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平成精神史

2019.08.15 公開 ツイート

昭和・平成・令和をたどる

【大きな旅・小さな旅】安岡正篤に見る、戦前と戦後の連続性<片山杜秀×白井聡>再掲 片山杜秀

戦後、なぜ右翼思想家がフィクサーたりえたのか?

白井 安岡は玉音放送への関与でも有名ですよね。御前会議での天皇の言葉を終戦の詔書としてまとめた革新官僚の迫水久常(さこみずひさつね)が、仕上げの段階で安岡のところに行って「先生、どうでしょうか」と相談した。そこで安岡が「万世の為に太平を開かむと欲す」という一文を付け加えたと言われています。

安岡は、終戦直後は超国家主義者と認定されて公職追放の憂き目にあい、金鶏学院もお取り潰しになりましたが、やがて大平正芳や中曽根康弘など歴代首相も含む保守政治家や、財界人などのご意見番として持ち上げられるようになりました。その意味では、むしろ戦後のほうが活躍したと言えるかもしれません。あと、最晩年になぜか細木数子さんに入れ込んでしまうという変な事件もありました。

安岡の行動やその人脈は、まさに日本の戦前と戦後の連続性を濃厚に表しているものですよね。不思議なのは、安岡に代表される右翼思想家やフィクサーに、なぜ政財界を動かすような実力があったのかということです。安岡のほかに、東京帝大教授だった歴史家の平泉澄(ひらいずみきよし)も政財界のご意見番として活躍しましたし、児玉誉士夫(こだまよしお)、田中清玄や笹川良一もフィクサーだったと言われますよね。

こんなに大勢フィクサーがいたら、どうやって物事をフィックスさせるのかと思うわけですが(笑)。

片山 安岡や平泉のような人間に求められていたのは、特に戦後に関して言えば、やはり思想的なお墨付きでしょう。たとえば、ある政治的決断をしたときに、演説の原稿を安岡に見てもらう。すると安岡は「論語にこういう話があってね」などと意味深長な漢語を提示して、禅問答みたいな話をするわけです。政治家はそれでお墨付きを得た気持ちになれるんですね。

やはり政治家というのは、かなり図々しい人でも結局は自信がないのですよ。ひとつ誤れば、国が滅亡したり破産したりする。とりかえしのつかぬことになるかもしれない問題について方針を定めなくてはいけない。軍事や経済のことになると、ほんとうに危い事柄がたくさんある。そのとき、いちおう自信をもって判断する、そういうふりをするだけのためにも、占い師や精神科医や安岡のような怪しい学者が、精神安定剤として必要なのです。

首相クラスになると、実際の決断の内容に関与してもらっては困るのだけれど、「それで大丈夫だからしっかりおやりなさい」と言ってくれる権威ある人が、どうしてもそばに欲しい。電話で相談できるくらいの相手ですね。安岡は典型的にそういう人でしょう。

日本人は漢文とか引かれると、そうかなと思っちゃうでしょう? 「君、孟子はね、司馬遷はね」とか言われると弱い(笑)。そういう意味では、司馬遼太郎もペンネームの勝利かもしれないですね。司馬遷の司馬からもらっているわけですから。本名の福田さんのままだったらどうですか。「この国のかたち」を説くとき、福田姓と司馬姓なら、司馬姓の方が圧倒的多数の日本人に説得力を持つと私は思いますね。

一方、児玉誉士夫は、もともとは海軍の軍需生産のための資金や物資を中国大陸で都合する特務機関みたいな立場でした。戦後は軍がなくなって、物資の持ち主がいなくなった。そこで、網野善彦ではありませんが「無主」になったものをいただいてしまうわけです。国のために使うぞ、戦後の占領下のふぬけの政府よりも真の国士のおれが使うぞと。

それが闇物資となって、児玉のような人たちは暴利を得ました。つまり、戦前に然るべき地位にあり、終戦直後のどさくさで闇資金、隠し財産を得た人が、のちにフィクサーになったわけです。

児玉は、もともとは海軍のものだったはずのものを隠し財産にした。そもそも、児玉の扱っている領域は、戦中から裏帳簿の世界、誰も触れられなかった世界です。戦後になっても、「児玉君のお金は、本来は国のお金だから、返しなさい」と表立って言える人間はいないし、道理だってない。

その闇資金を、選挙資金としてひそかに借りに来る保守党の政治家を「一蓮托生だぞ」と手なずけ、非合法活動も含めた運命共同体にする。戦後初期のどさくさに形成された腐れ縁です。それがロッキード事件の時代までは確実に機能していました。

彼らを裏で結びつける大義名分は、しばしばというか、ほとんどが「反共」ですね。「反共」とはまず「反ソ」であり、「反中」にもなり、とうぜん「親米」になって、ロッキードをはじめとするアメリカの大企業とも結びついたわけです。

しかし平成になると、そういう由緒あるフィクサーは絶滅してしまう。このことは世代論・時代論で説明できます。というのは、遅くとも戦後のどさくさのときに「地位ある大人」になっていないと、「闇世界の形成」に参与できませんでした。そして、その「地位」とは、明治維新の元勲と同じで、血筋でなく混乱期での特別な経験に基づき、だいたいは特定の弱みを握ったり貸し借りを作ったりすることから生まれた特別な地位ですから、若い世代が後を継げるレベルのことではない。

平成にいるのはせいぜい、「選挙の不正を隠すためにちょっと助けてもらった」ぐらいのレベルの小フィクサーですね。

白井 現代で「フィクサー」というと、総理大臣が喜びそうな本をやたらに出す出版社の社長さんなんかを連想しますね。誰とは申しませんが。

片山 昭和が終わるまで大物フィクサーが活躍する場があったのは、戦後日本のシステムを牛耳ってきたのが、基本的には資本主義、右翼、自民党、大企業だったからでしょう。要するにやっぱり「反共」なのです。これにより、高度成長期以降も政財界とフィクサーのつながりが保たれた。安岡も、思想的立場は「反共」です。

白井聡『国体論 菊と星条旗』

いかにすれば日本は、自立した国、主体的に生きる国になりうるのか? 鍵を握るのは、天皇とアメリカ――。誰も書かなかった、日本の深層! 自発的な対米従属を、戦後七〇年あまり続ける、不思議の国・日本。 この呪縛の謎を解くカギは、「国体」にあった!  「戦前の国体=天皇」から「戦後の国体=アメリカ」へ。 気鋭の政治学者が、この国の深層を切り裂き、未来への扉を開く!

 

関連書籍

片山杜秀『平成精神史 天皇・災害・ナショナリズム』

度重なる自然災害によって国土は破壊され、資本主義の行き詰まりにより、国民はもはや経済成長の恩恵を享受できない。何のヴィジョンもない政治家が、己の利益のためだけに結託し、浅薄なナショナリズムを喧伝する――「平らかに成る」からは程遠かった平成を、今上天皇は自らのご意志によって終わらせた。この三〇年間に蔓延した、ニヒリズム、刹那主義という精神的退廃を、日本人は次の時代に乗り越えることができるのか。博覧強記の思想家が、政治・経済・社会・文化を縦横無尽に論じ切った平成論の決定版。

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片山杜秀

1963年、宮城県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。思想史家、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。専攻は近代政治思想史、政治文化論。『音盤考現学』『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、吉田秀和賞とサントリー学芸賞受賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞受賞)、『「五箇条の誓文」で解く日本史』(NHK出版新書)、『平成史』(佐藤優氏との共著、小学館)など著書多数

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