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恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる

2019.02.25 更新 ツイート

優しいから私のこと好きなのかと思ったのに林伸次

忘れられない恋を誰かに語りたくなることがありませんか? その相手にバー店主は時々選ばれるようです。バー店主がカウンターで語られた恋を書き留めた小説『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』より、今週のお話。

*   *   *

『恋はあせらず』という曲がある。ダイアナ・ロスが在籍したシュープリームスがヒットさせたとても明るいR&Bの名曲だ。

「私には恋が必要。でもママは言った。恋はあせっちゃダメ。待つだけでいいの。時間をかけて」という内容で、女の子のあせる気持ちをなだめるとても可愛い内容の歌だ。おそらく全世界中の女の子が恋に落ちた時、これを聞いて「あせっちゃダメ」と言い聞かせて歌い継がれてきたはずだ。

七月の晴れた日の夕方、久しぶりに少し涼しい風が渋谷の街をすりぬけていった。デパートの屋上のビアガーデンではネクタイをゆるめたサラリーマンたちの乾杯の声が響いていることだろう。

私のバーではそこまで雰囲気を崩すことも出来ず、しかし今夜くらいはちょっと華やかにしようと思い、この『恋はあせらず』が入ったダイアナ・ロスのアルバムをターンテーブルの上にのせた。

そこに二十代後半くらいの明るい表情の女性がバーの扉を開けて入ってきた。目鼻立ちははっきりしていて、背は高く短いスカートから見える脚は長い。胸から腰の曲線も女性的で、身のこなしが踊っているようだ。

彼女は入るなり私の顔を見て、「こんばんは」と言い、大きな口を開けた笑顔を見せたので、私もついつられて笑顔になり、「どうぞお好きな席に」と言った。

彼女はカウンターの一番端のスツールに座るとこう言った。

「マスター、私、シャンパンが大好きなんです。でもシャンパンってフランスのシャンパンしか呼んじゃダメなんですよね。それはわかるんですけど、シャンペンって言う人もいるし、なんかもう少しわかりやすくシャンパンのことを教えてもらえますか?」

「何かとややこしいですよね。まず、フランスにChampagne(シャンパーニュ)という地方があるんですね。読み方ですが、英語圏の方はそのまま英語読みで『シャンペイン』と発音します。だからアメリカの映画や音楽の中では『シャンペイン』と呼ばれています。以前は、日本に外国のものが入ってくる場合、多くはアメリカ経由でしたから、日本では年輩の方がよく英語読みに近い『シャンペン』という呼び方をします。最近では『シャンパーニュ』とフランス語読みするのが一般的になりました。『シャンパン』はその中間的な読み方でしょうか。

先ほどお客様が仰ったように、シャンパーニュ地方で作られたものだけをシャンパーニュと呼びます。

フランス人という人たちは自国の製品のブランドイメージを高めるのが上手いと言いますか、なぜか全世界で本当のお祝いの時は他のスパークリングワインではなくシャンパーニュで乾杯すべきだというイメージをうえつけていますね」

「なるほど。じゃあ私、シャンパーニュをいただこうかな。お祝いしたいことがあるんで」

「かしこまりました」

私はオリエント急行や超音速旅客機コンコルドのオフィシャル・シャンパーニュだったブルーノ・パイヤールというシャンパーニュのコルクを、音をたてないようにそっと抜いた。

細くて背の高いフルートグラスに優しく注ぎ、彼女の前に出すと、彼女は一口飲み、「おいしい!」と店中に響く声で言った。

「お祝いしたいことって何ですか?」と聞くと、「さっき、恋が終わったんです。それでその恋の終わりに乾杯しようと思って」と答えた。

「終わったことに乾杯ですか? よろしければ詳しく教えていただけますか?」

「ははは。じゃあ聞いてもらえますか。この間、同僚の女性四人で飲んでたんですね。女同士だからもちろん恋の話になって、付き合っている男の話とか、デートはしたけどそんないい男じゃなかったとかいう話で盛り上がってたんです。

