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2019.04.27 更新 ツイート

時代を元号で語る意味

【改元特集】元号は常に裏切られる〔再掲〕片山杜秀

「象徴としてのお務めについてのおことば」を述べられる天皇陛下(平成28年8月8日)

元号が改まるイコール新しい時代を迎えること。私たちの多くは、とりたてて意識することもなくそう思っています。ですが、そのような時代のとらえ方の背後には、天皇と日本という国家の長い歴史があり、今回の改元は、その長い歴史のなかでも「革命」と呼べるほどの、重大な意味をはらんでいます。それは一体どういうことなのでしょうか? 
そして、「平成」という時代は、「平らかに成る」という理想からは程遠い時代でした。果たして「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という「令和」の理想は実現するのでしょうか? 
片山杜秀さん『平成精神史――天皇、災害、ナショナリズム』から、第一章を抜粋してお届けします。

* * *

「元号」で時代を論じる意味

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が2017(平成29)年6月16日に公布されました。第2条は「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする」。その後、退位日は2019年4月30日と決まりました。世の中、何が起きるか分かりませんが、今のところ平成は31年で区切られると予測されます。西暦で言えば1989年から2019年まで。

 

と、終わりは予測できるのですけれど、平成の始まりは計画的に予定されていたとは言えません。1989年の始まりは言わば偶然ですね。昭和天皇の崩御によって昭和は終わり、平成が始まりました。人の生き死にで元号は変わるもの。これは原則として予定できません。人の寿命は神秘的なものですから。生きていると思ったら死ぬ。死ぬと思ったら生きている。元号は寿命に連れ、寿命は元号に連れ。国家の仕掛けとしてなかなか不思議です。

この仕掛けは一世一元の制と呼ばれます。天皇一世に元号ひとつですね。明治維新とともに仕掛けられました。しかも天皇の一世を天皇の崩御と一体化した。生前に位を退き、生きながら上皇になることは禁じ手とされた。明治政府の独創と言ってよいでしょう。と言うか、天皇が譲位する初めは7世紀の皇極天皇ですから、それより前のいにしえに戻ったと言うべきかもしれません。明治維新は王政復古。戻り先は古ければ古いほどよい。そして明治政府は元号も天皇一代にひとつと定めた。

そのこころは、天皇と国民の一体化をはかるとしか言いようがないですね。天皇の寿命で定められた時代を、すぐ終わるのか何十年も続くのか人間にははかりがたい神秘的時間を、元号とともに体験する。これが一世一元の元号マジックですよ。天皇と国民が、元号を通じて自ずと運命共同体の意識を持ち、ひとつの時代を生き、それが終わると、「ああ、明治が、大正が、昭和がなつかしい」と言って、天皇が好きとか嫌いとかを超えたところで、元号で時代の性質を回顧し把握しようとして、それがいつも何となく当たり前と思って、一生を終えてゆく。

明治っ子とか大正っ子とか昭和一桁とか、世代論も元号です。「昭和の戦争」とか言いましてね、戦争も元号です。「大正デモクラシー」とか言いましてね、民主主義も元号です。こんなに何でも元号で宜しいのでございましょうか。そのくらい元号尽くしでございます。

そして元号は一世一代の上御一人(かみごいちにん 天皇のことです)の寿命と一体のもの。そこは1945(昭和20)年という大きな区切りを超えて一貫しました。明治より前の感覚だったら、天皇は代替わりせずとも、1945五年の敗戦で元号だけは変わったでしょう。でも一世一元は守られた。国体の護持です。

この場合の国体とは国民体育大会ではなく国家の根本性質、日本の国柄ですね。明治憲法から戦後憲法に切り替わっても、崩御を伴わねばならないかたちの一世一元の制は、戦前から戦後へと不変不動でした。その意味では明治から平成まで国体は一貫しておりました。

ところが平成の今上天皇は、この仕組みを見事な論理構築で、従来の一世一元の仕掛けを破って、生きながらにして退位され、皇太子に位を譲られるご意向を示され、それに沿った新しい法律も制定されました。要するに平成の期間は、昭和天皇の寿命と、それから今上天皇の寿命ではなく意志によって、画され定まる時間の長さということになります。始まり方は明治以来の定め通りであったけれども、終わり方は定めを打ち壊す極めて新しい元号ということですね。

ということで平成の30年を考えてみようと言うとき、それは西暦で言うと1989年から90年代、2000年からのゼロ年代や10年代と重なるのですが、では平成回顧は90年代論やゼロ年代論と同じことかと言うと、同じであってはわざわざ平成とうたう意味がないでしょう。西暦で呼べばいい時代を、日本の話が中心だから便宜的に元号で呼んでおきますと言うのでは、天皇陛下に申し訳ございません。

西暦と異なる元号の区切りで論じる意味は、天皇の存在を意識することからしか、結局は出てこないでしょう。そこでこれから、天皇のありようを時代の表か裏か、常にどこかしらに意識するつもりで、平成の世を、幾つかの切り口から見ていこうと思います。

むろん、平成は、明治憲法体制の時代のように、天皇のありようが表立って国家社会を律していた時代ではありません。その意味で天皇と結びつけて論じれば世の全体が現れてくるなどということにはなり得ないでしょう。

とはいえ、たとえば、今上天皇の戦後民主主義への思いや、被災地・被災民との向き合い方等々が平成を特徴づけ、時代の軋(きし)みとスパークしてきたということは間違いないですし、その果てに2016(平成28)年夏の天皇の「お気持ち」の表明が来て、平成という元号を終わりに向かわせたということも事実です。

ならば、やはり天皇抜きに平成を語ることはできないのではないか。単にそういう元号のときにあんなこんながありましたという以上の意味を、平成から引き出せないか。そんなつもりで論じていければと思います。

