
朝のうちに届いた荷物を本棚に並べ、シャッターを上げて店を開ける。道路に出てみるともう春の陽気で、今日もよく晴れている。今年は結局、冬らしい冬の日が数えるほどしかなかった。
この少し緩んだ大気のなかに、いったいどれだけの量、ウィルスが混じっているのだろう。いや、それはそもそも花粉とは異なり、大気のなかには含まれないものなのだろうか? いずれにしてもその0から100のあいだにわたしたちはいて、そのどこにいるのか、誰にもはっきりとはわからない。
三月に開催予定だったイベントは、予定していたものも含め6つあったが、そのすべてを中止、可能なものは日を改めて行うことにした。危険の程度がわからないままお客さんと出演者に集まってもらい、無理に予定を進めることがよいとは思わなかった。
郊外にあるからだろうか、いまのところ客足は、そんなに大きくは変わっていない。いや、それでは少し不十分であり、人数としては変わっていないが、遠くからわざわざきた人が減り、近所に住んではいたがはじめて店に入ったという人が増えているように思う。とまどいのなかみんな少しずつ、いつもと行動パターンが違っているのだろう。
ある日の朝、ドラッグストアで使い捨てカイロを買うため列に並ぼうとすると、普段の倍以上人が並んでいて驚いた(トイレットペーパーやティッシュペーパーが品薄になるという噂が流れていたことを、あとからネットのニュースで知った)。
帰りに同じドラッグストアのまえを通ると、いつもは歩道に面してトイレットペーパーを積み上げている棚は商品がすべて買い占められ、貼り紙を残すほか何一つものは残っていなかった。その光景を見ていると、憤慨するというよりは、ひどい無力感に襲われた。
自分はこうした行為に抗うために、本を売っているのではなかったか。一人一人が考えて行動するためには、その人に戻るための本が必要である。いくらそのように言ってみたところで、目のまえの光景を突きつけられると、自分のやっていることなんてなんの役にも立っていないのではないかと思ってしまう。何もない棚をまえにしてしばらく呆然とし、文字通りことばを失ってしまった。
パニックは、普段は隠されている社会の分断を露わにする。いらだった声、あきらめのつぶやき、冷笑することば……。分断は分断、憎しみは憎しみを生む。
多くのことばが飛び交うなか黙ってそこに立ち、いつも通り店を開けておくことしかいまのわたしにはできない。日常を守りながらも、いま起こっていることに対して目をふさぐことはしない。複雑は複雑なまま、この春を過ごしていく。
「今回のおすすめ本」はお休みします。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。