大竹まことさんによる連載エッセイは、今回で19回目。今回は、大病院へ入院した経験が語られます。最先端の医療機器が揃う病院、華やかな若者や外国人が集う東京タワー近くの交差点、そして都庁の足元で弁当を待つ人々の列。同じ東京という街の中に存在する「違う場所」について、大竹さんが病をきっかけに感じたことを、ぜひお読みください。
* * *
夜中に3回も4回もトイレに起きる。何とかならんものかと、かかりつけの医院に行く。
年を取ると、前立腺が肥大して、遅かれ早かれ、皆この悩みをかかえるらしい。
医者に進められて、血液検査をしたのだが。
あゝ、数値が異常に高いことが判明した。
それからが大変であった。
まず先生の紹介で、泌尿器科の専門医の先生にかかる。そこでMRIの検査が必要になり、今度は、その専門の施設に行く。そこで腹部のMRIを撮ってもらい、それを持って元の病院へ。
今度はその診断をもとに、大病院に行く。大病院では、色々な検査が待っていて、最初は、全身麻酔で前立腺の状態を調べるという。もうヘトヘトである。だが、今回の時点で、全てが判明したわけではない。まだ続く。
やれやれ、医学が進歩したのは喜ばしいが、各病院の受け持つ範囲も専門化していて、患者は目が回る。
大病院は、私の様な年寄りで一杯であった。
皆、従順でそれぞれの番号が掲示板に表示されたら、その番号の階にエスカレーターで登って行く。
自分で動けない人も多い。付き添いが、車イスを押している。付き添いも皆、かなりの老人である。
私は、前の日、何も食べずに朝9時に入院。今日の夕方には、病院を出る手筈である。全身麻酔の前に、看護師さんが来てお尻に座薬を入れる。
横を向いて、尻を出す。何を挿入されているかは、見えないし、わからない。想像では、座薬を2個、卵ぐらいの座薬に感じたが、つるっと入っておどろいた。
手術の前にこの座薬が効いて、腸あたりがきれいになるらしいが、そうはならなかった。
「どうですか、排便は」と聞かれて
「あまり出なかったみたいです」と答える。
「そうですか、大丈夫ですヨ」とやさしく言ってくれたのだが、出なくて大丈夫なのかとも思った。
その後、病室から移動して、麻酔を吸引してからは、何も覚えていない。
私が気づいたのは、病室に戻され、ゴロンと自分のベッドに移されたときであった。
怪しい夢を見た。どこかのビルの入口の冷たい地面に、老夫婦が横たわって寝ている。それと同じ格好で、大型の犬も横になって目を閉じている。寝ているのか、誰も動かない。私は、それを横目に缶ジュースを買いにレジに並ぶ。
夢だからメチャクチャであるが、多分尻に座薬を挿入された記憶の断面でも残っていたのだろう。
暑い日であった。マネージャーの伊藤君に付き添ってもらって車に戻ると、ハンドルを握れないくらいに車は暑くなっていた。
反対側のドアを開けて、手前のドアーをバンと打ちつけて中の空気を逃がす。気を利かせた伊藤君が売店で、缶コーヒー微糖を買ってきてくれた。
1日半、何も食べていない私は(水分は取っていた)その缶コーヒーが死ぬほどうまかった。すごい、日本の缶コーヒー微糖は本当にうまい。
静かに、自分の番を待つ。病院の窓口が頭に浮かぶ。
先日、訪れたホテルのロビーは若い人や元気な人であふれていた。
同じ東京。場所によって集う人が違う。まあ当たり前の話なのだが、身体のバランスを崩した私には、それが不思議だった。
目の前の通路を、これ以上短くは出来ないだろうと思われる、ミニスカートの女の人が、携帯を片手に楽しそうに通る。奥のテーブルでは品のよさそうな女性たちがおしゃべりに無中である。
同じ東京、集う人たちは違う。近くの東京タワーの見える交差点では、若い外国の、それもアジア系の人たちがタワーをバックに写真を撮っていた。どうやらそこが人気のスポットになっているらしい。
東京都庁の下には、NPOが主催する弁当に並ぶ人たちもいる。
昔より人数がふえて、今は1000人をこえているそうだ。
国会前のデモにも多くの人たちが集まっている。
それぞれ違う言葉をプラカードに掲げ、ラップの若者と声を一つにしている。
同じ東京、違う場所。
病気のせいか、近ごろの自分の過ごし方も考える。この老人にどんな力が残っているのだろう。
力が何もなくとも日々を楽しく送れるのだろうか。
考えがバラバラになってきた。
家につくと、リビングのテーブルの上にサクランボのパックが置かれていた。1つ摘まめば、双子のようにもう一つついてくる。サトウニシ
天を向いて、その1粒を口に含む。甘いし、すっぱいし、夏だし、涙は出るし。
こんな小さなサクランボに、これほど思いをよせたことがあっただろうか。水々しい輝きを持った小さな粒。
一瞬の幸せが喉を通過した。
そして、タネが脳に残った。
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ジジイの細道

「大竹まこと ゴールデンラジオ!」が長寿番組になるなど、今なおテレビ、ラジオで活躍を続ける大竹まことさん。75歳となった今、何を感じながら、どう日々を生きているのか——等身大の“老い”をつづった、完全書き下ろしの連載エッセイをお楽しみあれ。
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