いまわたしの手元には、『終わりと始まり』(未知谷)という一冊の詩集がある。著者のヴィスワヴァ・シンボルスカは1996年にノーベル文学賞を受賞し、この詩集もポーランド文学を代表する一冊として読み継がれているが、そこまで頻繁に売れている本ではない。
しかしどこかの書店でこの本が並んでいる姿を目にすると、わたしはそこに、その店の〈良心〉を感じずにはいられない。すぐには売れないであろう本をわざわざ置くのは、そこに何かしらの気持ちをこめているからだろう。そしてその本からは、数字でこそ測ることはできないが、そうあってほしい世界へと手を差し伸ばす、もの言わぬ意志を感じる。
過剰な売上主義に縛られた店には、この本を媒介として、よりよい世界に向かおうとする意志が存在しない。損得のみで生きている人が淋しく見えるように、売上効率のみで作られた店は、売場がばらばらで、全体で見れば奥行きがなく淋しい。
わたしは自分の店をはじめたことで、仕事におけるこの種の淋しさを感じることがなくなった。個人で店を続けるには、売上と同じように自分の情緒が安定していることが必要なので、「良心にもとる仕事はしない」ということが、ここでは自明なものとなっているからだ。
先日、『小商いのすすめ』(ミシマ社)の著者である、平川克美さんが来店された。『小商いのすすめ』で平川さんは、商いのスケールダウンをしながら個人が責任ある仕事をすることが、人口減少時代においては、その人の幸福へとつながっていくことを説いている。「小商い」という昔からある言葉に、平川さんがあらたな生命を吹きこまなければ、個人で作る小さな本屋なんて、思いもつかなかったかもしれない。
平川さんは本を選んで珈琲を飲み、たいしたものだねと帰っていった。しばらくすると、しみじみとした嬉しさがこみ上げてきた。
今回のおすすめ本
『迷うことについて』レベッカ・ソルニット 東辻賢治郎訳 左右社
考えることは、未知の〈わたし〉へとダイブすることだ。書く手を動かすなかで、その動きは思ってもいなかった場所へと自分を連れていく。身体と思索が溶け合った、他に類を見ないエッセイ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
○2024年9月20日(金)~ 2024年9月30日(月)Title2階ギャラリー
「なぜ自分の家族の作品を作るのか?」写真家木村肇の写真とインタビューで、作品制作の背景をたどった書籍「嘘の家族」の刊行を記念して、写真展を開催します。早くに亡くなった両親の存在を隠し続けてきた作家が、実家の部屋をギャラリースペースに再現し、嘘か本当か、曖昧な家族の記憶を行き来するような作品を展示します。
◯【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】NEW!!
『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)
『うたたねの地図 百年の夏休み』岡野大嗣(実業之日本社)ーー〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間 [評]辻山良雄
(Webジェイ・ノベル 掲載)
◯【お知らせ】
我に返る /〈わたし〉になるための読書(2)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第2回が更新されました。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。