
仙台にはこれまで、三度訪れたことがある。最初は震災前の二〇〇八年に当時勤めていた会社の研修で、あとの二回は震災後の二〇一三年と一四年にそれぞれ。特に震災で区切る必要はないし、それは住んでいる人にとっても迷惑なことかもしれないが、あの街に暮らす友人には東日本大震災をきっかけに知り合った人もいて、どうしてもそのように区切って考えざるをえない。
二〇一三年六月、その夜は仙台の出版社・荒蝦夷(あらえみし)の土方正志さんと千葉由香さんの二人に、地元の居酒屋を案内いただいた。二軒目の立ち飲み屋にいたときに、どういうきっかけでそうなったのかは覚えていないが「ではこれから、閖上(ゆりあげ)に行きましょう」ということになった(恐らくわたしがまだ行ったことがないと言ったからだろう)。太平洋沿岸の閖上地区は漁港として栄え、住宅も立ち並ぶ地域だったが、あの日9メートルを超える津波により、町のほとんどが壊滅的な被害を受けた。
夜の十二時前、仙台の中心部でタクシーを拾い(運転手も「これからですか?」と怪訝そうな声で答えた)、三十分ほど走ってここだと降ろされたところは、何もない、ただ地面が広がるだけの場所であった。
すでに瓦礫の撤去が済んだあとの地域は、かつてそこに生活があったことすらないものとされてしまったかのようだった。夜の闇の中、地面だけが横たわり、人の営みを感じさせるものは何一つとしてない。ずっとそこにいると、自分が存在していることすら怪しくなってくる、徹底した〈無〉であった。
隣の土方さんは、そこに着いてからは一言も話さなかった。ただそこに立ち、この場所に何が起こったかを想像してほしい。そのように問いかけられているかのようでもあった。土方さんはこれまで〈外からきた〉多くの人を、こうしてここまで連れてきたのだろう。何も言うことはできず、闇の中、音は何一つしなくて、ただ遠くに波の音だけが聞こえたような気がした。
そもそも仙台には「東北 可能性としてのフロンティア」というブックフェアを行うため、地元の出版社に協力を求めにいったのであった。それまでも何度か震災関連の本を集めたフェアは行っていたが、ただ表面をかすめ取るだけで何かもの足りず、もっと出来ることがあるのではないかと思っていた。
そんな折、仕事で出会ったロシア文学者の亀山郁夫さんが、震災以降大切にしていることばとして、スーザン・ソンタグの一節を自身の選書によせてくださった。
「彼らの苦しみが存在するその同じ地図の上にわれわれの特権が存在する」
『他者の苦痛へのまなざし』スーザン・ソンタグ 北條文緒訳 みすず書房
ソンタグのこの本は、主に戦場写真を扱った写真論だが、同情の意味や限界についても触れている。それは震災当初、起こったことの大きさに何もできず、手放しで同情することにもためらいがあったわたしにとっては、見逃すことのできない本でもあった。
土方さんはあの夜、わたしを閖上まで連れていったが、そこには越えられない一線があることも、無言のままその身をもって示してくれたように思う。それは実際に体験したものと、それを見て(無責任に)同情するものとの違いでもある。しかも情けないことに、本当はわたしのほうが自分の意を行動で示さなければならないところ、実際には土方さんから与えられたもののほうが、いまに至るまでずっと大きいのだ。
何かわかったように、〈特権〉のうえにあぐらをかきそうになったとき、わたしはあの暗い浜辺のことを思い出す。わかったと思う傲慢に身を任せてしまうより、無力に打ちひしがれながらでも、自分の足で一歩を踏み出す方がよいと思うから。
今回のおすすめ本
『大きな屋根 建てる ― 釜石市民ホールTETTO 2013-2019』写真:奥山淳志 文:ヨコミゾマコト millegraph
津波で街の建物の多くが流されてしまった岩手県釜石。建築家が構想した市民ホールは、多くの人の手と物によって作られ、釜石の街の風景となり溶け込んでいく。街の日常はこのように取りもどされる。そのように思わせるアーカイブ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。