
展示期間の最終日、奥山さんが目のまえに現れたときは、なつかしい人と思いがけず出会ったようにとまどってしまった。3週間まえにも会ったばかりであり、その時間店に来ることも、あらかじめわかっていたはずなのだが……。
展示が行われていた6月のあいだ、写真家で展示の企画者でもある奥山淳志さんとは、毎日店で会っているような気がしていた。黄色や暖色系の色が多い「弁造さん」の絵は、わたしがいる書店の階段を上がった2階に飾られており、それらの絵の後ろには、いつも奥山さんの視線があった。そして何より、奥山さんが書いた『庭とエスキース』(みすず書房)の余韻が、身体中をずっと包み込んでいた。
『庭とエスキース』で奥山さんは、北海道・新十津川町の丸太小屋で自給自足の生活を営む「弁造さん」のもとを、弁造さんが亡くなるまでの14年にわたり訪れている。弁造さんは自給自足を可能にする「庭」を作る一方で、若いころから絵描きになるという夢を持ち続けており、女性や母と子の姿を描いた穏やかな絵をずっと描き続けていた(そしてそれらの絵は、一枚を除いて完成することはなかった)。この度の展示は、弁造さんが生前果たせなかった「個展をしたい」という望みを、かたちにするものでもあった。
10年以上の長きにわたり、自宅のある岩手県雫石町から北海道に通い続けるのも根気のいることだが、いまの時点から振り返り、弁造さんという人物がいたことを一本の糸のように紡ぎ出す、奥山さんが書く文章の足腰の強さにも驚嘆した。それは同じテーマが何度も変奏され、その都度印象を変えながら強度を増していく、終わることのない楽曲のようでもあった。
その日の夜はトークイベントを行い、終了後は荻窪駅近くで打ち上げをした。その席上、以前から思っていたことを口にした。
奥山さんには、農夫のような印象があるんですよね。
奥山さんはあまりピンとこなかったようで、農夫ですか、うーん……と考えこみ、その話はそこで流れてしまったのだが、わたしにはその考えこむ姿が農夫そのもののように見えた。調子を変えずにゆっくりと話すリズムは、土に鍬を入れるようだし、書く文章にもその息継ぎや着実さは残っているように思う。そして何よりも、初対面のときに印象に残った〈大きな手〉が、土を触り慣れている人の手のように見えたのだった。
定休日の翌日、搬出のため店まで出かけた。作業が終わったあと、奥山さんと『庭とエスキース』の担当編集者である小川純子さんと三人で、環八沿いにある中華食堂まで歩いていき、昼ごはんを食べた(我々は全員72年生まれだったので、みすず書房の守田社長からは「花の72年トリオ」と呼ばれていた)。そこでもまた多くの話をして店まで戻り、奥山さんと小川さんは車で次の場所へと向かっていった。
まったく幸せな午後であり、別れる際に奥山さんと握手をしたが、やはり大きくて篤実な手だと思った。
今回のおすすめ本
『YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日 (1)』ミズモトアキラ
名作『富士日記』をあらゆる角度から読む。書かれた当時に思いを巡らし、調べることは何かを明らかにする。「読む」こと自体が、創造的な行為であることを証明した一冊。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。