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雅子さまの笑顔

2020.05.01 公開 ポスト

ご即位1周年。いま、病で苦しまれた雅子さまが皇后であることの意味矢部万紀子(コラムニスト)

(宮内庁提供)

皇后になられて1年、懸命に公務に臨まれてきた雅子さま。なぜその笑顔に、私たちはこんなにも心打たれ、励まされるのでしょうか。新型コロナ禍で苦しむ人たちに、いまどんなお気持ちを寄せておられるのでしょうか。矢部万紀子さん『雅子さまの笑顔~生きづらさを超えて』からの抜粋をお届けします。

*   *   *

皇室という新しい道。「悔いはございません」

2019年5月1日、令和の初日。NHKは8時15分、朝ドラ「なつぞら」の終了とともに新天皇即位の儀式を生中継するニュース特番をスタートさせた。

皇居宮殿・松の間で「剣璽等承継の儀」が始まるのが10時半、「即位後朝見の儀」が始まるのは11時10分。番組は正午まで続く。となると当然、中継映像だけでは間が持たない。天皇陛下や皇后雅子さまと親しい人たちが話をしながら、番組を進める構成になっていた。

陛下の側からは学習院初等科以来の同級生、水問題の専門家である政策研究大学院大学教授。雅子さまの側は、田園調布雙葉学園で小学校から高校まで一緒だったという友人二人が登場した。そのうちの一人、土川純代さんは、かつて大手銀行の総合職として働いていたという。「皇后さまは、外務省に勤務されて」と言ってから、司会の武田真一アナウンサーがそう土川さんの職歴を紹介した。

「女性がバリバリ働く時代の幕開けでしたよね。働くことについて、どんなふうに語り合いましたか?」という武田アナの問いかけに、土川さんはこう答えた。

「お互いに均等法施行後の一期生として一緒にキャリアを積んで、社会貢献できるようにとよく語り合っていました」

雅子さまを考える上で絶対に欠かせないのが均等法、正式には男女雇用機会均等法だ。1986年(昭和61年)に施行され、雅子さまは翌1987年(昭和62年)に外務省に入省された。施行から1990年(平成2年)までの間に就職した総合職女性を「均等法第一世代」と呼ぶことが多く、土川さんはそれを「一期生」と表現したのだと思う。

ちなみに私は1983年(昭和58年)に新聞社に就職したので、「均等法以前入社」組だ。もう一つちなみに「社会貢献できるように」などと友人と語り合ったことは、一度もない。自分のダメさを棚に上げて解説させていただくなら、均等法というものが働く女性の意識を大きく変えたと思う。

均等法以前入社の私は、会社への期待値がある意味で低いところがあった。大学の「就職室」には求人票が壁いっぱいに貼られていたが、ほぼすべてに「男子若干名」と書かれていた。それが当たり前で、おかしいと憤るより数少ない入社試験のチャンスをものにせねばと思っていた。だから入社してからも「入れていただけてありがたい」と会社に思う気持ちもあったし、自分は「変わり種」として入社したのであって、メインストリームを歩く者ではないと思っていた。書きながら自分でも情けなくなるが、こんな考えで入社した人間が「社会貢献しよう」という発想など持てるはずがない。

その点、第一世代は違った。後輩を見て自分との違いをしみじみ実感したが、皆一様に使命感に燃えて入社してきた。張り切っていた。メインストリームを歩く者として会社に入ったのだ、という自負があった。そのうちの多くがそう時を経ず、「男性ファースト」という会社の現実を知ることになる。土川さんも今はファッション関係のメディアで働いていると語っていたから、大手銀行でそういう体験をして転職をしたのかもしれない。それはさておき、入社時点での意欲の表れが、雅子さまと土川さんが語ったという「社会貢献」という言葉だったと思う。

しかも、と言っていいかどうかわからないが、雅子さまはバリキャリだった。もしかしたら「バリキャリ」はもう死語かもしれないが、ハーバード大→東大→外務省と絵に描いたような「バリバリのキャリアウーマン」だった雅子さまが1993年(平成5年)、皇太子さま(当時)と結婚された。だから婚約が決まった皇室会議後の記者会見で、外交官という職業を捨てることに後悔はないかという質問が出たのは当然のことだった。

雅子さまは「6年近く勤めた外務省を去ることに、寂しさを感じないと申しましたら、うそになると思います」と答えた。やりがいのある仕事をし、尊敬すべき先輩や同僚にも恵まれ、とても充実した勤務だったと振り返った後に、こう続けた。

「でも昨年の秋、本当にいろいろと考えた結果、今、私の果たすべき役割というのは殿下のお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることなのではないか、と考えましたので、決心したわけです。今、悔いはございません」

新しい道で自分を役立てる。土川さんと語り合った「社会に貢献する」という旗は降ろさない。ただ、歩く道を変える。この時の雅子さまの気持ちは、「嫁ぐ」というより「転職」だったと思う。雅子さまは変わらず、使命に燃えていた。

関連書籍

矢部万紀子『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』

弾けるような笑顔、華やかなファッション、外国賓客に対する堂々たる振る舞いと、日々輝きを増す皇后雅子さま。しかし、一九九三年のご結婚から今日までの道のりは、長く苦しいものだった。外交官から皇室へと新しい人生を選択したものの、男子出産の重圧にさらされ、生きる意味を見失った日々。そこからどう立ち直ってこられたのか?失わなかった「普通の人としての感覚」とは?雅子さま、そして愛子さまほか女性皇族にとって生きやすい皇室を考えながら、誰にとっても生きやすい社会のあり方を問う、等身大の皇室論

矢部万紀子『美智子さまという奇跡』

一九五九(昭和三四)年、初の民間出身皇太子妃となった美智子さま。その美しさと聡明さで空前のミッチーブームが起き、皇后即位後も、戦跡や被災地を幾度となく訪れ、ますます国民の敬愛を集める。美智子さまは、戦後の皇室を救った“奇跡”だった。だが、今私たちの目に映るのは、雅子さまの心の病や眞子さまの結婚問題等、次の世代が世間にありふれた悩みを抱えている姿。美智子さまの退位と共に、皇室が「特別な存在」「すばらしい家族」である時代も終わるのか? 皇室報道に長く携わった著者による等身大の皇室論。

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矢部万紀子 コラムニスト

1961年三重県生まれ。コラムニスト。83年朝日新聞社に入社し、記者に。宇都宮支局、学芸部を経て、「アエラ」、経済部、「週刊朝日」に所属。94年、95年、「週刊朝日」で担当したコラムをまとめた松本人志『遺書』『松本』(ともに朝日新聞出版)がミリオンセラーになる。「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理をつとめたのち、書籍編集部で部長をつとめ、2011年、朝日新聞社を退社。シニア雑誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長となる。17年に株式会社ハルメクを退社し、フリーランスで各種メディアに寄稿している。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)がある。

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