私のことも聞かれたので、思い切ってこう言ってみたんです。

『営業の渡辺さんっているじゃない。この間、お昼の十二時過ぎにエレベーターで一緒になったのね。渡辺さんが「もし良ければランチ、一緒にどうですか?」って言うから行ったの。そしたらなんか話があっちゃって。それからずっとメールを毎日やり取りする仲になったの。ほら、見て見て、メールで【おやすみ】とか送ってくるの。それでね、私、実は渡辺さんのこと、もうすごく好きになっちゃって。たぶん、渡辺さんも私のこと、嫌いじゃないと思うの。ねえ、どう思う?』

そしたらみんなが『それ絶対、大丈夫。告白しちゃえ!』って言うから、その場の酔った勢いで渡辺さんに【好きです】ってだけのメールを送っちゃったんです。

その後、全然、返事が戻ってこなくて。朝、起きてもまだ返事が戻ってなくて。今朝、会社で会ってもいつも通りの雰囲気なんです。これ、なかったことになるのかなって思ってたら、さっき会社が終わってから送ったんだと思うんですけど、こんな返事が来たんです。

【お返事遅れてすいません。そしてお気持ち、ありがとうございます。すごく嬉しいです。お話ししてなかったのですが、実は僕、今度結婚する予定の女性がいるんです】

【あ、そうだったんですね。知らなかった。教えてくれたらよかったのに。でも、別に会社の同僚の女性に結婚することを伝えなきゃいけない義務なんてないですよね。ごめんなさい】

【すいません。何度か言おうかなと思ったこともあったんですけど】

【そうなんですね。私でしたら全然大丈夫ですよ。私、なんか昨日、みんなと飲んでて、酔っぱらった勢いであんなの送っちゃったんです。ごめんなさい。なんか重いですよね。忘れてくださいね】

【いえ。お気持ち嬉しいです】

【ごめんなさい。困らせてますよね。困らせついでに渡辺さんにお願いがあるんですけど】

【はい。なんでしょうか?】

【今度、一回だけで良いから私とデートしてください。お昼にどこかで待ち合わせをして、渡辺さんがいつものスーツじゃなくてジーンズとチェックのシャツかなんかで来てくれたらいいなってずっと思ってたんです】

【もちろんOKです。ジーンズとチェックのシャツも了解です(笑)。いつにしますか? 今度の日曜日とかどうでしょうか?】

【冗談です。どんな反応するかな、もっと困って変な言い訳をするかなと思って試しで言ってみただけです。そんなデートなんてしてたらダメですよ。渡辺さん、優しすぎるんです。もっと女性に冷たくした方が良いですよ。勘違いする私みたいな女、これからも出てきますよ】

【ごめんなさい】」

「それで、さっき恋が終わったんですね」と言うと、彼女がこう答えた。

「終わったはずなんですけどね。優しいと嫌いになれなくて困りますね。マスター、飲み干しちゃいました。シャンパーニュ、もう一杯!」

後ろではダイアナ・ロスがずっと「恋はあせっちゃダメ」と歌っていた。

*   *   *

続きは、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』をご覧ください。

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林伸次『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』

人はなぜバーテンダーに恋の話をするのだろう? cakesスタート以来、常に人気ナンバー1の恋愛エッセイの名手にして、渋谷のバー店主が綴るカウンターの向こうのラブストーリー 恋はいつか消えてしまう。ならば、せめて私が書き留めて、世界に残しておこう――。 スタンダードナンバーの音楽とお酒のエピソードとともに綴られるのは、 燃え上がる恋が次第に冷め、恋の秋がやってきたと嘆く女性。 1年間だけと決めた不倫の恋。 女優の卵を好きになった高校時代の初恋。 かつての彼女とよく通ったパン屋さんを訪ねた男性。 学生時代はモテた女性の後悔。 などなど、世界の片隅に存在した恋のカケラたち。 誰かを強く思った気持ちは、あのとき、たしかに存在したのだ。切なさの記憶溢れる恋愛小説。

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林伸次

1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDをオープン。選曲CD、CDライナー執筆多数。『カフェ&レストラン』(旭屋出版)、『cakes』で連載中。著書に『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない』(ともにDU BOOKS)、『ちょっと困っている貴女へ バーのマスターからの47の返信』(アスペクト)、『ワイングラスの向こう側』(KADOKAWA)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)がある。

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