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「アイネクライネナハトムジーク」絶賛上映中

2019.09.27 公開 ポスト

#1 マーケットリサーチ……“出会いがない”の呪縛がとける恋愛ストーリー伊坂幸太郎

「こういうアンケート調査ってさ、いまどきはインターネットとか使ったほうが手っ取り早いし、いいんじゃないの」目の前の中年男性はボールペンを握り、バインダーに挟まった紙に記入をしながら言った。

「痛いところを突きますね」僕は正直に答える。「うちの会社も普段は、街頭でアンケートなんてやらないんです」

「やっぱり何でも、ネットだよな。どうなのよ、ネット」男性は紙に書かれた設問に対し、丸印で答えていく。駅の西口にあるペデストリアンデッキに立ちはじめて三十分、回答に応じてくれたのは目の前の彼で二人目だった。前途多難、先行き不透明、負け戦の気配濃厚の作業だ。

「こうやって、年齢とか職業とか書くのって抵抗あるよなあ。俗に言う、個人情報でしょ」

「俗かどうかは別にして、その欄は会社員とかそういうアバウトな感じで、いいですから」

「にしても、抵抗あるよな」とペンを走らせ、はいよ、とバインダーを返してきた。「夜にこんな風にアンケート取るのも珍しいんじゃないの。普通、昼間だろ、昼間。どうなのよ、昼間」

さてはおじさん、暇ですね。立ち去ろうとしない男性に思わずそう言いたくなるが、ぐっとこらえた。「まあ、珍しいです」と返事をする。残業代も出ないので、仕事というよりは罰ゲームに近いですよ、と。

 

(写真:iStock.com/smiltena)

マーケットリサーチ、という単語はすでに、時代遅れの二枚目のような恥ずかしいものに思えるのだが、うちの会社の業務内容は大雑把(おおざっぱ)に言えば、それだ。依頼された調査内容に合わせ、設問を用意し、回答サンプルを集め、計算や統計を行う。コップ半分の水を見て、「まだ半分もある」と述べることも、「もう半分しかない」と述べることも可能なように、情報や統計は見せ方により、どんなものの根拠にも使えるのだが、とにかく依頼主の意向になるべく沿った報告書を作る。

最近の、市場調査のやり方は大きく二つに分けられる。時代の流れに敏感な十代の女性に、放課後の部活動に近い感覚で部屋に集まってもらい、そこで商品やイベントに対する意見を求めるような方法と、インターネットの活用だ。うちの会社は後者専門だった。

街頭でアンケートを取るような古臭い手段を使うよりも、よっぽど効率的で、得られるサンプル数も桁(けた)が違う。依頼に合わせ、契約している会員にメールを送り、サイトを通じ、回答を入力してもらう。こんなに簡単で、どうなのよネット、と言いたくなるくらいには効率がいい。

ではどうして今の僕は、非効率的の権化(ごんげ)とも言える、街頭アンケートをしているのか?

答えは簡単だ。

ネット経由で集めた、せっかくのデータが消えたからだ。

もちろん、一般的に言って、データは簡単には消えない。データこそ会社の根幹であるから、情報のバックアップは毎日実施されるし、バックアップテープなる媒体にも半月に一度、記録がされ、それは鍵のかかった金庫に保管される。二重三重に手が打たれているわけだ。

では、どうして、そのデータが失われたのか?

これも答えは簡単だ。

いくら厳重な手順を取り決め、システムにセキュリティを備えさせたところで、それを実施する人間が誤れば、うまくいくものもいかないからだ。

もちろん、そういったことがないように、信頼が置け、几帳面(きちょうめん)で、真面目(まじめ)な社員がシステム管理者に任命されている。

とはいえ、どんな人間も完璧(かんぺき)ではない。

担当者は三十代後半の、優秀な男性だった。いつも沈着冷静、仕事は堅実で、誰からも信用され、大切なデータを管理するには適任だと誰もが認めていたが、その誰もが、彼の妻が突然、娘を連れて家を出るとは、予想していなかった。

関連書籍

伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』

妻に出て行かれたサラリーマン、声しか知らない相手に恋する美容師、元いじめっ子と再会してしまったOL……。人生は、いつも楽しいことばかりじゃない。でも、運転免許センターで、リビングで、駐輪場で、奇跡は起こる。情けなくも愛おしい登場人物たちが仕掛ける、不器用な駆け引きの数々。明日がきっと楽しくなる、魔法のような連作短編集。

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「アイネクライネナハトムジーク」絶賛上映中

9月20日全国ロードショー!!

“出会いがない”というすべての人へ――10年の時を越えてつながる〈恋〉と〈出会い〉の物語

妻に出て行かれたサラリーマン、声しか知らない相手に恋する美容師、元いじめっ子と再会してしまったOL……。人生は、いつも楽しいことばかりじゃない。でも、運転免許センターで、リビングで、駐輪場で、奇跡は起こる。情けなくも愛おしい登場人物たちが仕掛ける、不器用な駆け引きの数々。明日がきっと楽しくなる、魔法のような連作短編集。

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伊坂幸太郎

1971年千葉県生まれ。2000年『オーデュボンの祈り』で、第五回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。04年『アヒルと鴨のコインロッカー』で第二十五回吉川英治文学新人賞、『死神の精度』で第五十七回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。08年『ゴールデンスランバー』で第五回本屋大賞と第二十一回山本周五郎賞、20年『逆ソクラテス』で第三十三回柴田錬三郎賞を受賞。他の著書に『アイネクライネナハトムジーク』『フーガはユーガ』『シーソーモンスター』『クジラアタマの王様』『ペッパーズ・ゴースト』などがある。

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