作家・生活史研究家の阿古真理さんの新刊『47都道府県おいしいもの巡り』が発売になり、続々重版中です。人生最高のウニ・イクラ・蟹丼のエピソードや、各地で愛される「小麦粉だんご」の謎。向田邦子が愛したつけ揚げの秘密など、思い出の味から旅先で出会った名物までを縦横無尽につづった食文化エッセイです。少しずつですが試し読みをどうぞ。
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私が大好きな町、神戸の話をしたい。神奈川の項と京都の項でも書いたが、私は大阪と神戸の間にある「阪神間」と呼ばれる地域で育った。阪神間に含まれる地域に決まった定義はないが、範囲が特に狭い場合で西宮市、芦屋市を指し、1950(昭和25)年まで神戸市に入っていなかった神戸市東灘区、1929年に神戸市に編入された灘区を含む場合もある。
私の少女時代、神戸は全国誌がファッションやグルメを紹介する人気の町で、私にとっても憧れだった。おしゃれさの理由は、日本を代表する貿易港の一つがあり、いち早く外国文化が入ってきた土地柄による。しかし、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた。東京への一極集中が加速する中だったこともあって経済のダメージは大きく、神戸市は2020(令和2)年に、人口減少時代に対応するべく、中心部にこれ以上タワーマンションを建設しないと決めている。それも先進的だと感心するのは、身びいきか。
神戸は、総務省の家計調査でパンの消費金額全国一位にしばしば輝く。何しろ、神戸およびその周辺は、日本で稀有なパン文化を持つ。パンブームを経た最近は状況が変化しつつあるが、徒歩や自転車で行ける住宅街にたいていパン屋がある環境は特殊だった、と私が気づいたのは東京に引っ越してからだ。
しかも、全国的には人気が低めの、皮がカリカリのバゲットや、サクサク食感が魅力の山型食パンが好まれる。私は東京に来て、そうしたパンを求めてさまよい歩くことになった。モチモチ食感全盛時代の東京にあって、よりこうしたパンを好む同志を見つけると、たいてい神戸出身者である。
私が引っ越しする際に必ずチェックするのは、好みのパンを買えるパン屋が、徒歩または自転車で通える距離にあるかどうかだ。好みのパンを買えない町に、私は住めないのではないだろうか。何しろ、子どもの頃から朝食はトーストと紅茶で、あの震災の朝すら、しばらくして電気が復旧するといつもの朝食を摂り、母をあきれさせたほど。今でも冷凍庫には、食パン数斤分を常備している。
そんな私を育てたのが、神戸のパン文化である。神戸っ子の外国文化好きな気風を育てたきっかけは、開港の遅れだった。御所がある京都と近い神戸は、朝廷と幕府、欧米の合意形成に時間がかかって、開港が1868年1月1日(慶応3年12月7日)と横浜から9年も遅れた。その影響で外国人居留地形成も遅れたため、西洋人と日本人が交じって暮らす雑居地ができて、神戸市民はすぐそばで見ていた西洋文化を、比較的早く受け入れるようになったのである。
だから神戸に西洋文化導入の「日本初」は多い。近代登山、炭酸水、マラソン、ゴルフ場、活動写真の上映、コーヒー販売、テーラー、マッチの工業化、西洋式公園……列挙すればキリがない。外国人との距離の近さは、昭和初期の阪神間を描いた谷崎潤一郎の『細雪』(新潮文庫)でも感じることができる。大阪の商家出身の四姉妹を中心にした物語だが、次女が住む芦屋市の家は隣にドイツ人一家が暮らしていたし、姉妹がロシア人家庭に招かれたりもする。その設定は当時、実際に阪神間で暮らした谷崎の生活に近かったからだろう。
『日本の食生活全集㉘聞き書 兵庫の食事』によると、1918(大正7)年の米騒動以降、朝食をパンに切り替える神戸の家庭は多かったようだ。そんな町で昭和後期に定着したのが本格派のバゲット。
明治時代からバゲットはつくられてきたが、バゲットを売るパン屋で現存する最古の店で、東京・目白坂にある「関口フランスパン」は、当時フランス領だったベトナムへ職人を派遣した。そのとき職人が身につけた技術をベースに、日本のパン屋はバゲットをつくってきた。そのため、「本物」を知らないことに、パン職人らはコンプレックスを抱いていた。1965(昭和40)年、神戸の「ドンク」に入ったフランス人のフィリップ・ビゴは、カリカリのバゲットを日本に広めることに貢献した。店はビゴが来てから全国へ展開し、1960年代の終わり頃には東京でフランスパンブームを巻き起こす。最初にバゲットを受け入れた土地で育った私は、硬いモノを食べられなくなるまでカリカリパンを求め続けるだろう。
初出:全国商工新聞2024年11月25日
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47都道府県おいしいもの巡り

人生最高のウニ・イクラ・蟹丼。ひっつみやすいとんなど、各地で愛される小麦粉だんごの謎。京都の和菓子店の底力。神戸でパン文化が花開いた理由。向田邦子が愛したつけ揚げの秘密――。関西で生まれ育ち、生活史研究家として日本全国の食に触れてきた著者が、思い出の味や、それぞれの食文化が育まれたルーツに迫る。蘊蓄的食エッセイ。