「平成」を考案したのは誰か

さて、最初に切り口にしたいのは、平成なる元号それ自体ですね。何しろ平成を論じようというのですから、この二文字を取り上げないで先にいきなり行っても、どうにも地に足が着きませんでしょう。平成の前の昭和は64年目に入った途端に終わりました。昭和64年、西暦では1989年の1月7日に昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王が天皇に即位。そして翌8日、元号も平成に改まりました。

この元号を誰が考案したのか。正式には明らかにされていません。しかし、何となく世に伝えられたところで「平成」の命名者と最初に言われたのは安岡正篤(まさひろ)でした。

安岡は、「歴代首相の指南役」「昭和の黒幕」などと呼ばれ、政財界に多大な影響力を誇った人物です。最晩年には、占星術師の細木数子と浮き名を流して、写真週刊誌や女性週刊誌を賑わせたこともありました。

その安岡が実は平成の考案者ではないかというニュースが、平成になってすぐに流れました。朝日新聞にその種の「憶測記事」が出たのは改元して1週間ほどの1月14日。読売新聞も1月16日に後追い記事を載せました。新元号には「安岡の影が色濃」いようだと書いてある。

朝日も読売も、あくまで風聞や推測の域を出ないように上手に作文していますが、共に読者が安岡の命名と決めてしまいたくなるような書きっぷりだったには違いありません。私は当時、安岡をテーマに修士論文を書いて間もない頃でしたし、幾分興奮致しましたね。

この改元のときの総理大臣は竹下登ですけれど、平成が幕を開けてすぐ、竹下内閣はリクルート事件で倒れます。その後、1990(平成2)年の1月に竹下登が講演会で新元号に触れ、安岡の名を出しました。

このときの竹下元首相の発言は、候補を「安岡先生をはじめ、多くの学者の方に作っていただ」いたというもので、平成と安岡を結びつけて確言するものではないのですが、とにかく出てきた具体的人名は安岡だけ。思わせぶりですね。この竹下発言が「安岡命名説」を広めるのに決定的役割を果たしたと思います。

もちろん新しい元号の有力候補は他にもありました。最後に残ったのは「平成」「修文」「正化」で、この三案が政府の「元号に関する懇談会」で議論され、全員一致で「平成」に決まったと言います。

このうち「修文」の提案者は中国文学者の目加田誠(めかだまこと)、「正化」は国語学者の宇野精一だったという説もありますね。元号は縁起物ですから、昭和天皇の崩御よりも先に物故した人々の案は、縁起がよくないということで、取り下げられてしまったとも言われます。

が、そうだとすると、安岡正篤説はそもそも怪しい。安岡は、1983(昭和58)年12月に亡くなっていますから。でも他に有力な名前が出ないまま長い歳月が経ってゆき、平成20年代に、新たにして有力な説が当事者から出されました。

大蔵官僚出身で、改元時の竹下内閣で内閣官房の内閣内政審議室長としてまさに改元に関する事務を担当していた的場順三が、安岡の話は間違いで、東洋史学者の山本達郎(たつろう)が平成の真の考案者だったと証言し出したのです。普通に考えればかなりの信憑性がある。

ところが「安岡考案説」はどっこい生き残る! 安岡の「平成」は彼の逝去によりいったん取り下げられ、あらためて山本が同じ案を再提出したという。安岡シンパとしては平成は安岡の命名であってほしいのです。そこで典型的な「ああ言えばこう言う」の展開となる。真相は「藪の中」。とはいえ、安岡正篤と山本達郎という名前が「平成の名付け親」として出てくるところに面白みと言いますか、歴史の妙味があるとは思うのです。

(以下中略)

平成という元号は字義通りにはなれなかった。平らかに成る理想は、その含意を安岡正篤に求めても、山本達郎から山本達雄に遡って求めても、未完に終わったことになるのでしょう。

とはいえ、元号とは昔からいつもそういうものです。だって元号には不吉な漢字は使われないのですから。必ずいいことがありそうな期待を抱かせる漢字の組み合わせでできあがるのですから。それゆえ、元号は常に現実に裏切られるのです。

 

白井聡『国体論 菊と星条旗』

いかにすれば日本は、自立した国、主体的に生きる国になりうるのか? 鍵を握るのは、天皇とアメリカ――。誰も書かなかった、日本の深層! 自発的な対米従属を、戦後七〇年あまり続ける、不思議の国・日本。 この呪縛の謎を解くカギは、「国体」にあった!  「戦前の国体=天皇」から「戦後の国体=アメリカ」へ。 気鋭の政治学者が、この国の深層を切り裂き、未来への扉を開く!

 

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片山杜秀『平成精神史 天皇・災害・ナショナリズム』

度重なる自然災害によって国土は破壊され、資本主義の行き詰まりにより、国民はもはや経済成長の恩恵を享受できない。何のヴィジョンもない政治家が、己の利益のためだけに結託し、浅薄なナショナリズムを喧伝する――「平らかに成る」からは程遠かった平成を、今上天皇は自らのご意志によって終わらせた。この三〇年間に蔓延した、ニヒリズム、刹那主義という精神的退廃を、日本人は次の時代に乗り越えることができるのか。博覧強記の思想家が、政治・経済・社会・文化を縦横無尽に論じ切った平成論の決定版。

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片山杜秀

1963年、宮城県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。思想史家、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。専攻は近代政治思想史、政治文化論。『音盤考現学』『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、吉田秀和賞とサントリー学芸賞受賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞受賞)、『「五箇条の誓文」で解く日本史』(NHK出版新書)、『平成史』(佐藤優氏との共著、小学館)など著書多数

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