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2019.08.06 更新 ツイート

不器用だけれど、かけがえのない父の死 松田洋子『父のなくしもの』中条省平

松田洋子といえば、これはもう、誰がなんといおうと、『薫の秘話』『リスペクター』。作者はもういい加減にしてくれとおっしゃるかもしれないが、あの2作が出たころの驚きはいまだに忘れられません。 

『薫の秘話』は、日本マンガ史に残るネガティブな主人公像。チビ、デブ、ハゲという身体的三重苦に、今だったら絶対にアウトの露骨に差別的な同性愛者という設定。しかし、そのネガティブさを、すべて悪意、ひがみ、卑屈で武装し直し、普通の人が心の奥底に秘める本音全開で、理路整然と他人の心の傷を抉りまくる。ほんとに独創的なマンガです。

 

『リスペクター』ではがらりと変わって、芸能中心の時事ネタのエッセーマンガですが、まずは描かれる有名人の似顔絵が本当にそっくりで、しかも、その人の性格的な嫌らしさを、目つきや、皺や、口元のゆがみといった線一本でくっきりと可視化する奇跡的な名人芸。その上、そうした有名人たちの言動のあげ足とりのこまやかさはナンシー関に匹敵するものなのに、これに『薫の秘話』で鍛えあげた悪意がたっぷりとまぶされて、見ごたえ、読みごたえ満点。面白かったなあ。

でも、あれからもう20年。その後の松田洋子のマンガ人生の変転を抜きにして最新作『父のなくしもの』を読むと、そこに『薫の秘話』と『リスペクター』の完全武装した悪意の底の底に隠されていた<哀しみ>の原形質に触れるような感じがあって、月並みですが、ああ、人間って……と絶句させられます。

『父のなくしもの』は、松田洋子の純然たる私マンガで、主人公は父と「私」。

冒頭に、海で幼い「私」を背負って遠い小島まで泳いでくれた父の背中の記憶が描かれるために、父がどれほど「私」に対して鬱陶しい存在であっても、けっして完全に否定的な人間にはならない。そこにこのマンガの大きな救いがあります。

とはいえ、思春期の「私」は、父と父が作りあげた家がいやでいやでたまらず、18歳で父と家を棄てます。

そのことの罪悪感が「私」の人生に重くのしかかり、父が亡くなった今、父を描いている「私」は、どうしようもなくがさつな父の記憶と、でも自分を娘として生かしてくれたかけがえのない父の姿の両極にひき裂かれています。その思いの正直な吐露が、この『父のなくしもの』というマンガに、ドラマ的に構成された感動とは異なる、本物の繊細なリアリティをあたえているのです。
父を焼いたあとで青い空を見たとき、空の意味が変わってしまったことに気づき、「私」は「ベタななー」と自分で自分にツッコミを入れます。これはいつものアイロニカルな松田洋子。しかし、「でも 人間は生まれてしまったら全員が死ぬのだ だから 死にまつわるすべてはきっとベタなのだ」と思い直すとき、そこには人間をめぐる、ささやかだが確かな真実が語られています。

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中条省平

1954年神奈川県生まれ。学習院大学フランス語圏文化学科教授。東大大学院博士課程修了。パリ大学文学博士。著書『中条省平は二度死ぬ!』『文章読本』など。翻訳書最新刊はロブ=グリエ『消しゴム』。

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