択したものの、男子出産の重圧にさらされ、生きる意味を見失った日々。そこからどう立ち直ってこられたのか?失わなかった「普通の人としての感覚」とは?雅子さま、そして愛子さまほか女性皇族にとって生きやすい皇室を考えながら、誰にとっても生きやすい社会のあり方を問う、等身大の皇室論

矢部万紀子『美智子さまという奇跡』

一九五九(昭和三四)年、初の民間出身皇太子妃となった美智子さま。その美しさと聡明さで空前のミッチーブームが起き、皇后即位後も、戦跡や被災地を幾度となく訪れ、ますます国民の敬愛を集める。美智子さまは、戦後の皇室を救った“奇跡”だった。だが、今私たちの目に映るのは、雅子さまの心の病や眞子さまの結婚問題等、次の世代が世間にありふれた悩みを抱えている姿。美智子さまの退位と共に、皇室が「特別な存在」「すばらしい家族」である時代も終わるのか? 皇室報道に長く携わった著者による等身大の皇室論。

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矢部万紀子 コラムニスト

1961年三重県生まれ。コラムニスト。83年朝日新聞社に入社し、記者に。宇都宮支局、学芸部を経て、「アエラ」、経済部、「週刊朝日」に所属。94年、95年、「週刊朝日」で担当したコラムをまとめた松本人志『遺書』『松本』(ともに朝日新聞出版)がミリオンセラーになる。「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理をつとめたのち、書籍編集部で部長をつとめ、2011年、朝日新聞社を退社。シニア雑誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長となる。17年に株式会社ハルメクを退社し、フリーランスで各種メディアに寄稿している。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)がある。

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